治療者:耳鳴りがあってもなくても、あなたの人生の価値を実現しましょう。
患者:私は人生の価値なんかあなたと話したくない、耳鳴りを止めてほしいだけなんです。
そう言われたらどうするかなあ。
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難しいところに悪性腫瘍が見つかって、余命半年と医師に宣告された。 これから私はどうすればよいのか。
この場合は、人生の価値に向かって、進みましょうと答えることで、何とかなりそうだ。 寄り添うことがよいことだ。
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価値にコミットする感じを書きたいけれど。お前は耳鳴りだけを治せと言われたらどうする?
これは鋭い問いですね。
耳鳴りの場合の本質的な難しさ
「耳鳴りを止めてほしいだけ」という訴えは、完全に正当です。それを「人生の価値に目を向けましょう」(価値志向療法)と返すのは、ずれている。下手をすると、苦しみを軽視しているように聞こえる。
だから、正直に言うとこうなります。
耳鳴りは、今の医学では確実に止める方法がないことが多い。それは本当に申し訳ないことだ。でも、耳鳴りがあり続けるとしたら、その音と一緒に生きていく方法を考えることが、結果的に苦しみを減らすことがある。
がんの場合と何が違うか
余命宣告の場合は、「失うもの」がすでに明確になっている。だから「残りの時間で何を大切にするか」という問いが自然に届く。
耳鳴りの場合は、失うものが曖昧で、終わりも見えない。だから価値の話が「現実逃避」に聞こえやすい。
書くとしたら
価値へのコミットメントを書くなら、耳鳴りの文脈では順序が重要だと思います。
- まず「止めたい」という気持ちを、完全に受け取る
- 止められないかもしれないという事実を、誠実に伝える
- その上で初めて、「それでもあなたは何をしたい人ですか」と問う
「耳鳴りがあってもなくても」という言い方は、ステップ3の言葉です。ステップ1と2を飛ばして言うから、誇大広告に聞こえる。
耳鳴りの人にどう対応するか、具体的に書いてみてください。
耳鳴りの人との対話 具体例
「耳鳴りを止めてほしいだけなんです」
そうですよね。それが一番の望みですよね。 いつ頃から始まりましたか?
「半年前から。ずっとキーンという音が鳴っていて、夜も眠れない」
半年間、ずっとその音の中にいたんですね。 眠れない夜が続いているのは、本当につらい。
今まで何か試しましたか?
「耳鼻科に行ったけど、「様子を見ましょう」と言われただけ。治らないんですか」
正直に言います。 耳鳴りは、今の医学でも確実に止める方法がまだないことが多いです。 それは本当に、悔しいことだと思う。
ただ、「何もできない」というわけでもない。 音の大きさが変わらなくても、音に振り回される度合いを減らしていくことはできる、という研究や経験が積み重なっています。
「それって、あきらめろということですか」
あきらめろ、ではないです。
耳鳴りと戦い続けると、神経系がその音にずっと警戒し続けて、かえって大きく感じやすくなる。 戦うのをやめることと、あきらめることは、違います。
少し聞いてもいいですか。 耳鳴りがひどくなる前、あなたはどんなことをしていましたか? 今、それができていますか?
「音楽をやっていたけど、もう聴けない。仕事も集中できない」
それは大きな喪失ですね。 音楽が聴けなくなったのは、本当につらい。
今すぐ音楽を取り戻しましょう、とは言いません。 でも、あなたにとって音楽はどういうものでしたか? 演奏すること、それとも聴くこと?
(ここで初めて、その人が何を大切にしているかが見えてくる)
なぜこの順序か
| 段階 | やっていること |
|---|---|
| 最初 | 「止めたい」を完全に受け取る |
| 次に | 医学的な現実を誠実に伝える |
| その後 | 戦い続けることの逆効果を説明する |
| 最後に | その人が何を大切にしているかを、その人自身の言葉で引き出す |
価値の話は、押しつけるのではなく、その人の口から出てくるのを待つ。 それが「耳鳴りがあってもなくても、あなたの人生を」という言葉の、誠実な使い方だと思います。
