このような情景もある。
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平日の昼も毎日、7歳の息子が家でご飯を食べる。
昨春、入学したもののまもなく不登校になり、発達障害とわかった。
「保育園の頃から人が大勢いる場所が苦手で、運動会も逃げ出していました。入学式も危ないなあと思っていたら、案の定、正門の前でぱっと逃げ出してしまって」
落ち着いた口調で語る。
事前に小学校にも相談していたので、驚くのではなく「あー、ですよねという気持ちだった」と振り返る。
小2の現在は、週1コマ特別支援教室を利用し、放課後は毎日担任教師に会いに行き、宿題をもらっている。日中は、週3回理学療法士が来訪する。後者は東京都の助成で、無料だ。
日々のリズムが整っているように見えるが、暗中模索の時間は長く、今も考え出すと不安は尽きない。
「不登校って、まずどうしたらいいかわからない。情報がないので一から自力で調べて、なんとかここにたどり着いている感じです」
夫婦ともに会社員だが、夫がフルリモートで、昼食は彼の担当だ。
「息子は野菜を一切食べず、どんなに小さくてもきれいに避けてしまいます。昼は冷凍のチャーハンか納豆ご飯、インスタントラーメン、うどんなどが多いようですね」
夕食は、妻が在宅勤務の週2回担当で、夫が週3回だ。
偏食が激しく、新しいものを出して食べられないと、癇癪(かんしゃく)を起こす。そのため、限られたメニューをローテーションしている。
冷蔵庫には、息子と決めた曜日別朝食メニューのメモが貼られていた。月曜はチョコレート菓子のサクッチョ、火曜はオムレツ、水曜はピザトースト……。
「朝は食べたいものがなかなか決められず、こちらもあわただしいので困っていました。曜日表を作ることでスムーズになり、最近は表から自分で選ぶのにチャレンジしています。その分、夜は栄養を考えますが、こだわりが強くどうしても摂(と)れない栄養素があるので、サプリも併用しています」
自閉スペクトラム症とわかったとき、夫婦で交わした言葉は、「安心したよね」だった。
「状況がわかって、自分たちの気持ちが落ち着きました。それまでは、子どもがかわいいって思えないときがあって、辛(つら)かったので。よその子はみんなきげんよく見える。みんな子育て楽しそうだな、私だけなんでそう思えないんだろうと」
以来、子どもの状態をよく観察しながら夫婦で工夫を積み重ねるようになった。
たとえば、菓子はほうっておくと際限なく食べてしまうので、夫が空き箱にイラストを描いて中央に穴を開け、飴(あめ)ボックスを作った。「一日3個」と吹き出しに書いてある。中にどんな味の飴が入っているかわからず、くじ引きのようでいかにも楽しそうだ。
昼間はシッターにも来てもらっている。その際は1日100円など、都度金額を決めて大好きな駄菓子を買いに行っていいことにしている。自分で計算し、勘案しながら選んだものなので、限られた分量でも納得して味わえる。
「本人の気質も、本来おもしろくてひょうきん。ゲーム感覚で約束事を考え、いかに楽しく身の回りのことができるか、私たちも知恵を絞ります」
もともと夫は、料理だけでなくコーヒーを豆から挽(ひ)いたり、クラフトジンやシングルモルトウイスキーを堪能したり、シンクの冷蔵庫の間のすきまにワゴンを作るなど、心地よい暮らしを楽しむことがうまい。
「育児も積極的にかかわる、根の優しい人です」
しかし、不登校が始まって最初に悲鳴を上げたのは彼のほうだった。
救われた夫婦別々のカウンセリング
「平日子どもがいたら、夫も仕事にならない。宿題を教えていても、子どもは集中力がないのでつい“なんでちゃんとやらないんだ”と、声が出てしまう。すると、息子は癇癪を起こしてよけい手がつけられなくなってしまうんですね。どんどん夫は疲弊してゆき、日に日にお酒の量が増えていきました」
シッターを雇い、彼女も会社に事情を話し、時短勤務に切り替えた。
それでも思った。──このままだったら夫婦が壊れる。
わらにもすがる思いで区の家庭支援センターに相談をした。
それから、夫と妻別々に3、4回カウンセリングを受けた。
「夫が嫌がるかと思ったら、行ってくれて。互いの関係や、置かれた状況、子どものことも客観視できた。本当に行ってよかったです」
最初の1年は、たとえば食事ひとつも、子どもに対してバランスよく食べられるようになってほしいと頑張った。
だが頑張ってもままならぬことがあると学んだ今は、少し違う。
「生きてくれているだけでいいやって思います。暴れるより、3人で笑顔で食べている方が私も嬉(うれ)しいので」
できないことはたしかに多いが、こまかくみていると、できるようになっていることも多い。
最近も、家族の麦茶や、ケチャップ、マヨネースなどを食卓まで持ってくるようになった。
「それが支えになっています。学校へ行っていないというのはたしかに大きなことなので、そこに引っ張られがちだけど、でも毎日放課後は行っている。少しずつ、できるようになっていることが見つかる。それでいいなって」
今年は思い切ってPTAの役員を引き受けた。子どものためだけではない。
「自分が小学生の母であることをもっとエンジョイしたいと思ったんです」と、声を弾ませた。
おそるおそる会議に参加してみると、心を動かされた。みな、子どものことをよく考えている。冷静に俯瞰(ふかん)をしている。そして、「みんな優しいんです」
独身時代は新しい料理に挑戦するのが好きだった。いつか子どもと一緒に食べられる日に備えて、今は料理本をよく眺めている。
ちなみに、今いちばん作りたいものは。
「辛いマーボー豆腐と、野菜たっぷりのサラダ! あ、冬は鍋をしたいな」
明るいひざしが入る台所や居間は、我慢の何倍も、子どもと一緒に暮らしを楽しもうという夫婦の気持ちが満ちていて、にぎやかな空間だった。