S-ARTモデル (Vago & Silbersweig, 2012) の概要

S-ARTモデル (Vago & Silbersweig, 2012) の概要

神経科学的背景

S-ARTモデルでは「自己」を機能的に複数のネットワークに分けて捉える。

ひとつは**叙述的自己(Narrative Self; NS)で、これは自伝的記憶や自己評価を媒介し、内側前頭前野(VMPFC)・前部帯状回(ACC)・後部帯状皮質(PCC)・海馬・視床下部などからなるデフォルトモードネットワークに対応するfrontiersin.org

もうひとつは経験的自己(Experiential Self; EES/EPS)**で、身体感覚・運動・知覚など現在の体験に基づく自己知覚を担うネットワークである。具体的には、脳幹・視床・大脳辺縁系(背側中央灰白質・偏桃体など)から後部・前部島皮質(PI/AIC)までの感覚身体フィードバック系や、視床上核や中脳被蓋、延髄などの求心性感覚路、さらに前頭眼野・頭頂間溝・補足運動野・前運動野・小脳・線条体・側頭頂接合部(TPJ)・側頭葉外側皮質など、多様な感覚‐運動ネットワークが含まれるfrontiersin.orgfrontiersin.org

加えて、前頭頭頂制御ネットワーク (Fronto-Parietal Control Network; FPCN) が自己関連情報の統合と実行制御を担い、注意システムや課題陽性/陰性ネットワーク間の切り替えを制御するとされるfrontiersin.org

マインドフルネス瞑想の実践は、これら自己ネットワークに神経可塑性をもたらすことが示唆されている。瞑想習慣者では経験的自己ネットワーク(体験に基づく意識)が活発化し、反対に叙述的自己(内省的・反芻的思考)が抑制される傾向が観察されるfrontiersin.org。例えば、瞑想中には前部島皮質や背側前頭前野が活性化し、内側前頭前野や後部帯状皮質の活動が相対的に低下することが報告されているfrontiersin.orgfrontiersin.org。この結果、瞑想により注意制御回路と感情制御回路の結合が強化され、課題遂行時と休息時のネットワーク切り替えが円滑になるとされるfrontiersin.org。実際、長期瞑想修習者では右前部島皮質の皮質厚増加や背外側前頭前野の機能維持が確認され、高齢化に伴う神経退行の緩和効果も示唆されている(Lazar et al., 2005ほか)frontiersin.orgfrontiersin.org。これらの知見から、S-ARTではマインドフルネスが自己特定ネットワークのバランスを再構築し、情報処理の柔軟性と全体的な脳機能の安定化をもたらすと考えられているfrontiersin.orgfrontiersin.org

哲学的意味

S-ARTは「自己」を静的な実体ではなく、知覚・感情・物語的認知などの動的プロセスの集合体と捉える。特に叙述的自己(自分にまつわる物語や信念)が歪むと、ネガティブな自動思考や反芻的思考が生じ、情動障害につながると考えられているfrontiersin.org。例えばBeckの認知モデルでは、外界の刺激を「自己」に関わる固定的スキーマでゆがめて解釈することがうつや不安の病因とされるfrontiersin.org。S-ARTはマインドフルネスを通じてこれらの歪んだ自己概念に気づき(自覚性)、脱中心化(de-centering)を促すことで自己への固執を緩和し、持続的な苦からの解放を目指すfrontiersin.orgfrontiersin.org。脱中心化とは、「自己」を客観的な一視点として眺め、考えや感情にとらわれない態度を育むプロセスである。

また、S-ARTにおける自己超越は、自己を固定された境界のある主体として見るのではなく、「自己を宇宙の一部として不可欠なものと意識すること」と定義されるjstage.jst.go.jp。これは仏教の無我・相互依存の思想に通じる概念でありjstage.jst.go.jp、マインドフルネス実践に伴う思いやり・慈悲の増大や利他的行動の増加が、自己他区別の軟化(自己超越)として説明されるfrontiersin.org。Vagoらも、マインドフルネスにより自己中心的な欲求が減少し、他者との一体感・共感が生じる過程を自己超越として位置づけているfrontiersin.org。結果として「より大きな全体の一部」としての自己を体験することで、ウェルビーイングが向上すると考えられる。総じて、S-ARTは自己を再構築可能なプロセスとして捉え、マインドフルネスにより変化させうるものと位置づける枠組みであるfrontiersin.orgfrontiersin.org

治療的側面

S-ARTの枠組みは、マインドフルネスを活用した各種心理療法への応用を示唆する。代表例として、うつ病ではマインドフルネス認知療法(MBCT)が再発予防に効果的であることが実証されている。大規模ランダム化試験で、MBCT群は抗うつ薬維持療法群と同等の再発防止効果を示しshinrinlab.com、最近のメタ解析でも有意な効果が報告されているshinrinlab.com。S-ARTの視点では、うつ状態では自己叙述ネットワークに取り込まれた否定的スキーマや反芻思考が持続するためfrontiersin.org、マインドフルネスによる注意制御と脱中心化がこれらからの解放に寄与し得ると考えられる。実際、短期のMBCT介入でもうつ症状が改善することが示されておりshinrinlab.com、注意制御・感情調節機能の回復が見られている。

双極性障害に対しても、MBCTを修正した介入研究が進んでいる。最新の報告では、双極性障害患者における再発予防や情動安定性にMBCTが有用である兆候が示されており、躁状態や抑うつ状態の周期的な変動が緩和される可能性が示唆されているshinrinlab.com。S-ARTの観点では、双極性では情動制御ネットワークの不安定性が問題になるが、マインドフルネス実践によって前頭前野の制御機能や非執着的な姿勢が強化されることで、気分変動の緩和につながると期待される。

