・BZD系睡眠導入剤は認知症とどう関係しているか。原因結果なのか、相関なのか、統計的な別の解釈があるのか。現在の議論をまとめてください。
・エビデンスとして、「BZDはデメンツの原因」と結論できるのか。
・エビデンスとして、BZDをやめてオレキシン系を採用すべきと結論できるのか。
★
この議論全体を見ると、論点は大きく分けて5層あります。
1. 何が本当に争点なのか
実は、議論が混線しています。
「BZD(ベンゾジアゼピン系)が認知症を起こすか?」という問いの中に、少なくとも以下が混ざっています。
- 認知症そのもの(神経変性疾患)
- 一時的認知機能低下(健忘・せん妄)
- 転倒・骨折・ADL低下
- 依存・耐性・離脱困難
- 不眠そのものの害
この区別をしないと議論が崩れます。
2. 現在のエビデンス:BZDは「認知症の原因」と結論できるか
結論から言うと、
- 「因果関係が証明された」とは言えません。
- 「関連がある可能性」は繰り返し示されています。
- A. 認知症リスク上昇を示した代表研究
- B. しかし最大の問題は「逆因果」
- C. 否定的研究もかなり存在する
- エビデンスは一方向ではありません。
- 「認知症原因だから」
- A. 転倒・骨折
- B. せん妄
- C. 依存・離脱
- D. 睡眠構造の問題
- ここも「関連」であり因果確定ではありません。
- A. なぜ期待されているのか
- B. 注目論文
- 「アルツハイマー病理を抑える可能性」
- しかし極めて重要なのは:
- ① BZDは短期使用なら有用
- ② ただし長期漫然投与は避ける
- ③ 「認知症原因」とはまだ断定できない
- ④ オレキシン系は有望だが、まだ歴史が浅い
- 「睡眠をどう考えるか」
- BZD系睡眠薬と認知症リスク:論点の整理
- 一、BZDが認知症を引き起こすか:エビデンス総括と因果関係の評価
- 二、BZDをやめてオレキシン系を採用すべきか
- 三、議論全体から見える合意点と残された論点
「因果関係が証明された」とは言えません。
ただし、
「関連がある可能性」は繰り返し示されています。
つまり現在の学術的コンセンサスは、
「BZD使用者で認知症発症率が高い研究は多い。しかし逆因果・交絡を除去できず、“BZDが認知症を起こす”と断定はできない」
です。
A. 認知症リスク上昇を示した代表研究
ユーザー文中にもある:
- PAQUID study(フランス)
- HR 1.60
- 「BZD使用で認知症増加」
これは有名研究です。
また、観察研究・メタ解析では、
- 長期使用
- 高齢者
- 長時間作用型
- 累積投与量増加
でリスク上昇を示すものが多数あります。
B. しかし最大の問題は「逆因果」
これが極めて重要です。
認知症前駆期では:
- 不眠
- 不安
- 抑うつ
- 易刺激性
が数年前から出現します。
つまり、
「認知症になり始めた人が、不眠でBZDを処方されていた」
可能性が非常に高い。
これは文中でも複数人が指摘しています。
C. 否定的研究もかなり存在する
ユーザー文にある:
- Osler et al., AJP 2020
- デンマーク26万人
- 「BZDは認知症リスク増加なし」
これはかなり重要な反証研究です。
つまり、
エビデンスは一方向ではありません。
3. では、なぜ世界的に「BZD回避」方向なのか
ここが非常に重要です。
実は現在のBZD回避は、
「認知症原因だから」
だけではありません。
むしろ主因は:
A. 転倒・骨折
特に高齢者。
BZDには:
- 筋弛緩
- ふらつき
- 反応遅延
があります。
これはかなり一貫してエビデンスがあります。
B. せん妄
高齢入院患者で非常に重要。
BZDは:
- 夜間せん妄
- 意識混濁
- 認知変動
を悪化させやすい。
これは臨床現場で強く実感されています。
C. 依存・離脱
これは最もコンセンサスが強い。
特に:
- デパス
- ハルシオン
- 長期連用
問題。
世界的に日本はBZD処方量が多いことも長年指摘されています。
D. 睡眠構造の問題
これは近年重要視。
BZDは:
- REM睡眠減少
- 深睡眠変化
を起こします。
ユーザー文でも引用されている:
- REM減少 ↔ 認知症リスク
という研究群は、現在かなり注目されています。
ただし、
ここも「関連」であり因果確定ではありません。
4. 「オレキシン系を採用すべき」と結論できるか
これも、
「まだ結論できない」
が正確です。
A. なぜ期待されているのか
オレキシン受容体拮抗薬:
- スボレキサント
- レンボレキサント
は、
- 依存性が比較的少ない
- 筋弛緩が弱い
- 睡眠構造が比較的自然
とされます。
B. 注目論文
ユーザー文の:
Lucey et al.
“Suvorexant Acutely Decreases Tau Phosphorylation and Aβ”
これは非常に重要。
内容は:
- スボレキサント投与で
- Aβ低下
- タウリン酸化低下
が見られた。
つまり:
「アルツハイマー病理を抑える可能性」
が示唆された。
しかし極めて重要なのは:
これは、
「短期バイオマーカー研究」
です。
まだ、
- 認知症発症予防
- 長期認知機能維持
を証明したわけではありません。
つまり:
「脳脊髄液マーカーが改善した」
≠
「認知症予防できた」
です。
ここを飛躍してはいけません。
5. 現在の実質的コンセンサス
現在の国際的立場をかなり単純化すると:
① BZDは短期使用なら有用
これは多くの臨床医が認めています。
特に:
- 急性不安
- 急性不眠
- 強い苦痛
では即効性が高い。
② ただし長期漫然投与は避ける
理由:
- 依存
- 転倒
- せん妄
- 耐性
- 高齢者有害事象
③ 「認知症原因」とはまだ断定できない
ここは重要。
現在は:
“possible association”
レベル。
④ オレキシン系は有望だが、まだ歴史が浅い
長期安全性は未確定。
ユーザー文でも多くの臨床医が言うように:
- 持ち越し
- 悪夢
- 朝の頭重感
は現実にあります。
6. この議論の本質
この議論の核心は実は:
「睡眠をどう考えるか」
です。
近年の流れは:
- 「眠れない→薬で眠らせる」
から、
- 睡眠衛生
- CBT-I
- 活動性
- サーカディアンリズム
- 光
- 運動
- 孤独
- 不安
- 老年期変化
を含めた全体モデルへ移っています。
ユーザー文でも、
「高齢者は8時間必要ない」
「眠りたいより忘れたい」
という指摘は非常に本質的です。
最終整理
現時点のエビデンスとして最も妥当なのは:
| 論点 | 現在の結論 |
|---|---|
| BZDが認知症を起こす | 未証明 |
| 関連性 | ある可能性 |
| 長期高齢使用 | 慎重推奨 |
| 依存・転倒・せん妄 | エビデンス比較的強い |
| オレキシン系が認知症予防 | 未証明 |
| オレキシン系の将来性 | 有望だが未確定 |
| 第一選択 | 非薬物療法重視へ移行中 |
非常に重要なのは、
「BZD=悪」
「オレキシン=善」
という単純図式には、現在のエビデンスは到達していません。
