スキーマ療法:第8回面接 逐語記録
設定:同じ面接室。60分枠。第6回のイメージワーク以降、第7回では日常場面でのモード気づきの練習を中心に扱い、「何歳の子が反応しているか」というホームワークが一定程度機能していたことが確認されている。今回から椅子技法(Chair Work)を導入する。部屋には通常の椅子に加え、あらかじめ二脚の椅子が向かい合わせに置かれている。田中サクラは入室時にそれを見て、少し緊張した様子を見せた。
導入部(0〜10分)
医:「今日もよく来てくれました。……あの椅子、気になりましたか?」
患:「……はい、なんだろうと思って」
医:「今日は、椅子を使った作業をやってみたいと思っています。後で説明しますね。まず、先週から今週はどうでしたか?」
患:「……ホームワーク、やってみました。何回か、できた気がします」
医:「どんな場面でできましたか?」
患:「火曜日に、上司に月次の報告書のフォーマットが違うと言われて。そのとき、すごく胸がざわっとして、頭が真っ白になりかけたんですけど、あ、今何歳の子が反応しているんだろう、と思って。……7歳のサクラちゃんかな、と思いました」
医:「気づけた。……気づいたあと、どうなりましたか?」
患:「気づいただけで、すぐに落ち着いたわけじゃないんですけど、なんか、少し、距離ができた感じがしました。上司の言葉と、自分の間に、薄いガラスが一枚入ったみたいな」
医:「薄いガラスが一枚入った。……それは、大事な変化です。飲み込まれなかった、ということですよね」
患:「……完全には飲み込まれなかった、という感じです」
医:「完全には、でいいんです。……他にはありましたか?」
患:「夜に、またぐるぐると考え始めたとき。あ、これは批判的親モードが動いている、と思えた瞬間があって。自分を責める声が、自分の声じゃないかもしれない、と思ったら、少し声が小さくなった気がしました」
医:「声が小さくなった。……それは大きな進歩です。自分を責める声と、自分自身が、少し分離し始めている」
患:「でも、まだ飲み込まれることのほうが多くて」
医:「それで正しい段階です。今日は、その批判的な声に、もう少し直接向き合う作業をしてみたいと思います。それが、あの椅子です」
椅子技法の説明(10〜15分)
医:「椅子技法、と呼ばれる方法です。少し説明させてください。……田中さんの中には、いくつかのモードがある、という話をしてきましたよね。批判的親モード、傷ついた子どもモード、健康な大人モード。これらは、頭で理解するだけだと、なかなか変わりにくい。感情のレベルで、実際にやり取りをする必要があります」
患:「……やり取り」
医:「そうです。椅子を使って、モードとモードを実際に対話させます。たとえば、批判的親モードが座る椅子と、傷ついた子どもモードが座る椅子を分けて、田中さんが実際に椅子を移動しながら、それぞれのモードの声を出してみる。……少し、演劇みたいに聞こえるかもしれませんが」
患:「……なんか、恥ずかしい感じがします」
医:「それは自然な反応です。最初はみなさんそう感じます。……ただ、これを頭の中だけでやろうとすると、批判的な声がいつも勝ってしまう。外に出して、空間の中に置くことで、初めて向き合えることがある。……やってみる気持ちはありますか?いつでも止めていいですし、やりたくなければやらなくていい」
患:「……やってみます。怖いけど」
医:「怖い、と言えたことが大事です。その怖さも持ったまま、やってみましょう」
椅子のセッティングと準備(15〜20分)
医師は二脚の椅子を田中の前に配置する。一脚は田中が今座っている椅子の正面に、もう一脚はやや斜めに置く。
医:「今、田中さんが座っているその椅子を、健康な大人の田中さんの椅子にします。……正面に置いた椅子が、批判的親モードの椅子。斜めに置いた椅子が、傷ついた子どもモード、7歳のサクラちゃんの椅子です」
患:(椅子を見ながら)「……なんか、本当にそこに誰かいる気がしてきました」
医:「それでいいんです。……今日は、まず批判的親モードの声を、外に出してみるところから始めます。田中さん、正面の椅子に移ってもらえますか。批判的親モードとして、話してみてください」
患:「……私が、批判的親モードになるんですか?」
医:「そうです。田中さんの中にある声ですから、田中さんが一番よく知っています。怖くなったら止めていいです。……どうぞ」
椅子技法:第一段階 批判的親モードの外在化(20〜30分)
田中は少しためらいながら、正面の椅子に移動して座る。
医:「今、あなたは批判的親モードです。……今の田中サクラに、何か言いたいことはありますか?いつも頭の中で聞こえてくる声を、そのまま出してみてください」
