これは本書の中でも最も興味深い、そして著者自身が「いまだに信じられない」と書いた部分です。治療の経緯と、そのメカニズムについて整理します。
治療の経緯
① 平木英人医師との出会いと治療法
心療内科医・平木英人は「典型的な心身症」と診断し、自律訓練法・森田療法・絶食療法などを組み合わせた治療を行いました。目標は、心では支えきれなくなったワーカホリックとしての「夏樹静子」から離れ、本来の自分(出光静子)への再生を図ることでした。
② 熱海での入院と「葬式」の宣告
著者が熱海の病院で絶食療法を受けている最中、平木医師は最後通告をします。「あなたの大部分を占めている夏樹静子の存在に病気の大もとの原因があると思います」と。著者が「元気になれるなら夏樹を捨ててもいいくらいです」と答えると、医師は即座に「元気になれるなら、という取引はありえない。無条件で夏樹をどうするか、ご自分なりの結論が出たら話してください」と告げます。そして最終的に「夏樹静子を捨てなさい、葬式を出しなさい」と迫ります。
③ 決別と、劇的な消滅
著者はこの宣告をまったく容認できず、三年間ずっとそういう判定を拒否し続けてきたのでした。しかし平木医師は頑として譲らず、著者は根負けするように絶食を続け、ついに「夏樹静子」との決別を決意します。その直後、激痛が去ったのです。嘘のように消え、それからは二度と腰痛が起こらなくなりました。
なぜ治ったのか——メカニズムをめぐる考察
「いったい何が治癒をもたらしたのか」という問いは、本書を読んだ批評家からも問われています。主治医の仮説(心因シナリオ)が「正しくて」、それをより深く洞察できたからなのか。シナリオを腑に落とせるほどに治療者を信頼できたからであって仮説の正誤は二の次なのか。治療者との相性なのか。時間をかけて傾聴するという姿勢自体の効果なのか。絶食と遮断環境が著者にとって持った意味は何だったのか——本書はそれを必ずしも明らかにしていません。
現代の心身医学の観点から整理すると、いくつかの要素が重なっていたと考えられます。
「夏樹静子」という自己像の解放 長年積み上げてきた「売れっ子作家」というアイデンティティへの執着が、潜在意識レベルで身体を縛り続けていた。それを「葬る」という象徴的な行為によって手放したことで、緊張が解けた可能性があります。
絶食と情報遮断の効果 絶食療法と情報の遮断によって、身体・感覚・感情・思考・行動・環境の諸要因が絡み合った「病的バランスの歪み」を自然調整機能で治すというアプローチが用いられました。絶食は単なる食事制限ではなく、外界からの刺激を遮断し、自己と向き合わせるための「リセット」として機能したと考えられます。
感情の爆発と受容 入院治療中、著者は七転八倒の苦しみを激しく吐き出し、主治医はそれをすべて受け容れました。長年抑圧されていた感情が安全な場所で解放されたことが、身体症状を維持していた心理的な緊張を緩めた可能性があります。
本書が問いかけること
著者自身、心身症と腰痛の関係がどういうものなのかは、本書を読んでもわからない、と書いています。しかしそれでも本書は「何か決定的なことを告げていた」とも評されています。
つまりこの治癒は、合理的・論理的に説明しきれない部分を残しつつも、「心が身体を病ませ、また心が身体を癒す」という心身相関の深さを、読む者に圧倒的なリアリティで伝えるものとなっています。
