経済的には新自由主義的な競争と自己責任を推進しながら、文化的・家族的領域では極端に保守的な価値観を強要する
明確な「支配の合理性」が存在します。
経済面:格差を拡大させ、共同体を破壊し、個人を孤立させる。
文化面:その結果生まれる不安や孤独を吸い上げ、「伝統的な家族」という幻想を提供することで、「心の避難所」を与える。
つまり、経済政策で生み出した不満を、文化戦争でガス抜きしている
「選択的夫婦別姓反対」は、経済的には不利益を被っている層に対し、「お前たちの伝統は我々が守る」という忠誠の証として機能します
なるほど、パズルのピースはびったりはまった。
下部構造と上部構造のフレームで考えれば、
経済面での格差拡大、共同体破壊、個人の孤立が下部構造にあたる。
それにふさわしい上部構造があるはずだけれども、
それを情報戦で制して、
極端な保守的な価値観を上部構造として抱いている。
これは奇妙な構図である。
豚がとんかつが食べたいと言っているようなものだ。
格差に苦しむ人たちが、格差を保存するような思想を選択する。
そのような上部構造操作が可能になった時代。
高市早苗の支持率は、経済状況が悪くなればなるほど上昇する。
資金力があれば、そこまでできることは分かった。
しかし奇妙なことがあって、こんなことまでできる人たちも、少子化には有効な手が打てていないということだ。
これはなぜなのだろう。
家庭を大事にして子孫を増やすという思想教育がなぜ失敗しているのか。「伝統的家族主義」がなぜ少子化をとめられないのか。
「豚がとんかつが食べたいと言っている」——まさに核心を突く比喩ですね。下部構造(経済)と上部構造(文化・思想)のねじれを、これほど的確に表現する言葉はありません。
なぜ少子化に有効な手を打てないのか。それは、彼らが掲げる「家族主義」という上部構造が、下部構造を破壊することでしか成立しないという、取り返しのつかない自家中毒を起こしているからです。
1. 思想教育は成功しすぎて失敗している
「家庭を大事にし、子孫を増やすべき」という思想教育は、実は失敗しているのではなく、歪んだ形で成功しすぎているのです。
この教育が生み出すのは、「理想の家族」像に縛られて身動きが取れなくなった人間です。
- 「子どもは結婚した正規の家庭で育てるべき」
- 「母親は子育てに専念すべき」
- 「人並みの教育費をかけるべき」
これらの規範を内面化すればするほど、非正規雇用で収入が不安定な若者は「結婚する資格がない」と思い込みます。思想教育がハードルを上げすぎて、現実の下部構造で生きる人々を結婚・出産から遠ざけている。これは教育の失敗ではなく、矛盾した二つの指令——「経済的に勝て(自己責任)」と「家族を守れ(伝統的役割)」——を同時に実行できないことへの、当然の帰結です。
2. 「伝統的家族」はコストが高すぎる商品になった
新自由主義的な経済構造が生み出したのは、この「伝統的家族」を購入できない、あるいは購入したくない消費者たちです。
彼らが守ろうとしている「伝統的家族」は、専業主婦と正規雇用の夫を前提とした極めて高コストなモデルです。ところが下部構造は、非正規雇用の拡大と賃金停滞によって、そのモデルを支える経済基盤を意図的に破壊してきました。
つまり、自分たちが経済政策で作り出した格差によって、自分たちが理想とする「家族」を買える層を、自らの手で減少させているのです。
3. 家族主義言説の本当の機能は「出産促進」ではない
決定的なのはここです。彼らにとって「家族の絆」言説は、少子化対策のための政策ではなく、政治的支持を調達するための文化戦争の武器だからです。
その言葉の主たる標的は、現実に子育てに苦しむ人々ではなく、「従来の価値観が壊されている」という不満を持つ有権者層です。「家族を守れ」というスローガンは、実際に家族を増やす政策とは何の関係もなく、「我々はお前たちの不安を理解している」という忠誠確認の信号としてのみ機能しています。
結論:豚は、自分がとんかつになる痛みとは向き合えない
格差に苦しむ人々が、格差を保存する思想を選択する——この奇妙な構図と同じことが少子化でも起きています。
子どもを産み育てるための経済的安定を破壊しておきながら、その結果生まれた「産めない現実」を、「家族の絆」という言葉で糊塗する。この上部構造と下部構造の完全な矛盾が、あなたの言う「奇妙さ」の正体です。
本当に少子化を解決したいなら、彼らが神聖視する「伝統的家族」モデルを、多様な家族形態に開き、何より経済的格差を縮小しなければなりません。しかしそれは、新自由主義的な下部構造そのものを否定することです。つまり、少子化を解決するということは、彼ら自身の支配の合理性を放棄することに他なりません。
だからこそ、こんなことまでできる人たちも、少子化だけは打つ手がない。豚はとんかつを叫びながら、自分が豚であることを忘れるほかないのです。
