抒情詩の中心が恋の歌であることには変化がなく、そこにあらわれた世界観が徹底して
此岸的であり、当人の今・此処における感情の動きに従い、どういう種類の超越的な原
理や価値をも介入させようとしていないという点では、七世紀およびそれ以前からの伝
統の枠のなかにとどまる。
天平の仏教美術の黄金時代にさえも、仏教の彼岸思想は、貴
族支配層の心を捉えていなかった。彼らの教養は、大陸の詩文の学習を主な内容として
いたが、政治社会問題に好んで触れる中国的な文学観は、『懐風藻』にも、『万葉集』
にも、ほとんど全く反映していない。
かくして七世紀から八世紀へかけての支配層の文
学は、土着の此岸的世界観の枠組のなかで、現世享楽主義へ向い、短詩形のなかで、身
辺の日常的光景に題材を限定しながら、その感覚を洗練する傾向を示していたのである。
七世紀およびそれ以前の日本の世界観は「此岸的」で、「当人の今・此処における感情」が
行動の原動力である。そしてそのような素朴な世界観はどんな超越的な原理や価値にも影響さ
れないという。しかもこのような土着世界観の構造はあらゆる階級と関係なく当時日本全体の
一般的な世界観であるという。『万葉集』にあらわれた土着世界観の構造が、首都と地方、貴族官僚と農民大衆におい
て、根本的にちがうものではなかった。此岸的・非超越的・日常的世界の現在。大陸文
化、殊に儒・仏・神仙思想との接触も、その構造を、少なくとも『万葉集』の時代に、
変えるものではなかった。来るべき時代におこり得ることは、このような土着世界観に
よる外来文化の「日本化」であり、土着世界観そのものの内容の「分化」とその表現手
段の「洗練」ということになるはずである。
つまり万葉集の時代の日本人は土着世界観のままで、それ以降の時代は土着世界観を以て外
来思想を「分化」したり「洗練」したりして「日本化」していったということである。
