はじめに
伝統的仏教理解と近代的理解の違い
現在、日本でおこなわれている仏教の説明の多くは、伝統的な仏教理解とはまったく異なる発想に立っています。
日本には長い仏教の歴史があり、伝統的な理解が受け継がれてきました。それに対して、現在の説明は、明治時代に近代化のために様々な知識、技術が西洋から取り入れられた際に、当時のヨーロッパの仏教研究を、学問的な仏教理解として受容するところから出発したものです。
仏教には膨大な経典が存在し、異なる内容が説かれています。伝統的には、それは対機説法(たい きせつぽう)―釈尊が一律の教えを説かず、相手に合わせて異なる教えを説いたことで説明されてきました。
それに対して、十九世紀のヨーロッパの研究では、それらの大半は後代の変質や他思想の混入として説明され、それらを取り除くことによって、オリジナルの思想に到達することが目指されていました。
伝統的理解は、仏教が何に苦しみの原因を求めるかということと、密接に関わっています。
仏教では我執(がしゅう)――私たちが普通疑っていない、自分がいて、自分が捉えた通りの対象、世界があるという捉え方に実は問題があり、それこそが苦しみの真の原因だと説きます。
それは単なる観念や思想ではなく、私たちが一瞬一瞬感じているリアリティそのものですから、単に仏教を信じるだけでは、苦しみから解放されることはありません。 仏教で修行物の捉え方を変える訓練が必要とされるのは、そのためです。
しかし、大多数の人は自分の感じていることこそが「現実」で、それに疑いを抱いたり、変える必要があるとは思っていませんから、物の捉え方を変える修行法があったとしても、それをやろうとはしません。
そのため、一律の教えでは役に立たず、一人一人に合わせ、その人が納得する目標設定をおこなう必要がある、これが伝統的な仏教の考えです。
本書で紹介する空海の十住心(じゅうじゅうしん)は、このような理解に立ち、インドや中国から伝えられた様々な教えを、十の心のあり方に対応するものとして、体系化したものです。
十九世紀は、まだ飛行機はなく、アジアとヨーロッパの間の人の行き来は容易ではありませんでした。当時のヨーロッパの仏教研究は、アジアに行って沢山の経典を集めて持ち帰り、翻訳研究する、 文献中心のもので、彼らの宗教とは異なる仏教の発想法は、まだよく理解されていませんでした。
彼らの宗教は、神が世界をお作りになり、その神の命に従うというもので、教義に従うことが中心になっています。 彼らは経典の様々な教えを教義と考え、そのなかのどれが真の仏教の教義であるかを探ろうとしたのです。
現在、西洋では、仏教と彼らの一神教の違いが次第に理解されるようになり、仏教に関心を持つ人が増えています。 心のあり方を変えることで苦しみを減らしていく仏教の考えと実践に、彼らの宗教にはないものを期待しているのです。
一方、明治の日本では、直接にはキリスト教系の学校への警戒心から、当時の文部省の方針で、学問を教えるのでなければ大学の設置認可が下りず、仏教の各宗派が設立した大学で、ヨーロッパから取り入れた学問的な仏教研究が教えられることになり、それは研究者だけではなく、僧侶の間にも浸透していきました。
現在、僧侶のなかに「輪廻(りんね)は仏教本来の教えではない」とか「釈尊(しゃくそん)は輪廻をお説きにならなかった」と説く人が少なくないのは、そのためです。
しかし、追善供養などの実践は、伝統的な考えに基づくものです。 「初七日」や「四十九日」といった名称は、人が死んで直ちに生まれ変わるのではなく、七週間以内に他のものに生まれ変わる (胎生の場合は受胎)という考えに基づいています。ヨーロッパの仏教理解を取り入れることで、実践と説明の乖離がおこってしまっているのです。
近代的理解とは異なる発想に立つ空海の教えは、なかなか理解されず、密教は一神教と比べ、呪術的な低い段階の教えと見られたりもしました。
司馬遼太郎の『空海の風景』は、多くの読者の目を空海に向けさせ、その意味では大きな功績がありますが、仏教理解については、残念なことに、近代的な立場に立っています。
鎌倉時代の親鸞(一一七三~一二六三)や道元(一二〇〇~一二五三)について、鎌倉「新」仏教と呼び、易しい教えで民衆に仏教を広めた、と説明されることがあります。これは彼らをルターやカルヴァンのようなキリスト教の宗教改革者に重ねた説明で、実際とは違っています。
親鸞は、自分の教えを易行難信━阿弥陀仏が自分を救うことに疑いがなくなればいいだけで、何かやらなければならないということはないのでそういう意味では「易行」だが、これほどむつかしいことはない、と述べています。親鸞は関東地方で教えを説き、晩年、京都に戻りましたが、京都から関東の門人たちに宛てた、自分の教えを誤解しているといった内容の手紙が何通も残っています。
道元は中国で坐禅を学んで日本に戻り、当初、広く教えを説こうとしたのですが、うまくいかず、 越前国 (福井県) の山の中 (現在の永平寺)で少数精鋭の厳しい指導をおこない、教えを受け継ぐ後継者の育成を目指しました。
彼らは伝統的な仏教理解に基づいて教えを説いたのであり、当然のことですが、十九世紀のヨーロッパ人がどのような仏教理解をするかを知りません。仏教は物の捉え方に苦しみの原因を見る教えですから、高度な仏教理解であればあるほど、私たちの実感に反し、正しく理解することがむつかしくなります。
彼らが本当は何を言おうとしたのかを理解するためには、伝統的な仏教理解を踏まえる必要があります。
空海の教えに伝統的仏教を学ぶでは、伝統的には仏教はどのようにして学ばれてきたのでしょうか?