一方で、
「高齢者への長期漫然BZD処方には問題がある」
については、かなり広いコンセンサスがあります。
★
ご提示いただいた専門家同士の議論は、非常に多角的かつ対立的な視点を含んでいます。結論から申し上げますと、「単純な正解(唯一の正解)はなく、エビデンスの解釈と臨床的な判断が分かれている」状態です。
以下に、議論の要点と、ご質問に対するエビデンス的な考察をまとめます。
1. 専門家の意見の集約と論点まとめ
論点は大きく分けて以下の4つの軸で構成されています。
① BZD系薬剤と認知症の因果関係
- リスクありとする派: レム睡眠の減少が認知症リスクを高めるというメカニズムや、一部のコホート研究(PAQUID研究など)を根拠に、使用が認知症リスクを上昇させると主張。
- 否定・懐疑派: 「因果関係」ではなく「相関関係」に過ぎない。認知症の初期症状として不眠が現れ、その結果としてBZDが処方された(逆の因果関係)だけである。また、生活習慣や併存疾患(糖尿病等)の影響の方が大きいと主張。
② 身体的リスク(転倒・依存)
- リスクありとする派: BZD特有の「筋弛緩作用」が高齢者の転倒・骨折を招き、それが寝たきりから認知症へ繋がる経路を危惧。また、耐性と依存による増量サイクルを問題視。
- 懐疑派: BZDを使っていても問題なく過ごしている高齢者は多く、過剰に恐れる必要はない。
③ オレキシン受容体拮抗薬(ベルソムラ等)への評価
- 推進派: 最新の論文(Annals of Neurology 2023)を根拠に、アミロイドβやタウの蓄積を抑制し、むしろ認知症予防に寄与する可能性があると期待。
- 慎重派: 症例数が少ない。翌朝の持ち越し(頭重感)や悪夢などの副作用があり、BZDの方が「キレが良い」場合もある。製薬会社のマーケティング戦略に踊らされている面があるのではないかと指摘。
④ 診療姿勢と哲学
- 新薬・ガイドライン重視: 世界的なトレンド(欧米のベンゾ回避)に従い、適切な薬剤への切り替えと睡眠衛生指導を行うべき。
- 経験・個別性重視: 長年安定して使用している患者に無理に切り替えるリスク(不安増大や不眠悪化)を考慮すべき。新薬=良薬という資本主義的思考への警戒感。
2. エビデンスとして「BZDはデメンツ(認知症)の原因」と結論できるか
結論:現時点では「直接的な因果関係を確定させる決定的なエビデンスはないが、リスクを高める相関関係は強く示唆されている」といえます。
- 結論づけられない理由:
- 逆の因果関係: 「認知症になるから眠れなくなり、薬を飲んだ」のか、「薬を飲んだから認知症になった」のかを完全に分離することが困難。
- 交絡因子: 孤独、ストレス、生活習慣など、不眠と認知症の両方に影響を与える要因が多すぎる。
- リスクありとされる根拠:
- 一部の追跡調査でBZD使用者の認知症発症率が高い傾向が出ている。
- レム睡眠の抑制という生理学的なメカニズムが提示されている。
- 一時的な「健忘(記憶喪失)」が認知症のように見える。
3. エビデンスとして「BZDをやめてオレキシン系を採用すべき」と結論できるか
結論:「一律に結論づけることはできないが、新規処方においては推奨される傾向にあり、切り替えは個別判断である」といえます。
- 採用すべきとする根拠:
- 安全性: BZDのような筋弛緩作用がなく、転倒リスクを(相対的に)低減できる。
- 潜在的メリット: 脳内老廃物の除去に関わるメカニズムへの好影響(タウ・アミロイドβ低下)が報告されており、理論上のメリットがある。
- 慎重であるべき理由:
- 離脱症状: 長期使用したBZDを急にやめると、激しい反跳性不眠や不安が生じ、かえってQOLを著しく低下させる。
- 個体差: オレキシン系が合わない(持越し感が強い、悪夢を見る)患者も一定数存在する。
- エビデンスの質: 認知症予防に関する論文はまだ症例数が少なく、長期的な大規模データによる検証が必要。
全体的なまとめ(サマリー)
| 項目 | ベンゾジアゼピン系 (BZD) | オレキシン受容体拮抗薬 |
|---|---|---|
| 認知症との関係 | リスク増大の報告あり(因果関係は議論中) | 予防の可能性が示唆(検証中) |
| 主なリスク | 依存、耐性、筋弛緩による転倒、健忘 | 翌朝の持ち越し感、悪夢 |
| 現在のトレンド | 世界的に縮小傾向(特に高齢者) | 拡大傾向(第一選択への移行) |
| 判断のポイント | 安定している長期服用者は慎重に判断 | 新規導入時は優先的に検討される |
★
BZD系睡眠薬と認知症リスク:論点の整理
以下に、専門家の意見を整理し、エビデンスの評価をまとめます。
1. 論点の整理
議論は大きく「BZDが認知症を引き起こすか」と「BZDをオレキシン系に切り替えるべきか」の2軸に収束しています。
BZD支持側の主な主張
- デンマーク高齢者約26万人のコホート研究(Osler et al., AJP 2020)では、BZD使用は認知症リスクを高めないと結論づけている
- 「BZD使用者に認知症が多い」という相関は、逆因果(認知症初期の不眠にBZDが処方されている)の可能性が高い
- 転倒・依存が問題なのであって、認知症との直接因果は証明されていない
- オレキシン受容体作動薬も持ち越し・悪夢・ふらつきの副作用があり、転倒リスクが完全に消えるわけではない
- 「ベンゾが神経細胞死を引き起こす証拠」がない限り、理論的に認知症悪玉説は成立しない
BZD懐疑・回避側の主な主張
- フランスのPAQUID研究(BMJ 2012)では、BZD新規使用者の認知症ハザード比が1.60(95%CI: 1.08–2.38)と有意に上昇
- BZDはREM睡眠を減少させ(Ribeiro et al., CNS & Neurological Disorders 2023)、REMの減少自体が認知症リスクを高める(Pase et al., Neurology 2017)
- 依存・耐性・転倒・せん妄リスクは明白であり、国際的に処方縮小の方向性が明確
- 不眠治療の根本はCBT・睡眠衛生指導であり、薬物療法はあくまで補助
交絡・方法論的問題として指摘されている点
- 「不眠→認知症→BZD処方」という逆因果バイアスを排除しきれていない
- 認知症の真のリスクは、糖尿病・高血圧・孤独・運動不足など生活習慣要因であり、BZDの寄与は小さい可能性
- 観察研究では、どんな研究デザインでも最終的な因果の確定は困難
2. エビデンス評価:「BZDは認知症の原因か」
結論:因果関係は証明されていない。相関はあるが、逆因果・交絡の可能性が高い。
| エビデンス | 内容 |
|---|---|
| PAQUID研究(BMJ 2012) | BZD新規使用でハザード比1.60。ただし前向き観察研究であり因果断定は不可 |
| Osler et al.(AJP 2020) | デンマーク26万人でBZDは認知症リスクを高めないと結論 |
| REM睡眠減少メカニズム | BZD→REM低下→認知症リスク上昇という間接経路の可能性はある |
| 動物実験・生化学的証拠 | BZDがアミロイドβやタウに影響するデータは現時点で限定的 |
