うつ病ACT診察例2-3

第二回診察:一週間後

設定:同じ診察室。午後。田中サクラ、2回目の来院。前回より少し表情が柔らかいが、まだ疲弊感が残っている。椅子に座る動作は前回より落ち着いている。


入室直後・近況確認

:「先週来てくれてから、一週間、どうでしたか?」

:「……なんか、少し、楽になった気はするんですけど、まだしんどいです」

:「少し楽になった、という部分と、まだしんどい部分、両方あるんですね。楽になった、というのはどのあたりですか?」

:「眠れるようになったかな、という感じはします。薬を飲んでから、寝つきはちょっとよくなって。夜中に目が覚めることはまだありますけど」

:「それは良かった。睡眠が少し取れると、昼間の感じも変わってきますよね。昼間はいかがでしたか?」

:「……気分はまだ重いです。仕事でも、今週もミスをしてしまって。上司にまた言われて」

:「そうか。今週もしんどいことがあったんですね。そのミスのことと、上司に言われたこと、もう少し聞かせてもらえますか?」


出来事の確認と、思考・感情の同定

:「水曜日に、取引先へのメールの送り先を一件間違えてしまって。大きなミスじゃないんですけど、上司に呼ばれて、『また確認してないのか、何度言えばわかるんだ』って」

:「その言葉を聞いたとき、田中さんの中ではどんな気持ちが出てきましたか?」

:「……情けないというか、やっぱり私はだめなんだ、という気持ちと、あと、悔しいというか……怒りに近い気持ちも少し。でも、その怒りを感じることが、さらに自分を責める感じになって」

:「怒りを感じることを、さらに自分を責める材料にした、ということ?」

:「……はい。怒るなんて、私が悪いのに、って」

:「なるほど。それは重層的にしんどいですね。ミスをして責められて、怒りが出てきて、でもその怒りを感じることも許せなくて。……その場で田中さんはどうしましたか?」

:「黙って頭を下げていました。席に戻ってから、トイレに行って、少し泣きました」

:「一人でトイレで泣いた。……それしかできない状況だったんですね」

:(小さくうなずく)


薬の確認

:「薬のことも確認させてください。飲み忘れとか、体の変化はありましたか?」

:「飲み忘れは一日あって、あと、飲み始めの最初の二日ぐらいは、少し吐き気がありました。今は落ち着いています」

:「吐き気は、抗うつ薬の飲み始めにはよく出る反応なので、出たこと自体は想定内です。今は落ち着いているなら、そのまま続けてください。抗うつ薬はまだ一週間ですから、本格的な効果はこれからです。もう少し辛抱してほしい。……気分そのものへの効果はまだ感じませんか?」

:「……まだ、そこは変わってない気がします」

:「正直に言ってくれてありがとうございます。それは正直な感想だと思います。あと二週間くらいは、薬が本格的に体に馴染んでくる時間だと思ってください」


ACT本格導入:脱フュージョン

:「今日は、先週少しだけ触れたことを、もう少し丁寧に話したいと思います。先週、考えを止めようとするほど考えてしまう、という話をしましたよね」

:「はい、覚えています」

:「今週のことで言えば、上司に言われた後、『やっぱり私はだめなんだ』という考えが出てきた。あの考えは、今週ずっとありましたか?」

:「……ありました。特に夜に。あの言葉が頭に浮かんで、それが本当のことな気がしてきて」

:「『本当のことな気がしてきた』。……それが、今日一番話したいことに関係しています。少し、一緒に考えてみましょうか。田中さんの頭に浮かんだ、『私はだめな人間だ』という考え。それは事実ですか、それとも、考えですか?」

:「……どういう意味ですか?」

:「たとえば、今私たちがいるこの部屋に椅子がある、というのは事実です。確かめられる。でも、『私はだめな人間だ』というのは、確かめられますか?」

:「……確かめられない、かな。でも、そう感じるんです」

:「そうです、そう感じる。それは本当のことです。その感じは確かにある。でも、感じることと、それが事実であることは、別のことです。……私たちは、頭に浮かんだ考えを、そのまま現実だと思い込む傾向があります。特に、しんどいときは、その傾向が強くなる」

:「……でも、ミスをしているのは事実で」

:「そうですね。ミスをした、というのは事実です。でも、『ミスをした』と、『私はだめな人間だ』は、同じ事実じゃない。そこに飛躍がある。……田中さんはその飛躍を、毎晩、一人で繰り返しているんです」

