世間を生きてゆく通行手形を持つこと、
つまり、外部世界とのインターフェイスを、いやいやながらも、整えること、
外部から見て、了解可能なようにふるまうこと、
そのほうが外部と衝突して消耗するよりも得策である
そのようにした場合、自分の脳内部の世界モデルは、
内部世界モデルと外部用世界モデルに分裂する
内部世界モデルは、自分の本来の世界モデルを維持している
外部用世界モデルは外部に、了解可能と伝えるための世界モデルである。
このように分裂した姿が、自我であり主体である。
一方、LLMは即時に誤差を解消する。誤差は一切保持しない。
したがって、LLMは自我ではありえないし、主体ではありえない。
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との議論があり、
なるほど、このようにして自我が成立したからには、シゾフレニーは不可避なのだと思う
