加藤から見て日
本思想史上トップクラスの知識人に数えられるのはおそらく安藤昌益であり、決して頼山陽で
はない。ひとり安藤昌益は、儒・仏・『記』『紀』神話をしりぞけて、独自の自然哲学を主張し
たばかりでなく、徳川体制に真向から反対した一八世紀(および以前)におけるほとんど
唯一の思想家であった。
自然の秩序と社会の秩序とを、「理」の一貫性によってむすびつ
けようとしたのは、宋学または理学である。これは時代の社会制度をいわば自然法的に基
礎づけようとした立場であり、宋学に対して、社会制度を全く人為的なものとしたのが、
徂徠であり、賀茂真淵であり、安藤昌益であった。
社会と自然の秩序を峻別した上で、徂
徠は自然を語らず、社会とその歴史を語った。徂徠の立場とは逆に、初期の国学者真淵と
昌益に共通していたのは、人為的な社会制度を廃して「自然のままに」生きることを理想
としたという点である 。その理想を真淵は過 去に投影し(日本史の 古代、彼のいわゆる
「いにしへ」)、昌益 は未来に投影した(一 種の「ユートピア」、 そのいわゆる「自然
世」) 78
自然の秩序と人為的な社会制度を区別したのは荻生徂徠も安藤昌益も同じである。しかし、
荻生徂徠は人間の人為的な面を強調するのに対して、安藤昌益は人間本来の自然の面を強調す
るのであるという。
加藤は詩人の「理想」を一概にして否定するのではなかった。「人為的な
社会制度」は確かに目の前にある現実ではあるかもしれないが、そのすべての現実が人間本来
の自然の真実であるとは限らない。その場合、「現実」ではないが、「理想」のほうが現実の
社会制度よりも自然の真実に近いだろう。加藤の安藤昌益に対する賞賛から加藤自身も安藤昌
益の思い描くユートピアに共鳴できたに違いないと考えられる。
頼山陽と安藤昌益の二人とも非現実的な「詩人」なのだが、しかし加藤が二人への評価が異
なるのはなぜだろう。もし加藤にとって詩的な「理想」は二種類に分けることができるなら、
おそらく一つは真実の自然と人間の主体に基づいた理想であり、もう一つは完全な主観、真実
の自然からかけ離れた自己中心的な理想であろう。その場合は安藤昌益が前者であり、頼山陽
は後者である。加藤周一はこの両者を区別し、前者を肯定し、後者を批判したのである。