:(少し間を置いて)「……言われてみると、そうかも」

:「心理療法では、この状態を、考えと自分がくっついている、という言い方をします。考えに、飲み込まれてしまっている状態です。『私はだめだ』という考えが浮かぶと、それがそのまま自分の全体になってしまう」

:「……くっついている」

:「逆に、考えと少し距離を取れている状態、というのがあります。『あ、また〈私はだめだ〉という考えが浮かんできた』と、少し引いて見られる状態。考えが浮かぶことは止められない。でも、その考えを、自分の全体として受け取るかどうかは、少し変えられる可能性がある」

:「……考えが浮かんでも、それに飲み込まれないようにする、ということですか?」

:「そうです。飲み込まれないようにする、というのがまず一歩目です。……少し、やってみましょうか。今、頭の中に何か考えが浮かんでいますか?」

:「……また今週もミスをした、という考え」

:「そのまま言えましたね。今、田中さんは、その考えを少し外に置いて言えた。『また今週もミスをした』という考えが、今、頭の中にある、と。……その考えの横に、田中さん自身がいる感じ、少しわかりますか?」

:(少し考えて)「……なんとなく、わかるような気がします」

:「それで十分です。これを、少しずつ練習していきます。考えを追い払うんじゃなくて、考えを考えとして見る、ということを」


受容の概念への橋渡し

:「もう一つ、今日関係することを話したいんですが。田中さんは今週、怒りを感じて、それを感じること自体を責めた、と言いましたね」

:「……はい」

:「怒りを感じることは、おかしいことだと思いますか?」

:「……私が悪いのに、怒るのは筋違いかな、と」

:「感情に、筋違いはあると思いますか?」

:「……感情は、出てくるものだから、筋違いかどうかは関係ない?」

:「そうです。感情は、出てくるものです。田中さんが選んで出しているわけじゃない。……怒りが出てきたのは、田中さんが何か大切にしていることが、傷つけられたからかもしれない。それは自然なことです。でも、田中さんはその怒りを出てきた瞬間に、もう一度自分を責める道具にしてしまった」

:「……そうですね。確かに」

:「今日はここまでにしますが、一つだけ、今週やってみてほしいことがあります。難しいことじゃないんですが」

:「はい」

:「何か考えや感情が出てきたとき、それを追い払おうとするんじゃなくて、ただ、名前をつけてみてほしい。『不安が出てきた』、『また〈だめだ〉という考えが出てきた』、それだけでいい。……できそうですか?」

:「……やってみます」

:「結果が良くても悪くても、来週教えてください。これは、うまくやろうとしないことが大事なんです」


価値への最初の触れ方

:「最後にもう一つだけ。……田中さん、今の仕事を、なぜ続けているんだと思いますか?しんどいのに、なぜ行っているんだろう、と自分では思いますか?」

:「……生活のため、というのはあります。でも、それだけじゃない気もして。なんか、この仕事、嫌いじゃないんです。しんどいけど、嫌いじゃない。昔は、お客さんから感謝されたときが、すごく好きだったので」

:「お客さんから感謝されたときが好きだった。……それは大事なことを教えてくれています。今日はそこに触れるだけにしておきます。また来週、話しましょう」


クロージング

:「今日、よく話してくれました。……来週も来られそうですか?」

:「はい。来ます」

:「それを聞けて安心しました。……何かあれば電話してください。では、また来週」


処方(この日)

前回と同じ処方を継続。変更なし。

  • スボレキサント(ベルソムラ)15mg 就寝前
  • エスシタロプラム(レクサプロ)10mg 朝食後

睡眠の改善が一部認められるため、睡眠薬の増量は行わず経過観察。抗うつ薬は効果発現まで継続が必要であることを再度説明。


【臨床的注記】

第二回では、ACTヘキサゴンのうち主に二要素を導入した。

脱フュージョン(Defusion):「考えと自分がくっついている」という比喩を用い、思考を事実として受け取る状態から、思考を思考として観察する立場への移行を、体験的に示した。「また〈だめだ〉という考えが出てきた」という言語化の練習は、フュージョンからの離脱の最初の足がかりである。

受容(Acceptance):感情を追い払う、あるいは感情を感じること自体を罰するパターンを扱い、感情が出てくること自体は選択でないことを確認した。名前をつけるホームワークは、感情への開かれた姿勢(オープンネス)の練習として機能する。

**価値(Values)**への橋渡し:「お客さんから感謝されたとき」という語りを拾い、患者自身の価値に触れる足がかりを作った。第三回で本格的に展開するための伏線である。


第3回(さらに一週間後)へ続く

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