市民講座 第4回
「自由意志は本当に存在するのか ―― 予測する脳と『選ぶ私』」
皆さん、こんにちは。
今日は、いよいよ厄介な問題に入ります。
おそらく人類が何千年も考え続けてきた問題です。
それは、
「私たちは本当に自由に選んでいるのか」
という問いです。
朝のコーヒーは誰が選んだのか
朝起きて、
コーヒーを飲もうか、
紅茶にしようか、
少し迷う。
そして、
「今日はコーヒーにしよう」
と決める。
私たちは普通、
自分が選んだ
と思います。
当たり前のことです。
しかし脳科学者は少し意地悪です。
彼らはこう言います。
本当にあなたが選んだのですか?
疲れていたからでは?
習慣では?
昨日飲まなかったからでは?
脳内のドーパミン状態では?
天気の影響では?
するとだんだん不安になってきます。
ニュートンの世界
近代科学は、
世界を巨大な機械として理解しました。
原因があれば結果が起きる。
ボールを押せば転がる。
惑星は法則に従って動く。
もし宇宙のすべての状態が分かれば、
未来も計算できる。
これを決定論と呼びます。
すると問題が生じます。
脳も物質です。
神経細胞も物理法則に従う。
ならば、
私の考えも物理法則の結果ではないか。
この問いは今も消えていません。
リベット実験の衝撃
1980年代、
Benjamin Libetという研究者が有名な実験をしました。
被験者に、
好きなタイミングで指を動かしてください、
と頼む。
同時に脳波を測定する。
すると奇妙なことが起きました。
本人が
「今動かそうと思った」
と意識するより前に、
脳活動が始まっていた。
この結果は大きな衝撃を与えました。
新聞はこう書きました。
自由意志は幻想だった!
しかし本当にそうでしょうか。
実は話はそれほど単純ではない
リベット実験が示したのは、
脳が意識より先に準備を始める、
ということです。
しかし、
だから自由意志が存在しない、
とは言えません。
なぜなら、
「私」と「脳」を別物として考えているからです。
脳が決めた。
私は決めていない。
と言いますが、
そもそも脳とは誰でしょう。
他人の脳ではありません。
私の脳です。
問題は、
「私」がどこにいるか
なのです。
予測処理理論はどう考えるか
ここで予測処理理論が登場します。
この理論では、
脳は未来を予測する装置です。
感覚も、
行動も、
予測の一部です。
たとえば、
コップを取ろうとする。
普通は、
意志
↓
行動
↓
結果
だと思います。
しかし予測処理理論では、
少し違います。
脳が
「コップを持った未来」
を予測する。
↓
身体がその予測を実現する。
↓
コップを持つ。
という流れになります。
行動とは未来の実現
これは驚くべき発想です。
私たちは、
未来へ向かって行動していると思っています。
しかし予測処理理論では、
未来の予測が現在を動かしている。
まるで山頂が登山者を引っ張っているようなものです。
実際には登山者が歩いている。
しかし見方を変えると、
目標が行動を組織しているとも言える。
自由意志とは何か
ここで少し整理しましょう。
自由意志については、
実は三つの立場があります。
第一の立場
完全自由説
私は何ものにも縛られず選ぶ。
これは魅力的ですが、
現代科学ではかなり難しい。
人間は遺伝にも、
環境にも、
歴史にも影響されます。
第二の立場
完全決定論
すべては原因によって決まる。
自由意志は幻想。
こちらも問題があります。
もしそうなら、
責任も、
倫理も、
努力も、
意味がなくなってしまう。
第三の立場
相容説(compatibilism)
現代哲学で最も有力な立場です。
自由とは、
原因がないことではない。
自分自身の価値や目標に従って行動できることである。
という考えです。
実存主義者たちは何を言ったか
ここでサルトルが登場します。
サルトルは、
人間は自由の刑に処されている
と言いました。
少し怖い言葉です。
彼が言いたかったのは、
どんな状況でも、
最後には何らかの態度を選ばなければならない、
ということです。
病気でも。
失敗しても。
裏切られても。
老いても。
人はその状況にどう向き合うかを選ぶ。
その意味で自由なのです。
フランクルの例
ヴィクトール・フランクルは、
アウシュヴィッツを生き延びました。
彼はこう書いています。
人間からあらゆるものを奪うことはできる。
しかし最後の自由だけは奪えない。
それは、
与えられた状況に対する態度を選ぶ自由である。
これは脳科学ではありません。
しかし深い洞察です。
予測する脳と実存
ここで私は、
予測処理理論と実存主義は対立しないと思います。
予測処理理論は、
なぜその行動が起きたのか
を説明します。
一方、
実存主義は、
その行動は本人にとってどんな意味を持つのか
を問います。
説明の水準が違うのです。
精神療法で起きていること
精神療法の場面を考えましょう。
患者さんが言います。
私はこういう人間です。
どうせ失敗します。
これは一種の予測モデルです。
自己予測です。
治療者は、
その予測を無理に否定しません。
代わりに、
本当にそうでしょうか。
別の可能性はありませんか。
と問いかけます。
すると少しずつ、
未来の予測が変わる。
行動が変わる。
人生が変わる。
ここには自由があります。
原因から自由なのではありません。
新しい可能性に開かれる自由です。
最後に
今日の結論です。
自由意志とは、
宇宙の法則から独立した魔法の力ではないかもしれません。
しかしだからといって、
人間が単なる機械だということにもなりません。
私たちは、
過去によって形作られながら、
未来を予測し、
その未来に向かって行動する存在です。
そしてときに、
自分の予測そのものを問い直すことができます。
もしかすると自由とは、
何の制約もないことではなく、
自分が生きている物語を振り返り、その物語を書き換える可能性を持つこと
なのかもしれません。
次回はさらに一歩進んで、
「苦しみには意味があるのか ―― 進化、脳、そして人間の物語」
というテーマに入りましょう。
そこでは、不安や抑うつや喪失が、単なる故障ではなく、人間という存在そのものとどう関係しているのかを考えてみたいと思います。
