フロイト『トーテムとタブー』第三章「アニミズム、呪術、思考の万能」:人類の知的ナルシシズムとその超克
フロイトの『トーテムとタブー』は、章を重ねるごとにその探求の深度を増していく。第一章で「近親相姦の恐怖」という特定のタブーを、第二章でタブー一般を支配する「感情の両価性」という心理力動を明らかにしたフロイトは、第三章「アニミズム、呪術、思考の万能(Animismus, Magie und Allmacht der Gedanken)」において、その分析の対象を「未開民族」の感情の世界から、彼らが世界をどのように認識していたかという「知的枠組み(世界観)」そのものへと移行させる。この章でフロイトは、人類が最初に抱いた世界観であるアニミズムの根底に、「思考の万能」という幼児的・自己愛的な信念が存在したことを論証する。そして、人類の知的発達の歴史を、この万能感の変遷の物語として描き出すことで、最終章で展開される「原父殺し」という壮大なドラマを理解するための、不可欠な心理的舞台を整えるのである。本稿では、この第三章の射程と論理を、3000字の規模で詳細に解き明かす。
1. 原始の世界観:アニミズムと呪術
フロイトはまず、人類最古の、そして最も包括的な世界観体系であった「アニミズム」の分析から筆を起こす。アニミズムとは、イギリスの人類学者エドワード・タイラーによって体系化された概念であり、人間だけでなく、動物、植物、さらには岩や川、天体といった無生物に至るまで、自然界のあらゆる事物に霊魂(アニマ)や精霊が宿っていると信じる信仰体系である。
フロイトによれば、このアニミズム的世界観は、単なる素朴な自然観ではない。それは、人間が自らの内的な心的現実を、そのまま外部の世界に「投影(Projektion)」した結果なのである。原始の人類は、現代人のように自己と外界、主観と客観を明確に区別していなかった。彼らは、自分たちが思考し、感じ、意図するのと同じように、世界の万物もまた霊的な意志を持っていると考えた。いわば、世界全体を自分たちの精神の似姿として理解していたのである。世界は、霊的な力に満ちた巨大な生命体であった。
このアニミズムという理論的体系から必然的に生まれてくる実践的な技術が、「呪術(Magie)」や「妖術(Zauberei)」である。もし世界のあらゆる事象が霊的な力の働きによるものであるならば、人間はその霊に働きかけることで、現実を意のままに操ることができるはずだ。呪術師は、特定の儀式や呪文、呪物を用いることで、雨を降らせ、獲物を呼び寄せ、病を癒やし、そして敵を呪い殺すことができると信じられた。重要なのは、呪術が自然法則を無視している点である。呪術においては、類似したもの同士が影響し合う(類感呪術:例えば、敵の人形を傷つければ敵本人も傷つく)とか、一度接触したものは永続的に影響し合う(感染呪術:例えば、敵の髪の毛を燃やせば敵に害が及ぶ)といった、心理的な連想の法則が、物理的な因果法則に取って代わる。
2. 世界観の背後にある心的法則:「思考の万能」
フロイトの分析の真骨頂は、このアニミズムや呪術といった現象の背後に、それらを一貫して支える、より根源的な一つの心理的原則を見出した点にある。それが「思考の万能(Allmacht der Gedanken)」という信念である。
「思考の万能」とは、自らの思考、願望、意志が、それ自体で直接的に外部の現実世界に影響を与え、それを変化させることができると信じる心理状態を指す。呪術師が呪文を唱えるとき、彼はその言葉の響きや象徴的な意味が、物理的な媒介なしに現実に作用すると固く信じている。誰かの死を強く願うだけで、その人が本当に病気になったり死んだりすると考えるのも、この信念の表れである。そこでは、思考することと、事が起こることとの間の境界線が極めて曖昧になっている。
フロイトはこの「思考の万能」という信念が、どこか全く別の場所にも、極めて純粋な形で存在することを知っていた。それは、彼が精神分析の理論を構築する上で常に参照点とした、二つの領域である。
第一に、個人の発達における幼児期である。乳幼児は、世界の中心が自分であると信じる「一次的ナルシシズム(自己愛)」の段階にある。彼が空腹を感じて泣き叫ぶと(意志の表明)、母親がやってきて乳を与える(願望の充足)。幼児の主観的な体験においては、あたかも自らの願望が魔法のように現実を創り出したかのように感じられる。この段階では、リビドー(性的エネルギー)はまだ外界の対象に向けられず、自己(エゴ)に注がれている。この幼児的な万能感こそ、「思考の万能」の起源なのである。
