ブラームスの思想を聴く、ということ

ブラームスの思想を聴く、ということの意味は、たとえば、上の音楽性についての話の中で語られているようなことだと思う。 この話が、全部正しくて、これで全てだとも思わない。 しかし、こういう方向の話である。

個人的には、私はバッハを聴くときに、必ずしも、キリスト教的な神を考えているわけではない。 たとえばマタイ受難曲の場合には、かなり色濃く、キリスト教を考えるけれども、それだけではない。 キリスト教を抜きにしても、心の慰めにもなり、勇気づけにもなり、感情の調整に役立つ。

鍵盤用の練習曲などは、直接のメッセージとしては弱いと思うが、むしろ、私はこちらの方を好んで聴く。 それは脳の活動をチューニングする(調律する)ことに役立つと思っている。 自分でも知らないうちに乱れてゆく脳の調律を整えることに役立つ。

私の場合は、バッハが好き、については、自分で見つけたものだ。
しかし、ブラームスが前頭葉を働かせて聴くものだということは、先輩の影響が大きい。
そのような、人との出会いと、音楽との出会いが、一体になっている。

ハンス・ホッターで聴くシューベルトの歌曲などが、影響の一つである。

私は個人的にはフリッツ・ヴンダーリッヒなどのほうが好きという気質があるけれども、しかし、ハンス・ホッターの良さを心から肯定する。それは音楽との出会いでもあり、人との出会いでもある。人生の偶然である。


Ständchen は、たぶん、多くの人がフィッシャー・ディスカウで聴くだろう。
フィッシャー・ディスカウやハンス・ホッターは、思想の次元に届いていて、前頭葉を働かせて聞く。
恋の感情も、感情のレベルにとどまらず、思想のレベルになっている。
純粋に恋100%というよりも、キリスト教を背景とした愛に近い要素も多くなっている。

フィッシャー・ディスカウは改めて、素晴らしいと思う。

この人たちに比較すると、Wunderlichは感情レベル要素が多いかもしれない。失礼な言い方だけれども、前頭葉成分が少し足りないかもしれない。

恋愛感情についても、これだけの違いがある。

こうした体験を通じて、恋愛感情にもレパートリーが増える。これは人生において、かなり重大なことなのかなと思う。

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