現時点では「相関あり、因果不明」というのが科学的に最も誠実な表現です。ただし、証明されていないことは安全を意味しません。
3. エビデンス評価:「BZDをやめてオレキシン系に切り替えるべきか」
結論:方向性としては妥当だが、全例切替を強く推奨するエビデンスはまだない。
オレキシン系(スボレキサント/ベルソムラ、レンボレキサント/デエビゴ)の優位点
- Lucey et al.(Ann Neurol 2023):スボレキサント20mg投与でCSF中のタウリン酸化・アミロイドβの低下を確認。認知症予防の可能性を示した唯一の介入的データだが、対象12人と少数。RCTの結果待ち
- 筋弛緩作用がなく、転倒リスクの機序が異なる(ただし持ち越しによる転倒はゼロではない)
- 依存性・耐性が形成されにくい
限界・注意点
- 悪夢・翌朝の眠気・頭重感などの副作用は臨床で報告されている
- Ann Neurol論文はクラスエフェクトかスボレキサント特有の効果かが未検証
- 長期的な安全性・有効性はまだ10〜20年のデータがない
実践上の指針(議論の収束点)
- 高齢者の新規処方:オレキシン系またはラメルテオンが第一選択
- 長年安定してBZDを服用中の患者:無理な変更不要(転倒リスクの経時的評価は継続)
- せん妄・骨折リスクが顕在化した場合:切り替えの積極的検討
- 全例に対してBZDを一律禁忌とするエビデンスは現時点では存在しない
まとめ
「BZDは認知症の原因」とは現時点では断言できない。ただし、依存・転倒・せん妄リスクは明白であり、特に高齢者の新規処方は慎重に。オレキシン系への移行は生物学的合理性があり方向性として妥当だが、全員への強制的切り替えを支持する確定的エビデンスは未完成。臨床的判断と個別評価が依然重要。
★
一、BZDが認知症を引き起こすか:エビデンス総括と因果関係の評価
【結論】確定的な因果関係を結論することはできません
ベンゾジアゼピン系睡眠薬(以下BZD)と認知症の関連については、専門家の間でも意見が分かれており、数十件にわたる観察研究が相反する結果を示しています。議論のファイル内でも指摘されている通り、「ベンゾジアゼピン系睡眠薬が認知症を引き起こすか」という問いに対して、現在のエビデンスでは「因果関係あり」と確定的に結論することは困難です。
【エビデンスの階層別にみる現状】
① メタアナリシス:関連性を示すが因果は不明
複数の系統的レビュー・メタアナリシスは、BZD使用と認知症リスクの間にある程度の統計的な関連性を示しています。2024年に発表された系統的レビューおよびメタアナリシスでは、BZD使用群では非使用群と比較して認知症のオッズが78%高いという結果が報告されています(OR 1.78; 95% CI 1.33-2.38)。また、BZD関連薬を含めた既存のレビュー研究では、メタアナリシスのオッズ比は1.38〜1.78の範囲にわたっています。多くの合成研究は、「BZD/BZRDの使用と高齢者における認知症リスクの上昇との間に関連性を示唆する」と結論しています。
ただし、これらのメタアナリシスを構成する個々の研究には、研究デザインや測定方法に関する相当な臨床的・方法論的異質性が存在し、それが因果関係の確立を困難にしています。
② 最も強い反証:デンマークの大規模コホート研究
参加者の議論の中でも引用されている、2020年6月号のAmerican Journal of Psychiatryに掲載されたOslerらの研究は、デンマークの高齢者約26万人を対象とした大規模コホート研究であり、「BZD使用は認知症リスクを高めない」との結論を出しています。
この研究の知見は特に重要です。なぜなら、これほど大規模なサンプルでネガティブな結果が得られていることは、BZD認知症仮説に対する最も有力な反証の一つだからです。
③ 2024-2025年の最新研究:逆因果・交絡の観点から見直し
2025年に発表されたカナダの症例対照研究(1082例の認知症症例と4262例の対照)は、BZD曝露と認知症リスクの関連性を検討した結果、その関連性の多くが診断前4年間の前駆症状期間に限定されることを示しています。すなわち、認知症の初期症状として出現する不眠や不安に対してBZDが処方された結果として、「BZD使用者に認知症が多い」という観察結果が生じている可能性が強く示唆されています。これが「適応症による交絡(confounding by indication) 」および「逆因果(reverse causation) 」と呼ばれるバイアスです。
また、カナダでのもう一つの大規模コホート研究では、多変量調整後に認知症リスクの上昇はごくわずかであることが示され、糖尿病や心血管疾患、うつ病や不安症などの基礎疾患を適切に調整すると関連性が消失することが報告されています。結論として、「BZDが認知症の有意なリスク因子とはみなされない」とされていますが、耐性、依存性、有害事象から長期使用には注意が必要とされています。
④ 「BZDが認知症の原因」と結論できない理由
因果関係を確立するためには、(a) 時間的先後関係、(b) 量反応関係、(c) 生物学的妥当性、(d) 交絡要因の除外などが必要です。これらすべてを満たす明確な証拠は現在のところ存在しません。最大の問題は「プロトパシック・バイアス」すなわち、認知症の初期症状である睡眠障害や不安に対してBZDが処方されるという点です。この逆因果の可能性は、最近の研究によりますます強調されています。
なお、議論の中で「認知症の根本的な原因は神経細胞死であり、BZDが神経細胞死を惹起する証拠がない限りBZD悪玉説は理論的に成立しない」という意見が出されていました。この視点は重要です。ただし、BZDによる認知機能への影響(健忘効果など)が認知症と誤解されることがあるという別の論点もあります。
【エビデンスの解釈についての専門家の総意】
議論を総合すると、以下の点でコンセンサスが得られていると考えられます。
コンセンサスが得られている点
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 睡眠不足自体が認知症リスクである | 不眠が認知症の独立したリスク因子である可能性は否定できない |
| BZDの使用には他のリスクがある | 転倒・骨折、依存性、耐性、運転事故、せん妄などのリスク |
| 認知症予防目的でBZDを漫然と長期処方すべきでない | 特に高齢者ではリスクがベネフィットを上回る可能性 |
コンセンサスが得られていない点(今後の検討課題)
| 課題 | 内容 |
|---|---|
| BZDの直接的因果関係 | 長期コホートやRCTでの検証が必要 |
| 使用期間・累積量の閾値 | 何年・何mgからリスクが上昇するかは不明 |
| 薬剤間の差 | 半減期の長短でリスクが異なるかは議論が分かれる |
結論(エビデンス総合): 「BZDは認知症の原因である」と確定的に結論することはできません。しかし、「BZDと認知症リスクとの間に統計的な関連性は存在する」と言うことは可能です。その関連性の多くは交絡および逆因果によって説明される可能性があります。このため、議論の中である参加者が「因果関係は別なので、最終的には因果関係は否定的と言うことでよい」と述べているのは妥当な見解と言えます。ただし、認知症予防の観点からの直接的な安全性については議論が分かれており、明確な結論は出ていません。
