ナット・ターナーの告白 スタイロンによる振り返り

承知いたしました。
この序文は、ウィリアム・スタイロンが、彼の小説『ナット・ターナーの告白』が引き起こした激しい論争について、15年の時を経て振り返った、非常に重要な文章です。ここで彼が展開している主張の要点を、順を追って詳しく解説します。


INTRODUCTION(序文)の解説

作家と批評家、そして『ナット・ターナー』という例外

スタイロンはまず、作家が公の場で批評家について論じるのは「品位に欠ける」行為だという一般論から始めます。多くの作家は、自分を不当に攻撃する批評家、特に「自身も無害な小説を書いている英文学教授」に反論したい衝動に駆られるものだと、皮肉を込めて述べます。しかし、彼は『ナット・ターナーの告白』をめぐる論争に関しては、自分自身のために例外を設けたいと語ります。それは、1960年代の論争を蒸し返して自己弁護するためではなく、15年という歳月がもたらした客観的な視点から、あの「奇妙で騒然とした時代」について、自身の考えを整理する良い機会だと考えたからです。

「ヒーロー」は知られていなかったという事実

次に彼は、小説が出版される数ヶ月前の1967年夏に体験した、象徴的な出来事を回想します。マーサズ・ヴィニヤード島沖で、二人の黒人医師と釣りに出かけた際のことです。彼らはハーバード大学やコーネル大学を卒業したエリートでしたが、スタイロンの新作の主題がナット・ターナーであると聞かされても、全く何の反応も示さず、きょとんとして「その人物のことは聞いたこともない」と答えたのです。

このエピソードは、後にスタイロンが受けた批判の核心に対する、強力な反証となります。彼は『十人の黒人作家』という批判書の中で、「アメリカの黒人社会で普遍的に知られ、尊敬されていた英雄を冒涜した」と激しく非難されました。しかしスタイロンは、そもそもナット・ターナーという人物は、教養ある黒人の間でさえほとんど知られておらず、1831年の反乱に関する学術的研究も、信頼できるものは皆無に等しい状態だったと指摘します。

「黒人のヒーローを盗んだ」という批判への反論

スタイロンは、1967年以前にナット・ターナーが黒人意識の中で重要な存在だったという考えは「フィクション(作り話)」に過ぎないと断じます。黒人歴史家の業績を無視してヒーローを「復活」させた手柄を独り占めした、という批判に対しては、「歴史小説家が歴史家の業績に言及する義務など、いつからあったというのか?」と問い返します。

そして彼は、自身の小説以前には、信頼できる学者による重要な研究は、白人・黒人を問わず、ただ一つしか存在しなかったと主張します。それは、白人の共産党理論家であったハーバート・アプセカーによるものでした。そして皮肉なことに、そのアプセカー自身が、後にスタイロンを最も激しく攻撃する人物の一人になったのです。

批判の性質―理性を欠いたヒステリー

『ナット・ターナーの告白』は、アメリカの出版史上、一冊の本(『十人の黒人作家』)という形で、これほど即座に、かつ全面的に敵対的な攻撃を受けた初めての小説だった、とスタイロンは振り返ります。その攻撃は、公平さや紳士的な論戦のルールを完全に無視した、一方的なものでした。

批判者たちは、スタイロンの芸術性、歴史的・社会的責任、倫理観(「道徳的に老いぼれている」という言葉が最も記憶に残っていると記しています)、果ては彼の性的嗜好まで、容赦なく非難しました。スタイロンは、その攻撃の「野蛮さ」に最初は全く理解が追いつかなかったと告白します。しかし、その攻撃があまりにも理性を欠いた「ヒステリー」であったがゆえに、かえって彼は冷静に衝撃を受け止めることができたと分析しています。彼はそれを、議論の余地のある批評ではなく、1968年当時の混沌とした人種をめぐる政治情勢が生んだ、醜い現象の一部として理解したのです。

擁護者たちの登場と論争の終結

「救いがたい白人人種差別主義者」というレッテルを貼られ、脅迫まじりの電話や手紙まで受け取る中で、彼は不思議なほどの平静さを保っていました。それは「助けが来る」と予感していたからだと言います。

そして実際に、二人の中立的な歴史家が彼を擁護するために現れました。マーティン・デュバーマンと、特にユージーン・D・ジェノヴェーゼです。(スタイロンは「彼らが白人だったことが唯一の欠点だった」と皮肉を付け加えています。)ジェノヴェーゼが『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌に寄稿した長文の反論は、スタイロンに向けられた告発の一つ一つに理路整然と反論し、論争を事実上終結させる決定的な一撃となりました。しかし同時にそれは、アメリカの黒人知識人社会が、これほどヒステリックな攻撃しか生み出せなかったという悲しい事実を浮き彫りにした、とスタイロンは複雑な思いで振り返ります。

歴史家と小説家の違い―事実と想像力

最後にスタイロンは、自身の小説が、まるで「家内工業」のように、その後多くの歴史研究書を生み出すきっかけとなったことに触れます。彼は、歴史家たちが躍起になって自分の小説の「間違い」を正そうとすることに、ある種の当惑と皮肉を感じています。

彼は、歴史家が「実際に何が起きたかについての注意深い近似」を求めるのに対し、歴史小説は「事実からの飛翔」であり、事実の代わりに「想像力を働かせる権利と特権」を持つと主張します。特に、ナット・ターナーのように史料が乏しく、その実像がほとんど分かっていない人物については、小説家は自身の直感が必要とする分だけを知ればよいのだ、と断言します。

小説『ナット・ターナーの告白』は、「歴史についての瞑想」であり、「啓示された真実」を語るものではない。それは読者に、白人であれ黒人であれ、「ビジョンの中の想像されたビジョン」を共有するよう誘うものであり、そこに恐れたり憎んだりすべきものは何もないはずだ、と彼は静かに結論づけています。

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