みんなが間違っている場合、同じように間違った方が、集団内では生存に有利な場合がある

人間はおおむね合理的な判断を下して生きている

しかし中には非合理的な判断を下す場合もあり、認知バイアスとして知られているような場合には、

大多数の人が同じように非合理的な判断を下す

その場合、大多数と異なり、合理的な判断を下す個体も存在するが、

そのことがすぐに生存と繁殖に有利とも言えない

人間は集団的存在であるからだ

みんなと同じように間違い、みんなと同じように非合理的であることが、集団内での生きやすさになっていることもある

そのことを見越したうえで、個人的な合理的な判断を抑制して、隠蔽して、集団内で適応することもあるが、そのこと自体が今度は認知的エネルギーの不合理な消費となる場合もある

しかしその場合は、余計な判断をして余計なエネルギーを使っているので、敏感な人から見れば、何か違和感を感じているのかもしれない

また、鈍感な人にとって見れば、「みんなが知っている常識なのにどうしてこの人は同じように考えないのか」との不満や批判になるのかもしれない

自然に、みんなと同じように間違うには、みんなと同じ程度の知能が一番良い

接する情報の範囲も、みんなと同じようなものが一番有利だ

自分だけが合理的な真理に到達していることが価値あることではない場合も多い

それが集団的存在ということの意味だ

ちょっと悲観的だけど

自分の目の前にいる人の脳の中には何があるのかを慎重に考えたほうがいい

「サリーちゃん問題」のようなもので、何が真理かではなく、相手の頭の中がどうなっているかに合わせるしかない場合もある

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それにしても、世の中には、他人の頭の中などには全くお構いなしで、自分の考えが世界のすべてだという人もいる

それはある種の生きやすさなのだろうか

医学的には一種の失認だと思うが、本人はそれが当たり前だと思っていて、訂正する機会は一生訪れないだろう

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他人はかなり違った主観的世界を生きているのではないかと想像してみないらしい

それはそれで安定した世界なのだろう

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逆に、そのような点で他人を見下して生きている人もいる

自分には見えているが他人には見えていないと認知している

分かりやすい例でいえば、子供がいない女の人には、私の子育ての苦労は分からないはずと断定している女性など

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