相手に合わせて異なる教えを説く仏教は、医学的な発想の教えといわれています。教えは薬のようなもので、症状に合ったものを飲まなければ、正しい効果は得られません。ちょうど医者が大学の医学部で医学を学ぶように、寺院に付属の学習機関が設けられ、僧侶はそこで倶舎、唯識、中観など、異なる視点から教えを理論化したものを学び、その相互関係を理解する形で、仏教を学習していました。
これはインドにあったナーランダー僧院の学習法に由来するといわれるものです。『西遊記』の三蔵法師のモデルである玄奘三蔵(六〇二~六六四)がシルクロードを通ってこのナーランダー僧院に留学し、その学習法を学んで中国に伝え、中国からさらに日本に伝わりました。日本から中国に渡った留学僧のなかには、直接、玄奘三蔵から教えを受けた者もいます。チベットでは今でもこの学習法が受け継がれています。
目次
はじめに
伝統的仏教理解と近代的理解の違い/空海の教えに伝統的仏教を学ぶ/本書の構成
第1章 空海の生涯 -山林修行者から密教の相承者へ
修行を経て留学僧に/最澄との交流と訣別/日本に伝わった頃の仏教の実態
第2章 伝統的仏教理解へ 空海の教えに即して
苦しみの真の原因/梵天勧請言葉では伝えられない釈尊のさとり/十住心とは何か/仏身と仏の世界
第3章 苦しみを減らしていく段階─第一住心~第三住心
第一 異生牴羊心――欲望のままに振舞う心
欲望を追って得られるのは苦しみだけ/地獄は輪廻する世界の一つ/邪見とは何か
第二 愚童持斎心―善をなし悪をなさない心
きっかけがあれば人は変わりうる/釈尊の前世物語捨身飼虎/瞑想による習慣づけと戒律/土地の信仰との結びつきによる定着/在家の実践―――八斎戒と放生
第三嬰童無畏心―天の神々の世界に生まれることを目指す心
三界にまたがる天界/天に生まれるための実践/仏教の説く本当の空/『大日経』と『秘蔵宝鑰』
第4章 苦しみを根源から断ち切ろうとする段階─第四住心~第七住心
第四 唯蘊無我心━声聞の心
私は実体ではなく無我である輪廻の苦しみの根源を断ち切る/四聖諦と四向四果/比丘の戒律/妻帯している僧侶は比丘ではない/仏教は国家の役に立つか
第五 抜業因種心独覚の心
十二支縁起を観想し解脱する/三世両重の縁起/声聞・独覚の限界
第六 他縁大乗心唯識の心
自身が仏陀となることを目指す/資糧位と加行位/通達位と修習位/究竟位/三乗の教え
第七覚心不生心―中観の心
目標を目指すという図式を乗り越える/特異な 『般若心経』/なぜ『般若心経』は特別視されるか/さとりの境地そのものを示す『般若心経』/仏陀の境地をあらわす 「色即是空、空即是色」/解放の境地を設定すること自体を乗り越える/仏性がわかるということ
第5章 空を体験した者に現われる世界――第八住心・第九住心
第八一道無為心――『法華経』の心
『法華経』はなぜ『法華経』について語るのか/報身と化身の仏陀/『法華経』の概要/仏の世界、阿弥陀仏の世界/ 『大日経』の階梯に位置づけられない『法華経』『華厳経』
第九 極無自性心―『華厳経』の心
仏教の教えの二つの意味/ 『華厳経』の概要/さとりを開いた仏陀の側からの視点/心の仏
第6章 言葉を超えたさとりの境地が直接示される段階─第十住心
第十 秘密荘厳心密教の心
密教と灌頂/密教と言葉の関係/ナーガールジュナの謎/ナーガールジュナの引用からなる第十住心/空海の説く 「法身説法」とは/あらゆる存在の響きは法身の教え
終章 道としての仏教
無我や空こそが倫理を成り立たせる和辻哲郎の仏教理解/釈尊は輪廻を説かなかったのか?/仏教固有の教え―実体視からの解放/道としての仏教―正しい順序で歩む必要性/仏が私たちの苦しみを直接なくすことはできない/現代に通用する空海の教え
より深く学びたい人のための文献案内
あとがき
