繰り返す死と再生

死と再生を考えた
中島みゆきの時代を聞いていた

人は言葉でも態度でもいいが、他人に傷付けられて衝撃を受けた時、
死に似たような状態、死と類似の状態にいったん陥り、
そこから再生する。蘇るという言葉が古来の日本語だろうが、ここでは再生とする。
再生に類似のこと、再生に似たようなことが起こっていると思う。

睡眠と覚醒も、死と再生のリズムに似ている。

人の言葉に傷つくのなら、数日の死であるが、
PTSDなどは、もっと長い死、そして自我の部分的な死のようだ。

生活のリズムの中で、他人と自分を比較して、一時的な死を体験したりしている。嫉妬など。

しかし、ここで大切なことは、死があっても、再生があるという確信である。
とても身近にところでの再生
この世での再生

これは輪廻転生の話を子供のころに見聞きした人間と、
最初から、最後の審判物語で育った人間は違うのかもしれないと思う。

何かの生き物を見ていて、生まれ変わりとか輪廻とかを感じて生きている人は、
死後の生も、かなり身近で具体的なものだ。

例え話としてしっくりくるかという問題である。

輪廻転生の話を聞いて育った人間は、死と再生がセットになって、自然に受け入れられるかもしれない
それは強みではないかと思う

一方で、だからこそ、水に流すという態度も出てくるのだろう
閻魔様も、適当に見逃しているのかもしれない
天網恢恢疎にして漏らさずというのが庶民の願望であるが、
上流に行くほど、網は疎になるようだ

死に類する体験をしても、再生する。
だから、安心して、一休みしてよいし、また、再生を信じてよいのである。

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