バッハが生まれたのはアイゼナハで、そこはルターの活躍した場所で、プロテステンティズムの中心地だった。
カール・リヒターが生まれたのはザクセンで、活躍を始めたのは、バッハが活躍していたプロテスタントの地域だった。聖トーマス教会はバッハが音楽監督を務めた教会で、そこのオルガニストをしていたリヒターはバッハの直接の後継者にあたる。そのような関係もあって、リヒターはバッハの精神を濃厚に受け継いだ。
その後、リヒターは西ドイツのミュンヘンに職を得る。ミュンヘンはカトリックの強い地域とのことでリヒターがミュンヘンバッハ合唱団を前任者から受け継いで改めて組織した頃は、その地域の人たちはカトリックの祭礼音楽をもっぱら歌っていた。よく訓練された合唱団だったが、バッハはあまり積極的に歌っていなかった。リヒターが就任してから、バッハのカンタータなど、プロテスタントが使う歌を歌い始めた。
団員の大部分はアマチュアで、声は小さく、不揃い。それでも、それぞれの考える信仰心を表現して自由にのびのびとうたっていると解説がある。
ドイツで、ルターの影響でプロテスタントが広がった地域と、カトリックが強かった地域とが入り混じっていて、そのことが政治的にどうだったとか、それを統一したのがだれでどのようにしたとか、そんな話が歴史の話であったように思う。ミュンヘンはバイエルンにあって、バイエルンは有名なカトリック地域だ。