統合失調症スペクトラムに対してもMBI(Mindfulness-Based Intervention)の臨床研究が進行中である。入院患者を対象とした質的研究では、MBI実践後に注意力・認知機能や症状的苦痛の改善が報告されており、幻聴・妄想の増悪などの有害事象は観察されなかったfrontiersin.org。精神病理学的に自己の異常(自己境界の崩壊や過度の内省)が統合失調症と関連するとされる中、S-ARTではマインドフルネスによる自己への気づきがこうした症状の認識や共感機能の改善を助ける可能性が示唆されるfrontiersin.org

その他の精神疾患にも応用範囲が広い。全般性不安障害やPTSD、OCD、物質依存症などに対してMBIが適用され、症状の軽減が示されているshinrinlab.com。例えば物質依存では、マインドフルネスに基づくリラプス防止プログラム(MBRP)の導入で再発率低下の報告があるfrontiersin.org。これらは診断横断的なトランスダイアグノスティック介入と位置づけられ、注意・非反応・曝露/再連結といったS-ARTの基盤プロセスが共通して活用されている。frontiersin.org。さらに、ACT(アクセプタンス&コミットメント療法)やDBT(弁証法的行動療法)など多くの現代的治療法にもマインドフルネス要素が組み込まれておりfrontiersin.org、S-ARTモデルはこれら既存療法と補完し合う理論的基盤となる可能性を持つ。総じて、S-ARTは神経科学的・認知的・哲学的観点からマインドフルネスの作用を体系化し、従来療法と組み合わせた包括的な治療モデルの枠組みを提供すると考えられているfrontiersin.orgfrontiersin.org

参考文献: Vago and Silbersweig (2012)frontiersin.orgfrontiersin.orgfrontiersin.org, その他関連論文jstage.jst.go.jpfrontiersin.orgfrontiersin.orgfrontiersin.orgshinrinlab.comなど。


デビッド・R・ヴァーゴとデビッド・A・シルバーズウェイグは、自己変容のためのシステムベースの神経生物学的モデル(S-ART)を提案し、自己認識、自己制御、自己超越を通じて感情調節不全の軽減と健全な心の発展を支える前頭頭頂皮質に焦点を当てています。特定の安静時状態ネットワーク(RSN)が、作動中の自己または「自己化」(selfing)の異なる側面を構成するものとして特定されています。

主なネットワークとその機能は以下の通りです。

  • 経験的能動的自己(EES)ネットワーク
    • 初期の、前反省的な、非概念的な世界処理をサポートします。
    • **中脳水道周囲灰白質(PAG)、中脳被蓋(MC)、視床、視床下部、後部島皮質(PIC)**といった相互接続された脊髄視床皮質領域に局在し、非意識レベルでの内受容フィードバックのモニタリング、解読、制御に関与します。
    • **前頭眼野(FEF)、前運動野(PMA)、および補足運動野(SMA)**も能動的な自己処理に不可欠です。
  • 経験的現象学的自己(EPS)ネットワーク
    • 反省や評価なしに、経験の直接的な主体であるという感覚を含みます。
    • **一次感覚皮質(S1)、背外側前頭前野(dlPFC)、背側前帯状皮質(dACC)、楔前部、および頭頂側頭接合部(TPJ)**が関与し、実行モニタリング、警戒、注意、パフォーマンスや覚醒レベルの監視、応答準備を促進します。
  • 物語的自己(NS)ネットワーク
    • **デフォルトモードネットワーク(DMN)**によって主にサポートされる、自己同一性の経験的または自伝的構築を指します。
    • DMNは、腹側後部内側皮質(vPMC、後帯状皮質[PCC]および後部脾嚢皮質[RSC]を含む)、腹側内側前頭前野(vmPFC)、後部下頭頂小葉(pIPL)、海馬、および外側側頭葉を含みます。
    • DMNの中核は「自己形成」ネットワークと見なされ、自伝的出来事や自己を含む個人の表象処理に主要な役割を果たします。
    • マインドワンダリング(自己生成または内部指向の認知期間中に注意が知覚から切り離される現象)も物語的自己をサポートします。
  • 統合的前頭頭頂制御ネットワーク(FPCN)
    • 自己関連情報処理の統合をサポートする最後のネットワークです。
    • **吻側前頭極前頭前野(FPC)、右腹外側前頭前野(vlPFC)、背内側前頭前野(dmPFC)、背側前帯状皮質(ACC)、背外側前頭前野(dlPFC)、前部島皮質(AIC)、外側小脳、および前部下頭頂小葉(aIPL)**を含みます。
    • FPCNは、RSN間の情報処理を調整するハブおよび監督的注意ゲートウェイとして記述されています。
    • ネットワーク全体の再編成と統合は、自己変容と臨床的健康転帰の改善をサポートすると考えられています。

  1. 神経内臓統合(neurovisceral integration)」: 自律神経系、注意系、情動系が抑制的なトーンの改善を通じて調節されます。
  2. 集中実践(concentration practices)」: 安定した集中力や柔軟で開かれた受容的な注意によって心を訓練します。
  3. 洞察(insight)」と「非二元(nondual)」実践: 自己の性質、精神的習慣、自己超越に対する洞察のための抽象的な瞑想的実践を統合します。
  4. 統一された慈悲の実践(unified compassion practices)」: 究極の現実の具体的な理解を記述し、思いやりのある行動、他者への奉仕、無条件の愛に対する利他的動機が容易に経験される発達の最高の状態であるとされます。
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