二、BZDをやめてオレキシン系を採用すべきか
【結論】現在のエビデンスからは「すべき」とは結論できません
BZDからオレキシン受容体拮抗薬への切り替えを積極的に推奨できるだけのエビデンスは、確定的なものではありません。議論の中でも「BZDはダメでオレキシンは良いというのは納得できない」という意見や、「オレキシン受容体拮抗薬は癖が強く使いにくい」という意見があり、この点についてもコンセンサスは得られていません。
【オレキシン拮抗薬に関するエビデンス】
① 前臨床研究・バイオマーカー研究:注目すべき知見はあるが限界も
議論の中で引用されているAnnals of Neurology (2023;94(1):27-40) に掲載されたLuceyらの研究では、ベルソムラ(スボレキサント)を就寝前に服用した参加者において、アルツハイマー病に関連するタンパク質(アミロイドβやタウのリン酸化レベル)が低下することが示されています。
さらに2025年に発表された研究では、レンボレキサント(デエビゴ)に関しても同様の効果が報告されています。タウオパチーのマウスモデルにおいて、レンボレキサントは病態的タウ沈着を劇的に減少させ、神経変性を改善することが示されています。この研究では、DORA(デュアル・オレキシン受容体拮抗薬)が「慢性的な神経炎症を抑制することによって」神経保護効果を発揮する可能性が示唆されています。
また、デュアル・オレキシン受容体拮抗薬全般に関して、アミロイドおよびタウのクリアランス促進、神経炎症の軽減、認知機能改善の可能性が、睡眠の質とは関連する場合と関連しない場合の両方のメカニズムによって示唆されています。
② しかし、これらの研究には重大な限界がある
議論の中で「この論文について、その後の著者らと読者とのやり取りでは、オレキシン受容体拮抗薬のクラス効果なのか、それともベルソムラ特有のものかの検証が求められている」と指摘されています。また、著者ら自身も「今後のランダム化比較試験を踏まえ、不眠状況も勘案し、薬剤との関連性を見ていきたい」と述べており、現時点では予備的な知見に過ぎません。
さらに、以下の重要な限界があります。
- サンプルサイズの小ささ: ベルソムラの研究ではスボレキサント20mg内服群12人、プラセボ群13人という非常に少数の検討です。
- アルツハイマー発症予防というエンドポイントには至っていない: バイオマーカーの変化が実際の認知症発症抑制につながるかは未証明です。
- 動物実験からヒトへの外挿の問題: タウオパチーマウスでの結果がそのままヒトのアルツハイマー病に適用できるとは限りません。
- 長期安全性・有効性の未確立: オレキシン拮抗薬はBZDよりも歴史が浅く、10〜20年単位での長期的な功罪は未知数です。
【リスクベネフィット比較】
BZDの主なリスク
- 転倒・骨折(特に高齢者)
- 依存性・耐性の形成
- せん妄リスク
- 認知機能への急性影響
- 運転事故リスク
BZDの主なメリット
- 即効性がある
- 安価
- 長年の使用実績(安全性に関するある程度の知見)
オレキシン拮抗薬の主なリスク(現時点でわかっているもの)
- 翌朝の頭重感・ぼんやり感(議論の中で複数の医師から報告)
- 悪夢(REM睡眠の変化に伴う可能性)
- 半減期が長く、翌日への影響が持続する可能性
- 高価
- 長期使用の安全性データ不足
オレキシン拮抗薬の主なメリット
- 筋弛緩作用がない(転倒リスクが低い)
- 依存性が低い
- 認知症関連バイオマーカー改善の可能性(仮説段階)
- REM睡眠を減少させない(むしろ改善する可能性)
【ガイドライン上の位置づけ】
最新のガイドラインでは、高齢者ではBZDを避けることが推奨されている一方で、オレキシン拮抗薬は相対的に安全な選択肢の一つとして挙げられているに過ぎません。アメリカ老年医学会は、認知機能障害、転倒、自動車事故のリスク増加のため、高齢患者におけるBZDの使用を避けることを推奨しています。また、低用量ドキセピン(3-6mg)、メラトニン増強薬、そしてデュアル・オレキシン受容体拮抗薬が、BZDやZ-drugsと比較して高齢者において比較的安全な代替薬として挙げられています。
しかし、これは「BZDをやめてオレキシン系を採用すべき」という強力な推奨ではなく、「BZD以外の選択肢も考慮する必要がある」という程度のものです。議論の中でも「非薬物療法(睡眠衛生指導、認知行動療法など)を基本とすべき」という意見が複数あり、薬剤の切り替えだけに焦点を当てるべきではないという立場も重要です。
【議論で出された重要な批判的視点】
オレキシン拮抗薬への切り替えを疑問視する議論をいくつかまとめます。
① 「BZDがダメでオレキシンが良いというのは製薬会社の陰謀」
「ベンゾ系をディスって、◯ルソムラ ◯エビゴ ◯ゼレムを売りたい製薬会社と、魂をその製薬メーカーに売ったエライセンセイ方が作ったガイドラインに騙される医師多数」という強い批判の意見がありました。これに対しては、「ベンゾジアゼピン受容体作動薬の害は海外発で、オレキシンやラメルテオンの前からであり、新規睡眠薬のプロモーションがこの流れに乗っかったのは事実だが、それだけが原因ではない」という反論もあります。
② 臨床現場での実感
議論の中では「ベルソムラを飲むと朝起きたときに頭重感が残りぼーっとする」という臨床的な問題点も複数報告されており、「ベンゾの方がキレが良いこともある」という意見も見られます。
③ 転倒リスクは薬剤の種類よりも用法・用量の問題
「ベルソムラでもデエビゴでも、夜中に起きてトイレに行こうとして転ぶ人はいる」という意見は重要です。転倒リスクはBZDに特有の筋弛緩作用が原因という側面もありますが、効果量や個人差によっては他の睡眠薬でも起こり得る問題です。議論の中の「ベンゾだから転倒リスク高いというならば、それがいつの時間帯なのか明確にした方が良い」という意見は示唆に富んでいます。
【現時点での総合的判断】
| 判断項目 | 評価 |
|---|---|
| BZDを一律に中止すべきか | 否(ただし長期的な漫然使用は避けるべき) |
| オレキシン拮抗薬に切り替えるべきか | 否(個別症例に応じた判断が必要) |
| 認知症予防目的でオレキシン拮抗薬を使用すべきか | 否(現時点ではエビデンス不足) |
| 高齢者の新規BZD処方は避けるべきか | 是(転倒・せん妄リスクなどのため) |
| すでに長期BZD使用している患者を強制的に切り替えるべきか | 否(依存・離脱症状のリスクがあるため慎重に) |
結論(臨床的判断): 現時点では、「BZDをやめてオレキシン系を採用すべき」という強い提言はできません。ただし、以下のような患者ではオレキシン拮抗薬が適切な選択肢となり得ます:(a) BZDによる転倒リスクが高い高齢者、(b) BZD依存が疑われる患者、(c) BZDが無効または不耐容な患者。認知症予防という観点からオレキシン拮抗薬を積極的に推奨するには、さらなる大規模なランダム化比較試験の結果を待つ必要があります。議論の中でも「オレキシン系の薬剤は今頻用されているが、10-20年でその功罪がまた取り上げられることになる」という意見があり、長期的な視点での評価が不可欠です。