第二に、強迫神経症者の心理である。第二章でも触れられたように、強迫神経症の患者は、しばしば自分の抱く不吉な思考(例えば、愛する人が死んでしまえ、といった攻撃的な考え)が、現実にその通りの結果を引き起こしてしまうのではないかという、非合理的な恐怖に苛まれる。彼らは、思考と行為を無意識のうちに同一視している。だからこそ、不吉な思考を打ち消すために、強迫的な儀式(一種の「対抗呪術」)を行わずにはいられない。彼らは、いわば「思考の万能」という原始的な信念へと「退行」してしまっているのである。
3. 人類の知的発達の三段階説
この「未開民族=幼児期=神経症」という三項類推に基づき、フロイトは人類の知的発達の歴史全体を、この「思考の万能」という信念の変遷の物語として再構成する、壮大な歴史理論を提示する。
- アニミズム的段階(Die animistische Phase):
- これは人類の知的発達における最初の段階であり、「思考の万能」が人間自身に帰せられていた時代である。人間は、自分自身とその思考が、直接的に世界を支配できると信じていた。
- これは、個人の発達におけるリビドーが自己に向けられている「ナルシシズム」の段階に対応する。
- 宗教的段階(Die religiöse Phase):
- 人類が成長するにつれて、人間は自らの無力さを痛感し始める。願っても雨は降らず、儀式を行っても病は癒えない。この段階で、人間はかつて自らが持っていると信じていた「万能性」を、自分を超えた存在、すなわち「神々」へと譲り渡す。
- もはや人間は直接世界を支配することはできない。しかし、祈りや供物、儀式を通じて神々の歓心を買うことで、間接的に自らの願望を叶えてもらおうとする。万能性は放棄されたのではなく、神へと投影されたのである。
- これは、個人の発達において、リビドーが自己から親へと向けられる「対象選択(親への愛着)」の段階に対応する。子供は自らの無力さを知り、万能であると信じる親に依存し、その愛を求めるようになる。
- 科学的段階(Die wissenschaftliche Phase):
- これは人類の知的成熟の段階である。人間は、世界の運命が神々の気まぐれな意志によって決まるという考えをも放棄し、世界が客観的で非人格的な自然法則によって支配されていることを承認する。
- 人間は「思考の万能」という幼児的な喜びを最終的に断念し、厳しい「現実原則(Realitätsprinzip)」を受け入れる。しかしその代償として、自然法則を理解し、それを利用する(科学技術)ことによって、現実の世界に対して限定的ではあるが、確実な影響力を行使する能力を獲得する。
- これは、個人が親への依存を乗り越え、現実の制約を受け入れながら自立した生活を営む「成熟」した段階に対応する。
フロイトは、これらの段階が完全に断絶しているわけではなく、後の段階においても前の段階の残滓が見られることを指摘する。例えば、現代人が抱く迷信や、芸術活動(芸術家は想像力の世界で願望を自由に実現させる)の中に、フロイトは「思考の万能」の生き残りを見出すのである。
結論:最終章への不可欠な布石
第三章「アニミズム、呪術、思考の万能」は、一見するとトーテムやタブーという本筋から逸脱した、抽象的な文化史・精神史の議論のように見えるかもしれない。しかし、この章は『トーテムとタブー』全体の論理構成において、決定的に重要な役割を果たしている。
フロイトは、この章を通じて、「未開民族」の精神が、「思考の万能」という現代人とは根本的に異なるOS(オペレーティング・システム)で作動していたことを明らかにした。彼らにとっては、思考と行為、願望と現実の間の境界は極めて流動的であった。この心理的舞台を理解して初めて、我々は第四章で語られる「原父殺し」という出来事の、真の心理的インパクトを理解することができる。
もし、思考が現実を動かすと信じられていた世界であったなら、「父親を殺したい」という願望を抱くこと自体が、すでに恐るべき犯罪行為に等しい意味を持っていたはずである。そして、その願望が現実の行為として実行されたとき、その行為が息子たちの心に刻みつけた罪悪感は、我々が現代的な合理性で推し量ることのできるレベルを遥かに超えた、魔術的で、根源的な重みを持っていたに違いない。第三章は、この根源的な罪悪感がいかにして生まれ、そしてその罪悪感が人類の最初の道徳(タブー)と宗教(トーテミズム)を創り出す原動力となったのかを解き明かすための、不可欠な理論的布石なのである。
