加藤周一は日本知識人のパターンを「孤立した傑作の系列」という
表現を使ってつなぎ合わせた。「孤立した傑作の系列」とは日本の集団主義を超越した人物の
ことである。集団主義を超えた原動力は真実への追求である。その中でも真実を求めて現実的
な理想を持った人物を特に評価した。加藤は知識人の理想像を「孤立した傑作の系列」とし、それには共通の特徴がある:①個別
事項の事実を尊重する科学的な精神、②個別事項の相互の関連性を重視した包括的または全体
的視野、③普遍的な世界観を持った日本人たちである。彼らの中には時代の主流ではなく非主
流の「例外」として歴史舞台に出現したが、彼らの精神が次第に後の時代の知識人に受け継が
れてやがて時代の主流になった人も少なくない。例えば疎外された古代人の山上憶良と妥協しない現代人の石川淳がその典型である。彼らは自分の生きた時代では多少異質な存在であった
が、やがて後の時代に評価されるようになるというのである。加藤周一がこのような視点で描いた「孤立した傑作の系列」の中に「憶良型」の知識人とい
う表現が文脈全体に浮かびあがってくる。
「憶良型」の 日本人が長い時代の
中で機能し続けてきて現代に至る。加藤周一自身もその系列を構築した人間としてその系列の
終点に立つ一人として輝く。
加藤周一が『日本文学史序説』の中で手掛けた最初の時代は七
世紀の日本である。彼は七世紀から八世紀までの支配層文学について、「土着の此岸的世界観
の枠組のなかで、現世享楽主義へ向い、短詩形のなかで、身辺の日常的光景に題材を限定しな
がら、その感覚を洗練する傾向」 84があると指摘した。それと同時に、「しかし例外はあった
し、文学と思想の歴史においては、しばしば例外が重要である」 85と明言し、更に阿倍仲麿と
山上憶良を例として挙げた。そして、「外国文化の「挑戦」に応じて傑作を生んだ少数の知識
人の文学は、憶良以来日本文学の歴史を一貫して、一箇の系列をつくることになるだろう。そ
の時代のなかで孤立した傑作の系列。」 86と宣言した。これを契機に、加藤は九世紀以降の知識人について「憶良型」というような表現を使い始め
る。例えば、九世紀の知識人の「憶良型」の典型は紀貫之と菅原道真である。九世紀の社会的な特徴の一つは、八世紀には孤立していた憶良型の知識人官僚がようや
く群を成してあらわれはじめたということである。 87貫之・道真に代表される九世紀末の知識人文学の成立は、その後の日本文学史を視野に
入れるとき、まさに画期的であったといわなければならない。 88加藤は道真と貫之のような「憶良型」の知識人は平安時代になって輩出するようになったと
いう。つまり、八世紀までの「例外」は九世紀以降になると「例外」ではなくなったのである。