三、議論全体から見える合意点と残された論点
【合意が得られていると思われる点】
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| BZDの認知症リスク | 「因果関係」ではなく「関連性」の問題。いずれにせよ漫然長期処方は避けるべき |
| 不眠そのものが認知症リスク | 睡眠障害と認知症の関連は否定できない |
| BZDの安全上の問題 | 転倒・依存・耐性・交通事故・せん妄など、認知症以外のリスクは明確 |
| 非薬物療法の重要性 | 睡眠衛生指導やCBT-I(認知行動療法)を基本とすべき |
| 高齢者への慎重処方 | 特に85歳以上の高齢者ではリスク評価が必須 |
| オレキシン系のエビデンス不足 | 認知症予防効果は仮説段階であり、過度な期待は禁物 |
【今後の研究・検討が必要な論点】
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| プロトパシック・バイアスの定量評価 | 診断前の不眠・不安症状がどの程度「BZD使用→認知症」の観察結果に寄与しているか |
| BZDの中枢神経影響のメカニズム | REM睡眠減少と認知症リスクの関連の検証 |
| クラス効果 vs 個別薬剤効果 | オレキシン拮抗薬の効果がクラス全体に共通するか、特定の薬剤に特有か |
| 長期的な有害事象プロファイル | DORAの10-20年後の安全性・有効性評価 |
| 認知症予防を目的とした介入RCT | BZD継続群 vs DORA継続群を比較する大規模研究 |
| 日本人集団におけるエビデンス | 海外研究の結果が日本人にそのまま適用できるかの検証 |
【総合的な提言(議論の総意として)】
議論全体から読み取れる総意として、以下のような提言が可能です。
- 認知症予防の観点からは、不眠そのものを適切に管理することが優先されるべきであり、BZDの使用・不使用だけに焦点を当てるのは適切ではない。
- BZDを「認知症の原因」と決めつけることはエビデンス上不正確だが、転倒・依存・せん妄などのリスクを考慮すると、特に高齢者における長期漫然処方は推奨できない。
- オレキシン拮抗薬は有望な選択肢だが、「BZDより優れている」と積極的に推奨できるほどのエビデンスはない。ただし、BZDによるリスクが高い患者では適切な選択肢となり得る。
- 最も重要なのは、薬剤の違いに過度に注目するのではなく、患者個々の背景(年齢、併存疾患、服薬状況、生活習慣など)を考慮した個別化医療の実践である。
- 現時点で確実に言えるのは、「不眠を適切に管理しないことによるリスク」と「睡眠薬使用によるリスク」を比較考量し、リスクが最小となる選択肢を選ぶことの重要性である。
以上より、専門家間のコンセンサスは確立されておらず、現在進行形の議論であることが明確になりました。「BZD→認知症因果関係あり」とも「BZD→やめてオレキシン系採用すべき」とも結論できないというのが、現時点での最も妥当なエビデンス解釈です。
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- Osler M et al. Association of BDZs, Z-drugs, and other anxiolytics with subsequent dementia in patients with affective disorders. AJP 2020;177(6):497-505
- Lucey BP et al. Suvorexant Acutely Decreases Tau Phosphorylation and Aβ in the Human CNS. Ann Neurol 2023;94(1):27-40
- フランスPAQUID研究 – Benzodiazepine use and risk of dementia: prospective population based study. BMJ 2012 (PubMed ID: 23045258)
- Pase MP et al. Sleep architecture and the risk of incident dementia in the community. Neurology 2017 (REM睡眠減少と認知症リスク)
- Felipe Maraucci Ribeiro FM et al. Benzodiazepines and Sleep Architecture: A Systematic Review. CNS Neurol Disord Drug Targets 2023;22(2):172-179
- ニュースURL
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患者さんが目にするかもしれない雑誌記事の一例
合法的な薬物依存「デパス」の何とも複雑な事情 ズルズルと飲み続ける患者を生んでしまった 15分で読める 公開日時:2019/11/29 05:40 東洋経済オンライン
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INDEX
「逮捕されない薬物依存」の実態とは(撮影:村上 和巳) 「合法薬依存」と聞いたときに、どんな状況をイメージするだろうか? 一時期大きな話題となった、いわゆる「脱法ドラッグ」のことではない。医療機関やドラッグストアで普通に手に入る、完全に合法な医薬品――それによって、薬物依存に陥り、生活に大きな問題を抱えてしまう。そんなケースが少なくないのだ。 メディア関係者と医療者の有志で構成するメディカルジャーナリズム勉強会がスローニュース社の支援のもとに立ち上げた「調査報道チーム」が、全5回にわたる連載でこの合法薬依存の深い闇に斬り込む。 タレントの田代まさしの覚せい剤取締法違反、同じく沢尻エリカの合成麻薬MDMA所持による麻薬及び向精神薬取締法違反など芸能人の違法薬物問題が昨今、世間をにぎわせている。とりわけ田代まさしの覚せい剤取締法違反による逮捕は4度目で違法薬物からの離脱の難しさがクローズアップされている。
この連載の一覧はこちら もっとも薬物依存と呼ばれるものの中で、覚せい剤、大麻、コカイン、ヘロインなどに代表される違法薬物は、田代まさしのようなケースはあるにしても比較的使用者が離脱しやすいとの指摘も少なくない。こうした違法薬物は使用そのものだけではなく、製造、所持、輸出入、譲渡、譲受のすべてが違法であるため、この一連の流通ルートがつねに取り締まりで脆弱化される恐れが高いからだ。
