市民講座 第5回
「苦しみには意味があるのか ―― 進化、脳、そして人間の物語」
皆さん、こんにちは。
今日は、おそらくこの講座の中で最も難しく、最も大切な話です。
それは、
「苦しみには意味があるのか」
という問いです。
病気になった人。
愛する人を失った人。
うつ病になった人。
不安に苦しむ人。
人生に絶望した人。
そんな人に向かって、
「その苦しみには意味があります」
などと軽々しく言うことはできません。
現に苦しいのです。
眠れない。
食べられない。
生きる気力が出ない。
そんな人に、
「意味がある」
などと言うのは残酷なことすらあります。
だから今日の話は、
苦しみを美化する話ではありません。
まずそのことを確認しておきたいと思います。
人類はなぜ苦しむのか
少し不思議なことがあります。
私たちは幸福になりたいと思っています。
しかし脳は、
幸福を目的として設計されているわけではありません。
進化が目指してきたのは、
幸福ではなく、
生存と繁殖
です。
これは大きな違いです。
例えば痛み。
誰も好きではありません。
しかし痛みがなければどうなるでしょう。
手を火傷しても気づかない。
骨折しても歩き続ける。
感染しても休まない。
結果として命を失います。
だから進化は、
苦しみを作りました。
痛みは故障ではなく、
警報装置なのです。
心の痛みも同じなのか
ここで疑問が生じます。
身体の痛みは分かる。
では、
悲しみや不安はどうなのか。
実は進化精神医学は、
これらも一種の警報装置だと考えます。
大切な人を失った。
↓
悲しい。
危険が近づいている。
↓
不安になる。
集団から排除されそうだ。
↓
孤独を感じる。
これらは本来、
人間を守るための感情です。
なぜ不安はこんなに強いのか
ここで思い出してください。
第1回で話した
「煙感知器原理」
です。
煙感知器は、
パンを焼いただけでも鳴ることがあります。
うるさい。
迷惑です。
しかし、
火事なのに鳴らない方がはるかに危険です。
人間の不安も似ています。
進化は、
心配しすぎる脳を作りました。
なぜなら、
心配しなさすぎる脳は生き残れなかったからです。
つまり不安は、
欠陥というより、
安全装置の過剰作動なのです。
うつ病はどうだろう
ここから難しくなります。
進化精神医学には、
うつ病を理解しようとする様々な理論があります。
もちろん、
うつ病が良いものだという意味ではありません。
しかし、
なぜそんな状態が存在するのかを考えるのです。
ある理論では、
うつ状態は
「立ち止まるモード」
だと考えます。
人生で大きな失敗をした。
大切な関係が壊れた。
生き方が行き詰まった。
そんなとき、
脳は活動性を下げる。
外向きの活動を減らす。
内省を増やす。
これは祖先環境では、
問題解決に役立ったかもしれません。
しかし現代社会では、
このシステムが慢性化してしまうことがあります。
すると病気になる。
ここで大切なのは、
うつ病を「怠け」や「弱さ」と見るのではなく、
人間が本来持っているシステムの行き過ぎとして理解することです。
脳は意味を求める
さらに重要なことがあります。
人間は、
単に苦痛を避けるだけの存在ではありません。
意味を求める存在です。
なぜこんなことが起きたのか。
なぜ私なのか。
なぜ生きるのか。
こうした問いは、
犬や猫にはあまり見られません。
しかし人間は問い続けます。
ここで予測処理理論が再び登場します。
脳は予測する装置でした。
世界に意味を与える装置でした。
すると苦しみが起きたとき、
脳は説明を探します。
病気になった。
↓
なぜだろう。
失恋した。
↓
なぜだろう。
愛する人が死んだ。
↓
なぜだろう。
意味の探索が始まるのです。
フランクルの問い
ヴィクトール・フランクルは、
強制収容所という極限状況を生き抜きました。
彼は、
苦しみそのものを賛美したわけではありません。
むしろ、
苦しみはできる限り取り除くべきだと考えていました。
しかし同時に、
こうも言いました。
避けられない苦しみの中で、
人はその苦しみに対する態度を選ぶことができる。
これは非常に深い言葉です。
苦しみを選ぶことはできない。
しかし、
苦しみにどう向き合うかは選べる。
ということです。
精神療法で見えてくるもの
精神療法を長くやっていると、
ある不思議なことに気づきます。
人は苦しみを通して変わる。
もちろん、
すべての苦しみが成長につながるわけではありません。
人を壊す苦しみもあります。
回復不能な傷もあります。
それを否定してはいけません。
しかし同時に、
苦しみを経験したからこそ、
他者への共感が深まる人もいます。
人生観が変わる人もいます。
価値観が変わる人もいます。
そこには、
単なる故障では説明できない何かがあります。
実存主義精神医学の視点
ビンスワンガーやボスやフランクルたちは、
苦しみを症状としてだけ見ませんでした。
彼らは問いました。
この人は、
この苦しみを通して、
どのような世界を生きているのだろう。
うつ病とは何か。
不安とは何か。
統合失調症とは何か。
それは単なる脳の異常ではなく、
世界との関係の変容ではないか。
という問いです。
苦しみに意味はあるのか
さて、
最初の問いに戻りましょう。
苦しみに意味はあるのでしょうか。
私は、
苦しみそのものには意味がないこともある、
と思います。
事故。
災害。
病気。
喪失。
それ自体に崇高な意味が隠されているとは限りません。
世界は時に理不尽です。
しかし、
人間には特別な能力があります。
意味を発見する能力ではなく、
意味を創造する能力です。
出来事の中に意味が最初から埋まっているとは限らない。
けれど人は、
その出来事をどう生きるかによって、
後から意味を生み出すことができる。
そこに人間らしさがあります。
最後に
この講座の最初から、
私たちは脳について学んできました。
予測する脳。
自己という物語。
自由意志。
不安。
うつ病。
妄想。
しかし最後に見えてくるのは、
人間は単なる脳ではない、
という事実です。
脳は予測します。
進化はバイアスを与えます。
環境は人生を形作ります。
しかし人間は、
それらを物語として生きる存在です。
そして時に、
その物語を書き換えることができます。
だから私は、
苦しみそのものに意味があるとは言いません。
けれど、
苦しみをどう生きるかには意味が生まれうる
と思います。
それは進化でも脳科学でも説明し尽くせない、
人間という存在の深い特徴なのかもしれません。
そして精神療法とは、
その意味を患者さんに教えることではなく、
患者さん自身が意味を見出していく過程に伴走する営みなのだと思います。
