ACとAは別の問題を抱えている

あなたのモデルをそのまま使うなら、

まず ACとAは別の問題を抱えている ように見えます。

  • AC = 怖い、傷つきたくない
  • A = ACを守るために監視している

です。

だから、

  • ACを安心させる方法
  • Aを安心させる方法

は違うかもしれません。


ACへのアプローチ

ACは、

「もし汚染されたらどうしよう」

「もし病気になったらどうしよう」

を抱えている存在です。

ここで治療者は普通、

「大丈夫ですよ」

と言いたくなります。

しかしACは賢いので、

「100%大丈夫と言えるのですか?」

と聞いてきます。

そして正直に言えば、

100%大丈夫とは言えません。

だから、

「大丈夫」と説得する戦略は弱い。

むしろ、

「もし汚染されても、人間には回復する力がある」

「もし失敗しても、対処できる」

という方向が有効かもしれません。

つまり

危険の否定ではなく、対処能力への信頼

です。


例えば、

子どもが自転車に乗るとき、

「絶対転ばないよ」

とは言えません。

しかし、

転んでも立ち上がれる

とは言える。

ACが求めているのは、

実は後者かもしれません。


Aへのアプローチ

こちらが難しい。

Aは警備員です。

警備員に

「泥棒はいないよ」

と言っても、

警備員は仕事をやめません。

むしろ、

「そう言う時ほど怪しい」

と思います。


だからAには、

安全を証明するのではなく、

役割の再定義が必要かもしれません。

例えば、

現在のAは

不潔を見つけること

を仕事にしている。

しかし新しい仕事は

本当に重要な危険だけを通報すること

です。


これは品質管理に似ています。

品質管理者が

すべての商品を不良品扱いしたら、

会社は止まります。

優秀な品質管理者は、

不良を見逃さず、

正常品も正常品と判定できる。


するとAへのメッセージは

「もっと厳しく見ろ」

ではなく、

「正確に見ろ」

になります。


Aが安心する条件

さらに考えると、

Aは本当に不潔を恐れているのでしょうか。

私は少し違う気がします。

Aが恐れているのは、

「見逃してしまうこと」

です。


だからAは、

不潔を発見すると安心する。

奇妙ですが、

Aにとっては

「やっぱり危険だった」

の方が安心なのです。

予想が当たったからです。


するとAの深い恐怖は、

「自分が間違っていた」

かもしれません。


ここからの仮説

もしそうなら、

ERPの本質も変わります。

従来は

「何も起きなかったでしょう」

と示す。

しかしAからすると、

これは敗北体験です。

だから抵抗する。


別のやり方として、

Aに

「あなたが間違うことは許される」

を教える。


例えば治療場面で、

Aさんは今日も危険だと判断したね。

でも今回は違ったね。

間違ったけれど、そのことで誰も責めないよ。

という関わり方です。


これは、

「危険はなかった」

より、

「間違っても大丈夫」

を学習する方法です。


あなたの理論をさらに進めると、

強迫症の核心は

「汚染恐怖」

ではなく、

Aが自分の誤判定を許せないこと

かもしれません。

ACは汚染を恐れている。

Aは誤判定を恐れている。

だから治療とは、

ACに安全を教えることだけでなく、

Aに

「間違っても世界は壊れない」

を学習してもらう過程なのではないか、

という方向が考えられます。

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