ここで厚生労働省の厚生労働科学研究費補助金による「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態調査(研究分担者:松本俊彦・国立精神神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長)」という研究報告書を例示する。これは全国の入院機能を持つ精神科の医療施設を対象に薬物を乱用して急性中毒や依存、精神障害などの治療を受けた患者の実態をまとめたものである。
1987年から隔年で行われてきた同調査の最新版である2018年版は246施設から2609例の実態を集計したものだ。この薬物関連の精神疾患の原因となった薬物をグラフにまとめると下図のようになる。
「逮捕されない薬物乱用」が4分の1 やはり最も多いのは過半数を占める覚せい剤だ。そして2番手は「睡眠薬・抗不安薬」である。これは医療機関で処方されている医療用医薬品で基本的には合法のもの。3番手がいわばシンナーなどの「揮発性溶剤」、4番手が風邪薬や頭痛薬などの「市販薬」となる。
概説すれば、この報告において医療機関での処方や市販薬など非合法でない薬物は約4分の1を占める。この報告にカウントされた睡眠薬・抗不安薬、市販薬などは定められた用法・用量を超える量を服用する「乱用」により関連精神疾患となった状態を指す。違法薬物の場合は入手、所持自体が摘発されるが、これら合法薬物は「逮捕されない薬物乱用」ともいえる。
この「睡眠薬・抗不安薬」にはどんな薬が含まれているのか? 報告書では内訳が明らかにされている(下表)。
不眠や精神疾患によって医療機関で薬を処方された経験がある人ならば名前を聞いたことがある薬もあるだろう。この中では精神安定薬の成分名(一般名)で「エチゾラム」という薬の乱用が多いことが目立つ。この「エチゾラム」の乱用は報告書に集計された全症例の9.3%。実に乱用で問題がある人の約10人に1人はこの薬が原因なのだ。
しかし、そもそも医師の適切な診察のもと処方されているはずの薬で、なぜ依存や乱用が引き起こされているのか? この問いに対する答えを探すのは、実は非常に難しい。患者、医師、そして製薬企業それぞれの事情などが複雑に絡み合っているからだ。
次ページが続きます: 【気軽に処方、「違法ではない」ために】
2 /5 PAGES 今回、わたしたちはスローニュース社の支援のもと、この「合法的に処方・販売されている薬」によって依存症が引き起こされる背景を探った。国が公開しているデータや依存・乱用の実態を示す報告書を調べ、そして患者・医師・薬剤師などさまざまなステークホルダーたちから証言を得た。
見えてきたのは、医療現場において、依存のリスクを軽視した「気軽な」処方が行われたケースがあること。そしてひとたび依存症となった当事者に対しては「違法ではない」がゆえに支援の手が差し伸べられにくい、という皮肉な事態が起きていることも見えてきた。
「薬物はダメ、ゼッタイ」という単純なロジックでは捉えきれない複雑な事情。その闇の中を丁寧にのぞき込むことで、『合法薬物依存』が起きる背景に光を当ててみたい。
発売から35年、成分名は「エチゾラム」 エチゾラムは1984年3月の当時の吉富製薬(現・田辺三菱製薬)が「デパス」という商品名で発売した歴史のある薬だ。医薬品の場合は、発売された新薬が一定期間を経ると特許が切れ、これと同一成分でより安価な薬、いわゆるジェネリック医薬品が発売されることはよく知られている。発売から35年を経たデパスもすでに1990年代前半からジェネリック医薬品が登場し、現在10社を超える製薬企業がジェネリック医薬品を発売している。
ちなみに本来複数の製薬企業から同一成分の薬が発売されている際の表記では、成分名のエチゾラムを使うのが一般的である。しかし、服用患者も含め世間一般では簡単に覚えやすい「デパス」でその名が広く知られていることが多い薬である。このため以後はエチゾラムではなく「デパス(エチゾラム)」と表記することをあらかじめお断りしておく。
デパス(エチゾラム)は薬学的にはベンゾジアゼピン受容体作動薬と称されるグループに属する。国内で厚生労働省が承認しているベンゾジアゼピン受容体作動薬はデパス(エチゾラム)を含め実に30種類を超える。
このベンゾジアゼピン受容体作動薬は、ヒトの神経細胞の間で情報伝達を行う神経伝達物質で興奮状態を抑えるγ-アミノ酪酸、通称GABA(ギャバ)の働きを強めることで、神経を鎮静化し、不安や緊張を取り除くという作用を示す薬だ。また、この作用の一環としてベンゾジアゼピン受容体作動薬では、脳内を鎮静化させて眠りを導く「催眠作用」、筋肉の緊張をほぐす「筋弛緩作用」、けいれんを抑える「抗けいれん作用」などがある。
現在、デパス(エチゾラム)が保険診療で認められている適応は次のとおりだ。
▽神経症における不安・緊張・抑うつ・神経衰弱症状・睡眠障害
▽うつ病における不安・緊張・睡眠障害
▽心身症(高血圧症, 胃・十二指腸潰瘍)における身体症候ならびに不安・緊張・抑うつ・睡眠障害
▽統合失調症における睡眠障害
▽頸椎症、腰痛症、筋収縮性頭痛での不安・緊張・抑うつ
次ページが続きます: 【幅広い診療科で処方されている】
3 /5 PAGES ざっと見ればわかるとおり、不安、緊張、抑うつ、睡眠障害がキーワードになるが、ベンゾジアゼピン受容体作動薬の中でもデパス(エチゾラム)は筋弛緩作用が比較的強いと言われるためか、保険適応にもあるとおり頸椎症、腰痛症、筋収縮性頭痛などにも効果があるとされる。処方される診療科としては、精神科、神経内科、心療内科にとどまらず、整形外科、脳神経外科でも比較的よく使われる。
また、デパス(エチゾラム)のように睡眠障害に保険適応を持つ薬は、精神科系診療科だけでなく、市中の一般内科でもよく処方される。これは不眠を感じる患者はまずそれだけで精神科などを受診しない傾向が強く、さらには糖尿病、高血圧などの生活習慣病などの診療を受けている患者が「最近よく眠れない」などと訴える時などに処方されがちだからだ。
このため睡眠障害に使われる薬は、業界関係者の間では主な病気で受診中についでに訴えると処方されることを揶揄して「ついでの薬」と呼ばれることがある。
ところでなぜデパス(エチゾラム)での乱用・依存がとりわけ目立つのか? それについてはいくつかの理由が考えられる。
服用後の効果出現が早く明確だが時間は短い 一般に乱用・依存を来しやすい薬物は、服用後の効果出現が早く明確で、かつ効果持続時間が短いという特徴があると言われる。この種の薬は服用者にとって効果が感じられやすい分、効果切れも実感できてしまう。だから再び薬に手を伸ばす。次第に服用者は薬に依存し、それが極端になると規定の用法・用量を超えた乱用に至ってしまう。
下表は国内で発売されている主なベンゾジアゼピン受容体作動薬の作用時間の長短を示したものだ。デパス(エチゾラム)はまさに作用時間が短い短時間作用型と分類される。ちなみに前述の内訳表で示した乱用原因となっている睡眠薬・抗不安薬の中で、ハルシオンは超短時間作用型、マイスリーはデパス(エチゾラム)と同じく短時間作用型である。
