ego-centricとは、ASDの人が持っている「自分の視点だけで世界を捉える傾向」のことです。極端に言うと、「自分の存在が大きく、自分が主人公で、他の人はすべて脇役」のような世界観です。決して「自分勝手」「わがまま」ではなく、他人の立場や考えを想像・理解できない、いわば「気付かない」認知特性です。

自分の興味・欲求を優先する⇒社会性の障害
他人も自分と同じ興味や感情を持つと思い込んで一方的に話す⇒コミュニケーションと相互関係の障害
自分の想定以外の選択肢を思いつかない⇒想像力の制限・困難
3歳まで有意語がなくASDと診断され、市の療育機関に通院した。入学前のWISC-IVではFIQ:128だったが、保育園ではトラブルが多く、特別支援学級(自閉・情緒)在籍として小学校に入学した。対人トラブルは絶えないが、理解のある担任が仲裁をしながら学習に取り組んでいた。ある日、相性の悪いZちゃんが交通事故で入院したと聞き、同級生の前で「やったぁ」と大喜びしたため、心配した担任、母親と一緒に受診した。
医師:Yくんのお友達がケガで入院したんだって?
Y :Zちゃんは友達ではありません。でも、ケガして入院しました。(退室)
担任:Yくんは優しい子で1年生の面倒もよく見てくれます。だから、本当はケガしたZちゃんを心配しているはずです。でも、どうしてあんな言い方をするのか…クラスのみんなも戸惑っています。
母親:YはZちゃんに注意されることが多く、家ではよく文句を言っていました。私は、Yが「やったぁ」と言ったのは、本心なのだろうと…。私は、血も涙もない子どもを産んでしまって(涙)。
医師:私もYくんの本心だろうとは思いますが、それは「血も涙もない」、つまり「共感する能力がない」とは違うかもしれませんよ。
単純に考えると、Zちゃんが学校に来ないことはYくんにとってうれしいことです。その背景に交通事故に遭ったZちゃんへの同情やケガへの心配、また自分が「やったぁ」と言うことで他の子どもにどう思われるか、といった視点はYくんにはありません。しかし、実際にZちゃんの大変さを説明され、クラスのみんなでお見舞いに行くと、泣きながら「早く元気になって」と言ったそうですから、「血も涙もない=共感できない」わけではありません。ただ、Zちゃんの交通事故をイメージできず、それ故に、Zちゃんの気の毒な立場や同級生の気持ちに「気付かなかった=共感が発動されなかった」のでしょう。
ASDの成人を対象とした研究でも、認知的共感(相手の気持ちを理解する・心の理論)は苦手なものの、情動的共感(相手の感情を感じる)は定型発達と大きな差がないことが示されています1)。
「他の人の立場や気持ちに気付かない」と聞いた担任は、「一つひとつ教えて気付かせてあげるのが、私の役目ですね」と言ってくれました。Yくんに分かりやすいルールを提示し、トラブルが起きても叱らずに「こうしたらケンカにならない」と適切な言葉遣いを教え、相手の気持ちを当てるクイズを取り入れてくれました(ルールの視覚化・ソーシャルスキルトレーニング・ロールプレイなど)。Yくんは徐々に小集団の中での振る舞いを獲得し、4年生になると通常学級でもトラブルはなくなりました。
【その後の経過】
Yくんは4-5年生を順調に過ごした。6年生になると「疲れた」「学校を休みたい」と言うようになり、ある日「今日から学校には行かない」と言って自宅から出なくなった。驚いた母親に連れられて、かかりつけ医を受診した。
母親:「お母さんには分からない」と言って何も話してくれません…。先生に相談したいと言っています。
医師:じゃあ、お母さんは待合室で待っていてください。Yくん、ご相談とは何ですか?
Y :ボクは、みんなに嫌われています。みんなと仲良くする練習を続けてきたけど、油断するとみんなと違うことを思ったり、やったりしちゃいます。「他の人にも、ボクと同じだけの気持ちや価値がある」って教わって、最近分かるようになったから、みんなに合わせようとしているけどできません。ボクは何かが欠落していると感じます。だから人に会うのが怖くて…。
医師:どんなときにそう思うの?
Y :例えば、多数決で自分の希望と違うことが決まると、イヤな気持ちが顔に出ます。すぐに隠すけど、すごく疲れます。「運動会では個人の成績よりチームの勝利が大事」みたいな話をされると反射的に「違うだろ」と思うから、みんなに嫌われます。自然にそんな考えができる人がうらやましい。仲のよい5-6人のグループでも、「ほんとはボクだけ違う」という違和感が拭えません。お母さんはすぐ「そんなことない」「考えすぎ」って言うから、ボクの気持ちは分からないと思います。
医師:なるほどね…。今、Yくんは、とても本質的な問題に直面しています。この問題は、必ず通らないといけないので、今のつらさは無駄ではありません。先生と一緒に考えましょう。
思春期に複雑化する対人関係とカムフラージュの負荷 小学校高学年から思春期になると、ASDの子どもはego-centricに基づくコミュニケーションの問題に加えて、新しい3つの課題に直面します。
1)複雑化する対人関係
高学年になると仲間意識が高まり、「みんなお友達」ではなくなります。仲間内の暗黙のルール(仲間かどうか、仲間内の役割や上下関係など)が理解できないASDの子どもは、対人関係で浮いたり、排除されたりすることがあります。
2)カムフラージュのストレス
対人関係での疎外感が高まると、一部の子どもは周囲との関係を最低限に制限し、自分の興味に没頭します(孤立)。その一方、意識的/無意識的に話を合わせたり、自分の感情や興味を抑えたりして、周囲に適応しようと努力(カムフラージュ)する子どももいます。カムフラージュは短期的には適応能力の向上をもたらしますが、長期的にはストレスやメンタルヘルスの悪化につながることもあります。
3)自分と他人の違い
思春期は、定型発達であっても「他人と自分を比較」し、「自分とは何者か?」を考える時期です。ASDの子どもは、他人の目を気にするようになっても自己評価と他人の評価が一致しづらく、しかもその一致しない理由や「どうすればいいか」も分かりません。ただ、「自分は他の人と何か違う」という違和感を覚えて悩んでしまうこともあります。
Yくんは低学年でソーシャルスキルトレーニングを受け、日常的なコミュニケーションスキルは向上しました。しかし、高学年になるとそれだけでは通用しなくなり、仲間内で浮いてしまうことが増えています。ストレスを抱えながらカムフラージュを続けていましたが、疲弊してしまいました。また、「他人と自分を比較」して「反射的にego-centricな考えが浮かぶ」自分を嫌悪し、「何かが欠落しているから」「周りに嫌われている」と思い込んでいます。その結果、「人に会うのが怖い」と不安が高まり、抑うつ傾向になって不登校に至ったと解釈できるでしょう。
Yくんの悩みを解決するには、「自己アイデンティティの確立」というYくんの発達課題に向き合う必要があります。Yくん自身にASDの診断を告知し、自己理解を深めて社会との向き合い方を考えてもらう時期が来たと考えられます。
⑤まとめ 成長とともに変化するASDの対人意識 今回は、ASDの対人意識について考えました。低学年のうちは、独特な対人意識によるコミュニケーションの問題が大きく、ロールプレイなどのソーシャルスキルトレーニングが問題解決に役立ちました。高学年になり思春期を迎えると、「自分は他の人と違う」という自己アイデンティティの問題、そして社会の中でどのように生きていくかという社会性の問題が重要になります。ASDの診療では、こうしたライフステージに伴う課題の変化を把握することが大切です。
