「物語の自分(概念化された自己)」とは、言語によって作られた「私は〇〇な人間だ」という定義やアイデンティティのことであり、これを絶対的な真実だと信じ込む(フュージョンする)と、自分を閉じ込める「監獄」となって行動を制限してしまいます。そこから自由になるための具体的な練習法は、以下の2つの次元の視点を取り入れることです。
1. 「気づきの自分(プロセスとしての自己)」としての練習
「自分は〇〇だ」という定義ではなく、「今、何が起きているか」というライブ体験に意識を向ける練習です。
- 実況中継の練習: 自分の思考や感情を評価・判断せず、ありのままを実況中継するように観察します。
- 具体例: 「私はダメな人間だ」という物語(ラベル)に囚われそうになったら、**「いま、『自分はダメだ』という思考が流れているな」**と気づくように言葉を変換します。
- 川の流れのイメージ: 流れる川の岸辺に座り、流れていく葉っぱ(=自分の思考や感情)をただ眺めている自分を視覚的にイメージします。これにより、「物語」から一歩距離を置き、思考と自分を切り離すことができます。
2. 「器としての自分(文脈としての自己)」としての練習
自分を思考や感情という「中身」ではなく、それらが現れる**「場所(スペース)」**だと捉え直す練習です。
- チェスボードのメタファー: 自分の思考や感情を「チェス駒」に見立て、自分自身をその駒が置かれている**「ボード(盤面)」**だとイメージします。駒がどのように激しく戦おうと、ボード自体は決して揺るがず、傷つくこともありません。
- 広大な空のイメージ: 自分を広大な**「青い空」**、激しい感情や思考を「嵐」に見立てます。嵐がどれほど吹き荒れても、それを包み込んでいる空そのものは汚されず、傷つかないという視点を持ちます。
これらの練習の目的は、自分が作り上げた「物語」を生きるのではなく、その物語を眺めている**「視点(コンテキスト)」**として生きることで、心理的な柔軟性を取り戻すことにあります。思考や感情に支配されるのではなく、それらを抱えたままで、自分の価値に沿った行動を選択できるようになることが目指すべき姿です。
コンテキスト と言う話につなげたいのは分かるんだけど、少し無理をしている感じがする。