【2019年12月5日15時20分追記】初出時、一部に引用漏れがあったため、上記のように修正しました。 ちなみにデパス(エチゾラム)に次いで乱用が多いサイレースは中間作用型で、効果持続時間が長い点ではやや異なるが、効果が強いことで知られ、また違法薬物であるヘロインやコカインと併用することでいわば「トリップ」作用を強めるという使用や、覚せい剤の使用でハイになってしまい眠れなくなったときの不眠解消などを目的に乱用されることが従来から国内外で知られている。
それでも同じ作用時間が短いハルシオンやマイスリーに比べ、デパス(エチゾラム)の乱用が突出して目立つ理由を簡単に言うならば、服用している患者が多いからである。
こうした抗不安薬など合法的な薬での乱用は、「治療で服用⇒常用量依存⇒乱用」というルートをたどる。ちなみに常用量依存とはおおむね定められた用法・用量の範囲で使用している中で、薬が必要な症状がもはやないにもかかわらず、薬を止めることができないケースである。
前述の流れに沿うならば、同程度の依存性を持つ薬ならば、乱用の分母ともいえる治療で服用している人の数が多ければ多いほど、最終的な乱用患者も多くなる可能性が高い。
この点で考えるとハルシオンは保険適応が不眠と麻酔前投薬、マイスリーは不眠のみであり、前述のように5種類の適応を持ち幅広い診療科で使われるデパス(エチゾラム)は必然的に処方される患者数が多くなる。
次ページが続きます: 【法的規制の問題もあった】
4 /5 PAGES 加えて法的規制の問題もあった。国内では麻薬や向精神薬の乱用防止、中毒者への必要な医療提供、生産や流通の規制を目的に「麻薬及び向精神薬取締法」という法律がある。
同法では合法的な精神疾患の薬なども別途政令で具体的な薬剤名を挙げて指定し、この指定を受けた薬は厚生労働大臣あるいは都道府県知事から免許を受けた者しか取り扱いできず、厳格な保管や在庫記録の管理などが求められ、医療機関同士や保険薬局同士でも一部を除き譲渡・譲受はできない。ある薬が同法に基づく政令での指定を受けていることについては医療現場でいくつかの意味をもつ。
まず、指定を受けた薬剤は処方日数の上限が定められる。これは効果や副作用などの安全性の確認や患者が正しく使えているかなどを定期的にチェックすることが必要になるからだ。一般に向精神薬の指定を受けたものの多くは処方日数上限が30日となる。これにより患者の乱用へのハードルは高くなる。
また、この指定を受けることは医師に対する「警告」的な効果も大きいとされる。指定を受けると、とくに精神科などの専門医以外の医師にとっては「注意が必要な薬だ」というイメージが定着し、専門医以外は処方を躊躇しやすい、つまり安易な処方は防げる可能性が高まるというものだ。
デパス(エチゾラム)も2016年9月に指定を受けている。しかし、その指定は発売から実に30年以上と、医療従事者の間でもいぶかしげに思う人が少なくないほど、発売から指定までの期間が空いている。
つまるところ依存を生みやすい薬剤特性がありながら、幅広い診療科で処方され、服用者の裾野が広く、なおかつ法的な規制が緩かったというのがデパス(エチゾラム)が乱用されやすい原因と考えられる。
高齢になればなるほど処方量は増加 このデパス(エチゾラム)の国内での処方実態の一端をうかがわせるデータがある。厚生労働省は、医療機関が保険診療に際して市町村や健康保険組合に対して患者負担分以外の医療費の支払いを求める明細書(通称・レセプト)の集計結果を2015年分からNDB(ナショナル・データベース)オープンデータという名称で公開している。
NDBオープンデータでは医療に関わる各種技術料や薬剤を項目別に全国集計し、都道府県、年齢階層別でデータが公開されている。
このデータからデパス(エチゾラム)の処方量を人口統計の各年齢層の人口で割り算し、1000人当たりの平均処方量をまとめたものが下図になる。一見するとわかるが、高齢になればなるほど処方量は増加し、最も多いのは80代である。
繰り返しになるが精神神経系の薬の乱用の場合、そこに至るルートは、「治療のための服用⇒常用量依存⇒乱用」のことが多い。となればデパス(エチゾラム)の乱用も高齢者が多くてしかるべきだ。前述の全国調査では各原因薬物内での年齢データは存在しない。しかし、全国調査で報告された全症例における年齢階層別で70代以上は3.3%しかいない。
どういうことか? 実はデパス(エチゾラム)をはじめとするベンゾジアゼピン受容体作動薬では、前述の全国実態調査には出てこないまさに一歩手前の「常用量依存」の患者が多いのではないかという指摘は医療従事者の中ではかなり多い。
次ページが続きます: 【継続服用患者は常用量依存者なのか?】
5 /5 PAGES 前述の全国調査の研究分担者でもある精神科医で国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長の松本俊彦氏は、次のように語る。
「まず断っておくと、継続服用患者=常用量依存者ではありません。問題は、長期服用者のデータはあっても、常用量依存の実態に関するデータは存在しない、ということです。常用量依存の定義は、治療すべき症状が改善してもその治療薬をやめることができない状態。だから常用量依存を確認するためには、とにかく一定期間、薬をやめても、それで症状がぶり返さないことを確認しなければなりません。
ところが実際の臨床現場でそれができないし、患者さんたちも嫌がります。だからずるずる飲み続けて、常用量依存かもしれないし、不眠とかあるいは治療を要する水準の不安が持続しているのかの区別がつかないのです。これでは、常用量依存の実態はわかりません」
では「常用量依存は薬物依存症なのか」? 松本氏の考えは違うという。
「いろいろ論議はありますが、私の答えは『薬物依存症ではない』というものです。精神科医が依存症と判断する際に重視するのは、身体依存(身体が薬に慣れてしまい、急な中断で離脱症状が出現する状態)ではなく、精神依存(渇望、なりふり構わない薬物探索行動)の存在です。
本来の自分の価値観をかなぐり捨ててでもその薬を欲しくなり、正直者で有名だった人が『薬なくしちゃいました。もう1回処方して下さい』とうそを言う、並行して複数の医療機関からお薬をもらってくる、医者にすごくごねたり恫喝したりとかして処方を要求したりとかする人たち、あるいは、大切な家族を裏切り、仕事を犠牲にしても薬物を使い続ける人たち、それが私たちが日々、依存症専門外来で診ているベンゾジアゼピン受容体作動薬の依存症なんです。
常用量依存の人には、身体依存はありますが、精神依存はありません。医者から言われたとおりきちんと病院に行って薬を飲んでいるものの、本人は薬をやめたいと思っている。でも、いざやめようとするとやめられない。その理由が、病気の症状がまだ改善していないからなのか、身体依存が生じてしまっているのかがわからない。だから、本当にその人が常用量依存に陥っているのかどうかがわからないのです。
しかし、誤解しないでいただきたいのですが、私は、常用量依存は薬物依存症ではないから大した問題ではないなどとは考えていません。やはり漫然と飲んでいて高齢になると、若いときには出なかった副作用が急に出てくるものなのです。ですから、とくにデパスのような即効性のあるベンゾジアゼピン受容体作動薬を漫然と処方し続けることは、到底推奨できるものではありません」