患:(少し間があって、声のトーンが少し変わる)「……また失敗した。フォーマットくらい、ちゃんと確認すればいいのに。7年も働いて、なんでそんなこともできないの」
医:「続けてください」
患:「……頑張ってるつもりかもしれないけど、全然足りない。前の上司がよかったのは、あなたが優秀だったからじゃなくて、上司が甘かっただけ。本当のあなたの実力が、今の上司に見えてるだけ」
医:「その声は、どんな感じで言っていますか?怒っていますか?それとも冷たい感じですか?」
患:「……冷たい感じです。怒鳴っているわけじゃなくて、淡々と、事実を言っている感じ」
医:「淡々と。……もう一つだけ。その声は、田中さんのことをどう思っていますか?」
患:「……(少し間)……できない人間だと思っている。でも、見捨ててはいない。できるようにならないといけない、と思っている」
医:「できるようにならないといけない。……その声の奥に、何かありますか?」
患:「……なんか、心配している?でも、心配の仕方が、すごく下手な感じ」
医:「大事なことに気づきました。……では、元の椅子に戻ってください」
田中は元の椅子に戻る。
医:「今、批判的親モードをやってみて、どうでしたか?」
患:「……気持ち悪かったです。あの声、本当に自分の中にあるんだな、と思って。でも、外に出してみると、なんか、思ったより、ちゃんとした根拠があるわけじゃないな、とも思って」
医:「ちゃんとした根拠があるわけじゃない。……そうです。あの声は、強く聞こえるけれど、実は根拠が薄い。そして、心配の仕方が下手、という気づきも大事でした。あの声は悪意だけでできているわけじゃない。でも、やり方が、傷つける形になっている」
椅子技法:第二段階 傷ついた子どもモードとの接触(30〜40分)
医:「次は、斜めに置いた椅子、サクラちゃんの椅子に移ってもらえますか。7歳のサクラちゃんとして、今聞いた批判的な声を聞いて、どう感じているか、話してみてください」
田中は少し躊躇しながら、斜めの椅子に移動する。体が少し小さくなるように見える。
患:(声が少し細くなる)「……怖い。また怒られる、と思って、体が固まる」
医:「その怖さは、どこで感じていますか?体のどのあたり?」
患:「……お腹の辺り。ぎゅっとなる感じ」
医:「ぎゅっとなる。……サクラちゃんは、その声を聞いて、どうしたいですか?」
患:「……消えたい。いなくなりたい。そうしたら、怒られなくて済む」
医:「消えたい。……サクラちゃんに、少し聞かせてください。本当はどうしてほしいですか?怒られないこと以外で」
患:(長い間)「……ただ、いていいよ、と言ってほしい。できなくても、いていいよ、と」
医:(静かに)「ただ、いていいよ、と言ってほしい。……サクラちゃん、ずっとそれを待っていたんですね」
患:(涙が出る)
医:「今の気持ちのまま、元の椅子に戻ってきてください。健康な大人の田中さんとして、サクラちゃんを見てください」
田中は元の椅子に戻る。涙をぬぐいながら、斜めに置かれた椅子を見ている。
医:「今、あそこにサクラちゃんがいます。消えたい、でも本当はいていいよと言ってほしい、と言っている。……大人の田中さんは、サクラちゃんに何か言えますか?」
患:(少し間)「……いていいよ、と言いたいです」
医:「言ってあげてください。あの椅子に向かって」
患:(斜めの椅子を見て、少し声を出して)「……いていいよ。できなくても、いていいよ」
医:「もう一度」
患:(少し声が大きくなる)「いていいよ。サクラちゃんは、いていいよ」
医:「……サクラちゃんは、今、どんな様子だと思いますか?」
患:「……少し、肩の力が抜けた気がします。まだ泣いているけど、さっきみたいに固まってはいない」
椅子技法:第三段階 健康な大人モードvs批判的親モード(40〜52分)
医:「今度は、大人の田中さんが、批判的親モードに直接向き合ってみましょう。正面の椅子に、批判的親モードがいます。大人の田中さんとして、何か言えますか?」
患:(正面の椅子を見る。少し間がある)「……難しい。なんか、まだ怖い」
医:「怖くて当然です。ずっとあの声に従ってきたんですから。……少しだけ、やってみましょう。私が一緒にいます。……あの声に、一つだけ言うとしたら?」
患:「……あなたの言い方は、正しくない」
医:「続けてください」
患:「……私のことを心配しているのかもしれないけど、あなたの言い方は、私を助けていない。むしろ、私をどんどん小さくしている」
医:「その通りです。……もう少し言えますか?」
患:「……私は、できないところもあるけど、7年間、ちゃんと働いてきた。前の上司が甘かったんじゃなくて、私はちゃんとやってきた。それを、あなたはなかったことにしている」
