モニカ・ベルッチ『マレーナ』(2000年)
夜── 街灯のほの暗い光の下、あなたは滑るように少しけだるく歩く。 薄絹のドレス。風を孕み、冷えた空気が生地を皮膚に押し当てる。 その瞬間、誰の目も、ただ一つの場所に吸い寄せられる。 腰のラインに沿って浮かび上がる、レースの縁取り。 すれ違う男たちの視線が、女たちのそれまでもが、息を呑むようにそこへ集まる。 通りを走る車のヘッドライトさえ、あなたに気づいて光を揺らす。 まるでウィンクするように──「ねえ、ベイビー……君は、罪深いほど美しい」
あなたは唇を緩め、ふっと首を反らして笑う。 すると風までが我慢できなくなったかのように、あなたの髪を優しく撫ではじめる。 夜の風は知っている。あなたの中の情熱。香り。欲望の密やかなざわめき。
セクシュアリティとは、ただ肌を晒すことではない。 多田の欲望ではない。衝動でもない。それは、沈黙の中で起こる、目に見えぬ変貌。引力は空間を歪める。あなたはすべてを吸引する。もう一つの人格。
たとえば、銀行の冷たいカウンターの前。 希望額は出ません、と無表情に言われ、あなたは悔しさに唇を噛む。 その瞬間、相手の目にかすかな火がともる。 「……できる限りのことをやってみます。 いえ、それ以上のことも……あなたのためなら」 言葉が熱を帯び、声の温度が変わる。 あなたの中の”女”が、頷いている。
あるいは、カフェの片隅。 夜更けのバーカウンターで、冷えたカップを指先でなぞりながら、 あなたは独り、彼らの会話に背を向けている。 少し退屈で、 けれどあなたの首筋を一粒の汗がゆっくりと伝う。その熱が彼の視線を引き寄せる。 あなたは少しくすぐったくて、ふと目を上げる。そこに光る目がある。 あなたを見つめる目。 もうわかっている。彼はあなたの重力にとらえられた惑星だ。
セクシュアリティとは、 体の奥で脈打つ熱。 それは、あなた自身すら驚くような力で、 周囲の空間を歪ませる。周囲を熱を帯びた活性体にで変えてしまう。他人の呼吸を狂わせる。 心の中でだけ鳴り響く音楽が、突然、世界じゅうに鳴り響く。 誰にも見えないものを彼は見ている。 ためらいを越えて前に出る衝動。狂おしく、もう一つの人格が、あなたの引力に導かれて動き出す。
それは、あなたも、彼も、自分でさえ制御できないもの。 夜の中で静かに息をしながら、 ひそやかに世界を揺さぶる。すっかり別の人間になって。
──それが、「セクシー」。