1. フロイト的に「不安が金融化される過程」
1-1. 不安は本来、対象をもたない
フロイトにとって「不安」とは、
- 何かが怖い、ではない
- 何が起きるかわからない
- しかし危険が近い、という感覚
つまり、不安は
対象を欠いた予期です。
この不安は本来、
- 身体症状
- 夢
- 強迫
- 抑うつ
として表現されます。
1-2. 現代社会は不安を「対象化」する
ところが現代資本主義は、不安を放置しません。
不安はそのままでは扱いにくいからです。
そこで起きるのが、
不安の対象化=金融化
です。
- 何が不安か → 為替
- どれだけ危険か → 金利
- いつ爆発するか → 市場
不安は、
- 身体から
- 生活から
- 人間関係から
切り離され、
チャートと数値に変換される
これにより主体は、
- 自分の不安を
- 自分の感情として感じなくなる
「市場が不安定だ」
「国債が危ない」
それは事実ですが、同時に、
私の不安を、外に預けている
状態でもあります。
1-3. 金融は集合的防衛機制である
フロイト的に言えば、
- 市場分析
- 格付け
- リスク管理
はすべて、
合理化・知性化という防衛機制
です。
不安は「理解可能なリスク」に変換され、
それによって一時的に耐えられる。
しかしこれは、
- 不安を解消しない
- ただ延期する
その延期が破れるとき、
次に来るのは——パニックです。
2. 臨床比喩としての「社会的抑うつとパニック」
2-1. 抑うつ相:期待しない社会
現代日本は、長く社会的抑うつ相にあります。
特徴は、
- 大きな期待がない
- 怒りも高揚も少ない
- 「まあ、こんなものだ」という諦念
臨床でいうなら、
感情を下げて、なんとか日常を維持している状態
これは壊れているのではなく、
壊れないための適応です。
2-2. パニック相:一瞬の躁的噴出
しかし抑うつは永遠に続きません。
- 災害
- 金融ショック
- 戦争報道
- 感染症
こうした刺激で、
抑圧されていた不安が
一気に噴き出す
これが社会的パニックです。
特徴は、
- 理屈が通らない
- 行動が過剰
- 攻撃対象が錯綜する
トイレットペーパー騒動、
投機的暴騰暴落、
SNS炎上。
これは、
抑うつの裏返しとしての躁
です。
2-3. パニックはすぐ終わる
重要なのは、
日本ではパニックが持続しないことです。
- 怒りが構造に向かわない
- 責任追及が曖昧
- すぐに日常へ戻る
臨床で言えば、
感情が十分に「経験」されないまま鎮静される
これは次の問いにつながります。
3. なぜ日本では危機が「怒り」にならないのか
3-1. 怒りは外在的対象を必要とする
フロイト的に、怒りとは
- 欲望が妨害された
- 権利が侵害された
ときに生じます。
しかし怒るためには、
- 誰が妨害したのか
- どこに責任があるのか
が明確でなければならない。
3-2. 超自我化社会では怒れない
日本では、
- 国家は「お願い」する
- 制度は「選択」を装う
- 失敗は「自己責任」になる
その結果、
攻撃対象が外に見えない
怒りは行き場を失い、
- 自責
- 無力感
- 抑うつ
へと反転します。
これはフロイトが述べた
抑うつ=攻撃性の自己向け転回
そのものです。
3-3. 怒らないのではない、怒れない
重要なのは、
日本人は怒らないのではなく、
怒る構造が奪われている
という点です。
- 怒れば空気を壊す
- 怒れば孤立する
- 怒っても何も変わらない
この学習が、
集団レベルで完成している。
4. 医療・福祉が最後の緩衝材になる理由
4-1. 医療・福祉は「不安の受け皿」
金融も政治も信じられなくなったとき、
人はどこへ行くか。
- 病院
- 相談窓口
- 福祉制度
ここは、
不安が個人化され、語れる場所
です。
社会的問題は、
- 診断
- 支援
- ケース
に変換されます。
4-2. 医療化は社会崩壊を遅らせる
これは批判だけでは語れません。
医療・福祉があるから、
- 暴動にならない
- 犯罪にならない
- 家庭内で破裂しない
つまり、
医療・福祉は
社会の精神的インフラ
です。
マルクス的に言えば再生産装置、
フロイト的に言えば防衛機制。
4-3. しかし限界もある
問題は、
- 医療が削減され
- 福祉が条件化され
- 支援が自己責任化される
ときです。
この緩衝材が壊れれば、
不安は再び、
生の形で噴き出す
そのとき初めて、
- 怒り
- 分断
- 排外主義
が前景化する可能性があります。
5. 結語:静かな社会は、健康ではない
総合すると、
- 不安は金融に預けられ
- 社会は抑うつに適応し
- 怒りは内面化され
- 医療と福祉がそれを抱え込む
これは「安定」ではありません。
破綻を先送りしているだけの均衡
臨床家の役割は、
これを煽ることでも、黙認することでもなく、
- 不安を不安として語り直す
- 怒りを罪にしない
- 回復を急がせない
ことにあります。
それは政治運動ではない。
しかし、
この社会では、
もっとも政治的な行為
でもあります。
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