医:「今、声はどうですか?最初と比べて」
患:「……少し、強くなってきた気がします。最初はひそひそ声だったけど、今は、ちゃんと声になってきた」
医:「それが、健康な大人モードの声です。……批判的親モードに、最後に一つ言うとしたら?」
患:(少し間があって)「……もう、サクラちゃんをそんなふうに扱わないでほしい。あの子は、十分頑張ってきた」
医:(静かに)「言えました」
患:(息を吐く)
医:「今、体はどんな感じですか?」
患:「……疲れました。でも、なんか、胸のあたりが、少し広くなった気がします。ずっと締め付けられていたものが、少し、緩んだような」
統合と振り返り(52〜58分)
医:「今日は、かなり深いところまで行きました。少し振り返りましょう。……今日、三つの椅子でやり取りをしてみて、何が一番印象に残っていますか?」
患:「……批判的親モードをやったとき、根拠がないな、と思ったこと。あと、サクラちゃんに、いていいよ、と言えたこと。この二つが特に」
医:「批判的な声が、実は根拠が薄いという気づき。そして、傷ついた子どもを、大人の自分が守れたという体験。……今日起きたことは、頭の理解じゃなくて、体でやったことです。これは、簡単には消えない」
患:「……でも、また職場に行ったら、上司に何か言われたら、元に戻る気がして」
医:「戻ります。最初のうちは、必ず戻ります。でも、今日の体験が、田中さんの中に残っている。次に批判的な声が来たとき、今日ここでやったことを、少しだけ思い出せるかもしれない」
患:「……あの椅子のやり取りを、頭の中で再現するということですか?」
医:「そうです。実際に椅子を動かさなくていい。頭の中で、健康な大人の田中さんが、批判的な声に向かって、あなたの言い方は正しくない、と言える瞬間が来る。それが、スキーマが変わっていくということです」
患:「……少しずつ、ということですね」
医:「少しずつ、です。……一つだけ、今週やってみてほしいことがあります」
ホームワークと終結(58〜60分)
医:「今週、自分を責める声が出てきたとき、こう言ってみてください。声に出さなくていい、心の中で。——『その言い方は、私を助けていない』と。それだけでいいです」
患:「『その言い方は、私を助けていない』」
医:「そうです。批判的な声の内容を否定しなくていい。言い方を問題にする。それだけで、少し距離ができます」
患:「……やってみます」
医:「今日は本当によく頑張りました。今夜は、無理せずゆっくり過ごしてください。……また来週」
患:「……ありがとうございました。なんか、今日は、来る前より、自分が少し大きくなった気がします」
医:「その感覚を、大事にしてください」
田中サクラは、少し背筋を伸ばして、面接室を出た。
処方(この日)
- エスシタロプラム(レクサプロ)10mg 朝食後 継続
- 気分・意欲の改善が継続しているため、現状維持。次回以降、状態が安定していれば減薬の時期の見通しを伝える予定。
【臨床的注記:椅子技法の構造と本面接での展開】
椅子技法(Chair Work)はスキーマ療法における中核的情動技法であり、Jeffrey Youngらによって体系化された。本面接では以下の三段階で構造化した。
第一段階:批判的親モードの外在化。モードを椅子という空間に置くことで、患者はそれを「自分そのもの」ではなく「自分の中にあるパターン」として観察できるようになる。今回、患者は批判的声の根拠の薄さと、その奥にある歪んだ「心配」の構造を自ら発見した。これは治療者が指摘するより、患者自身が体験から気づくほうが治療的効果が高い。
第二段階:傷ついた子どもモードとの接触。身体感覚(お腹がぎゅっとなる)を通じて、過去の感情記憶へのアクセスが生じた。「いていいよ」という言葉は、患者が自ら見つけたものであり、治療者が与えたものではない。これが限定的再養育の内在化、すなわち患者自身が自分の養育者になり始めることを示す。
第三段階:健康な大人モードvs批判的親モード。最初は「怖い」という抵抗があったが、治療者の支持的同席のもとで、患者は批判的声に直接反論する体験をした。「あなたの言い方は正しくない」「サクラちゃんをそんなふうに扱わないでほしい」という発言は、健康な大人モードが機能し始めた証拠であり、この体験の蓄積がスキーマの情動的修正をもたらす。
ホームワーク「その言い方は、私を助けていない」は、内容への反論ではなく形式への疑問として設定した。これは、批判的声の言う内容がすべて間違いではないことを踏まえた設計であり、全否定による混乱を避けながら、声との距離を生む最小限の介入として機能する。
