長嶋茂雄とファン

昨日、NHKスペシャルで長嶋茂雄追悼特集。亡くなった日にはテレ朝・報道ステーションでとても長い時間、測っていないが、多分40分とかそのくらい、特集を流していた。
国民的話題で視聴率もとれる。
でも内容は、長嶋賛美は前半半分くらいで、あとは松井が主役になっていたりして、どうなんだろう。長嶋よりも松井がコンテンツとして今後も価値があるとの判断で、好意を表明しておきたいとの意図だろうか。
追悼賛美番組なので、家族関係のこととかいろいろは当然省略。あの一茂が一切出てないんだから。次女は映っていたし、遺影の前でのあいさつも流れていた。まあ、そんなところで、十分に何かは伝わるとの演出だろうか。
しかしそれでも、長嶋はファンのことをいつも第一に考えていたとかの話は、賛美なんだろうか。

政治家なんかでも、最近はますます、ポピュリズム的になっていて、
自分がどのような信念を持っていて、それに共感してくれるなら、そのような政治をやります、と言うのではなくて、
投票してもらえるようなことを言い続けて当選したがる、そんな人も増えた。
ファンが第一ですというのは、そんな路線なのかなと思わせてしまう部分があるかもしれないではないか。
もちろん、長嶋を知っている人は、そんなことは思わないだろうけれども。

人々が心酔している長嶋は、野球に闘志をむき出しにして挑んでゆく人間だ。
勝負の一瞬にすべてをかける人間だ。

それなのに、ショーマンのような言い方をして、それが賛美になるというのは、どういうことなんだろう。
お客様に喜んでもらいたいと思う人が何か演じて、そうすれば、一番効率的にお客さんを喜ばすことができるでしょうという、簡単な話になるのだろうか。
当時のプロ野球はそれだけでは済まないはず、相手も必死なのだから、阪神の村山にしても江夏にしても難敵だったのだから、ファン第一だけでは済まないだろうと思うけれども。

読売新聞のプロモーションの成功事例と言える。
だから結局は、マスコミとショービジネスの成功例と言えるのだろうけれども、追悼番組でそれを言われるのも嫌な感じだ。

そうではなくて、お客さん第一と言うのが、本当の意味で長嶋茂雄に対しての賛美だということなのだろうか。それが気にかかる。そんなことが賛美になるのか?

勝負に勝つということが、お客さんに対しての最大のサービスだという、最終的な、円満な終わり方、どちらにしても納得の結論、はあるとしても、だ。

何に燃えていたのか。客商売に燃えていたのか。そんなはずはないし、誤解する人もいないと思うが、それでも、何となく、腑に落ちない。

最近のマスコミの考えとしては、お客さん第一が美徳というこで一致しているのか。愚かな話ではないか。スポーツの英雄を讃えるときのポイントがそれなのか。

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