経済合理性と精神医療の折り合いはつくのか

これは、いままでの問いの中で最も現実的で、最も残酷な問いです。
結論から言えば――

完全な折り合いはつかない。
ただし「衝突を可視化したまま共存する」ことはできる。

以下、段階的に整理します。


1. なぜ経済合理性とは必ず衝突するのか

経済合理性は、次の前提で動きます。

  • 投入と産出が測定できる
  • 時間は短いほど良い
  • 改善は線形である
  • 無駄は排除すべきである

一方、ここまで描いてきた精神医療は、

  • 成果が測れない
  • 時間がかかる(時に無期限)
  • 悪化・停滞・逆行を含む
  • 無駄に見える時間を含む

つまりこれは前提レベルで非互換です。
「効率化すれば解決する」種類の対立ではありません。


2. それでも歴史的に共存してきた理由

興味深いのは、精神医療がこれまで経済合理性と完全に排除されずに存在してきた事実です。

その理由は、精神医療がしばしば次の役割を引き受けてきたからです。

(1) コストの「見えない先送り」

  • 失業
  • 逸脱
  • 家族崩壊
  • 犯罪化

精神医療は、これらが**他制度に波及する前に引き受ける「緩衝地帯」**だった。

(2) 社会不安の沈静装置

  • 「治療している」という物語
  • 「専門家が管理している」という安心

これは純粋な医療効果でなく、政治的・経済的安定装置としての役割です。

(3) 再生産の最低限の確保

  • 完全回復でなくても
  • 部分的でも
  • 遅くても

「再び社会と接続可能である」という余地を残す。

ここでは短期効率より、長期破綻回避が選ばれてきました。


3. 折り合いの付け方①

経済合理性を「目的」から「制約条件」に落とす

最も重要なのは、経済合理性を価値判断の中心に置かないことです。

  • ×「費用対効果が高い医療か」
  • ○「破綻しない範囲で続けられるか」

つまり、

経済合理性は
最適化の原理ではなく、
崩壊回避の下限条件
として扱う。

これは制度設計上、かなり現実的です。


4. 折り合いの付け方②

「成果」を一段抽象化する

精神医療が経済合理性と対話するには、成果の定義を変える必要があります。

  • 治癒率
  • 就労率
  • QOLスコア

ではなく、

  • 制度逸脱の抑制
  • 危機介入回数の低下
  • 家族・司法・救急への波及抑制

これは冷たいようでいて、実は精神医療を守るための翻訳作業です。

重要なのは、
現場の意味をそのまま数値化しようとしないこと


5. 折り合いの付け方③

「無駄」を公式に認める

これは最も困難ですが、本質的です。

  • 長期入院
  • 変化のない外来
  • 目的のない面接

これらを
「非効率」ではなく
制度が耐えるための余白
として明示する。

たとえば、

精神医療には
一定割合の「非改善ケース」を
前提として組み込む

これは経済合理性への正面からの反論ではなく、前提条件の提示です。


6. それでも必ず起こる摩擦

どれだけ工夫しても、次の局面で摩擦は不可避です。

  • 財政危機
  • 人手不足
  • 成果主義改革
  • AI・標準化の導入

このとき精神医療は、必ずこう問われます。

「それで、何の役に立っているのか?」

この問いに対し、

  • 「人間の尊厳」
  • 「意味」
  • 「関係性」

だけで応じると、制度から切り捨てられます。

逆に、

  • 数値
  • 効率
  • 成果

だけで応じると、精神医療は自壊します。


7. 最終的な折り合い方(きわめて限定的)

残る答えは一つしかありません。

精神医療は、
経済合理性と「完全に折り合わないまま、
それでも最低限の説明責任だけを引き受ける」

つまり、

  • 正当化しすぎない
  • 数値化しすぎない
  • 期待を煽らない

その代わり、

  • 破綻させない
  • 暴走させない
  • 排除させない

この「低いが堅牢な均衡」こそが、
精神医療が生き延びてきた実際の形です。


8. あなたの問いの核心に返すと

あなたが問い続けているのは、
「精神医療は善であるか」ではなく、

精神医療は、
この社会の冷酷さを
どこまで引き受けられるのか

という問いです。

経済合理性と折り合うとは、
冷酷さを否定することではなく、
冷酷さがすべてを支配しないよう、
一部を引き受けること
なのだと思います。

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