事故につながりかねない副作用はある デパス(エチゾラム)の場合、発生頻度はいずれも5%にも満たないが、主な副作用として眠気、ふらつき、倦怠感、脱力感などが報告されている。これらはいずれもぱっと見はそれほど重大なものには思えないかもしれない。
しかし、もし眠気が自動車の運転中や大きな作業中に起これば、人の命が失われる重大な事故につながる可能性もある。また、高齢者ではふらつき、倦怠感、脱力感は転倒による骨折などにもつながる。高齢者の場合、転倒による骨折はその後の寝たきりやその結果に伴う認知症の進行や日常活動の低下などに行き着くこともある。
実際、高齢者医療の専門医が集まる日本老年医学会では、薬による副作用が出やすい高齢者での治療の際に注意すべきことなどをまとめた医師向けの「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン2015」を作成し、この中で副作用の危険性から75歳以上の高齢者や75歳未満でもフレイルと呼ばれる身体が虚弱な状態、あるいは要介護状態の人に対して「特に慎重な投与を要する薬物リスト」を公表している。この中にはデパス(エチゾラム)をはじめとするベンゾジアゼピン受容体作動薬すべてが含まれている。
乱用にまで至らなくとも、事故などにつながる可能性をもつ常用量依存。しかしその実態は把握されず、もしふらつきによる転倒が起きたとしても、それが薬のせいなのかそうでないのかは見分けがつきにくい。それを許容すべきなのかは議論の余地が残ると言えるだろう。
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患者さんが目にするかもしれない新聞記事の一例
奇跡の生還男、〝危ないクスリ〟で暴走? ナゾ深まるダム湖転落5人死亡事故…逮捕後も「服用覚えない」と否認 2016/10/20 11:00 産経
大阪府河内長野市のダム湖で5月、6人乗りのワゴン車が転落して建設会社の男性従業員5人が死亡した事故で、一時は危篤状態になりながらも唯一生き残った男が10月初め、自動車運転処罰法違反(危険運転致死)の疑いで大阪府警に逮捕された。ワゴン車を運転していた男の血液から眠気を催す作用のある精神安定剤の成分が検出され、府警は男が精神安定剤を服用したのにハンドルを握ったとみて調べている。ただ、男に持病や通院歴は確認されておらず、「精神安定剤を飲んで運転した覚えはない」と容疑を否認。事故直前まで一緒にバーベキューを楽しんでいた同僚たちも「おかしい言動はなかった」と首をかしげる。真相解明に向けた捜査の行方が注目される。
もうろう状態で運転 府警などによると、事故は5月29日午後2時35分ごろ、大阪府河内長野市の滝畑ダム西側の府道で起きた。ワゴン車に乗っていたのは大阪市天王寺区の建設会社の男性従業員6人。現場から約2キロ離れたキャンプ場で社内行事のバーベキューを終えた帰路で、ハンドルを握ったのが、後に逮捕される男(27)だった。
右手にダム湖を見ながら走っていたときに異変は起きた。車は緩い右カーブの中央線をまたぎ、すぐに元の車線に戻ったものの、直後に対向車線側の歩道に乗り上げ、約15メートルにわたって鉄製フェンスをなぎ倒して転落した。ブレーキ痕がないことから、男は少なくとも意識がもうろうとした状態で運転していたとみられる。
後続の車に乗っていた同僚らはすぐにダム湖に飛び込み、6人を引き上げた。心臓マッサージや人工呼吸などを行ったが、懸命の蘇生(そせい)措置もむなしく、51~64歳の5人が命を落とした。
運転席から救出された男はわずかに意識のある状態で、「痛い」などと言葉も発していた。ただ、肺の中に水がたまって呼吸困難になる肺水腫の状態で、搬送先の病院で意識不明の重体に。その後、危篤状態からスピード回復。事故からわずか10日後の6月9日に退院した。
淡々と「記憶がない」 「周囲の話から、自分が運転していたとは思うが、記憶がない。キャンプ場でバーベキューをしたことは覚えているが…」
退院後、府警の任意の調べに対し、そう供述していた男だが、事故から4カ月余り後の10月5日、自動車運転処罰法違反(危険運転致死)の疑いで逮捕された。精神安定剤を服用した状態で車を運転し、正常なハンドル操作が困難になってダム湖に転落させ、同乗者5人を水死させたという容疑だ。
府警が事故後、男の血液を調べたところ、「運転役のため飲酒はしていなかった」との周囲の証言通り、血液からアルコールは検出されなかった。一方で睡眠導入効果のある精神安定剤の成分が検出されていた。
府警によると、男に精神安定剤の服用が必要な持病はなく、精神疾患の通院歴や処方歴も確認されていない。取り調べには興奮したり取り乱したりする様子もなく、「薬を飲んで運転した覚えはない」と淡々と話しているという。
キャンプ場で自ら服用? 捜査関係者によると、男の血液から検出されたのは「エチゾラム」という抗不安剤だった。
依存性が高く、乱用の恐れもあることから、今年10月から麻薬取締法の規制対象となる「向精神薬」に指定されている。睡眠薬にも含まれる成分で、筋肉の緊張を取ることで筋肉のけいれんを抑えて痛みをやわらげる効用がある半面、転倒やふらつき、意識障害などの副作用があるとされる。
「通常は医療用で使う」(捜査関係者)といい、購入には医師の処方箋が必要だ。ただ、最近まではインターネット上でも販売が可能だった。
サイト上には「寝る前に飲むとゆっくり眠れる」「アルコール依存症で断酒中、酒が飲みたくなったときに服用すると欲求がなくなる」などの書き込みが見られる。
即効性があり、男はキャンプ場に向かうときは正常に運転していることからも、府警はキャンプ場にいる間に自ら服用したとみて調べている。
捜査関係者は「現段階では第三者に盛られたとは考えていない」と語る。
仕事ぶりは高評価 「職場で精神的に不安定なところはなかったし、病院に通っている話も聞いたことがない。仕事で毎日、片道1時間くらいは運転していたが、事故を起こしたこともなかった」。男が勤務していた建設会社の男性社長(50)は首をひねる。勤務態度も真面目で遅刻などもなかったという。
社長によると、事故当日は午前7時過ぎに車数台に分乗して建設会社を出発。男は酒をたしなむタイプではなく、夕方から会社の車を借りて交際相手と出掛ける予定だったこともあり、運転役を務めた。
同僚らとバーベキューを楽しみ、キャッチボールをしたり川遊びをしたりしたが、同僚らは「薬のようなものを服用する姿は見ていない」と口をそろえる。社長は「車には男以外に運転役がもう1人乗っていた。もしフラフラしている様子があれば運転させていない」と強調した。
事故後、社長は病院で男に面会した。「落ち着くまで仕事は無理やな」と声をかけ、事故のことを尋ねたが、男は「思い出せない」と絞り出すのがやっと。後は「すみませんでした」と謝罪を繰り返していたという。
男は次第に会社への連絡はなくなり、いつの間にか道路舗装工のアルバイトを始めていた。府警が8月、建設会社と同じ建物にある寮の部屋を捜索したが、荷物はそのまま残されていた。
逮捕後、大阪府枚方市にある自宅アパートの一室は表札が外され、ひっそりと静まり返っていた。本人の口から真相が語られる日は来るのだろうか。
