日本民衆の死生観

日本人の死生観
はじめに―菊と刀と鍬
従来、日本人の死生観というと、すぐハラキリが出てきたり、殉死が出てきたり、『葉隠』が出てきたりというような、武士道的死生観というものに限定しているように思うのです。これは日本人をいわゆる「菊と刀」だけできっているようなものです。 菊に象徴された貴族文化、王朝文化もたしかにりっぱなものだと思いますし、また武家文化というものも、いわゆる騎士道的な、世界に誇るべきものだと思いますが、もう一つひじょうに大きなものを従来の日本人論あるいは日本人の精神構造のなかで残していると思います。それは庶民の持っている思想、宗教、あるいは人生観、死生観のようなものであろうと思います。 それで私は菊と刀と鍬と並べて、やはり鍬も入れていただかないと日本人論にならないのではないか、その鍬を持っている人々の、死生観はいったいどういうものがあるかということを考えてみたいわけです。
従来、死生観を考えるうえで、いわゆる武士的なものは道徳としてとらえられていると思うのですが、生と死の問題はもっと別な、宗教という面でとらえなければならないと思うのです。
武士においては、武士団を維持する、一つの道徳が必要である。 同時に武士団という一つの集団のなかでは個というものは没却されるものですから、いつも自己犠牲的な死生観を持たなければならない。 いわゆる名を惜しむとか、あるいは家を残すという意味で、死がいつも考えられている。
とくに武士の場合には、戦場において戦闘に勝たなければならないということがあり、そういう必要の生んだ一つの道徳でもある。日本人を世界に印象づけております特攻隊とか、三島由紀夫の事件 (昭和四十五年自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した事件)も、そうした観点のなかでとらえられる。あるいは楠木正成の七生報国という死生観、また世界をびっくりさせた日本赤軍派というようなものが、いったいなぜ起こってくるかということも考えなければならない。
単なる武士道とか武士の道徳的なもの以上の、もっと深いところから解釈すべきではないかというのが、これから述べたい日本人の死生観の問題です。

いちおう四つほどに分けて話します。
一つは日本人の霊魂観の問題。 人間が死んでから、霊魂はいったいどうなるのであろうかということがあり、そこに死生観の根本、あるいは日本人の宗教の根本が根ざしている。いま宗教というと、近代宗教、現代宗教では、死んだ人のためのものじゃない、生きているもののためだといいますけれども、生きているものはいつかは死ぬのです。 いわゆるモータル(死をまぬがれない)としての現代人ですから、いつでもそこに死をかまえた現代宗教というものがあってしかるべきだと思います。日本人を考える場合、とくに庶民を考える場合には、そうした霊魂の観念は、意外にわれわれの常識と違ったものをもっている。そういうところから、国神社の問題も考えなければならないと思うのです。
それから、その霊魂のいく世界です。 宗教学でダス・エーンザイト (Das Jenseit) 「他界」と呼んでいるものから日本人の死後観、あるいは死んでのちの生活の問題も考えるべきではないか。そういたしますと、日本で浄土教が庶民のなかに受け入れられてきた精神的基盤も明らかにされる。浄土思想というべきものは『阿弥陀経』ができて、中国へ伝わって、曇鸞・道綽・善導を経て、日本へ来たものだけではないので、やはり日本人が死んでからどうなるかという問題をもとにして、それを仏教的にモディファイしたものというふうに考えられると思います。浄土思想にインドや中国と違った別のものが出てくる理由がやはりわかる。
それからもう一つは、これは世界中どこでもそうですけれども、死んだら死んだきりではない、霊魂は不滅であるという問題がある。それと同時に、死んだものがよみがえるという、再生、復活の信仰が、日本人の死生観に大きな影響をもっている。とくに庶民の宗教のなかに、再生信仰というものはひじょうに大きな影を投げている。
第四として、日本人の罪業観をもとにして、罪業を償うための、私は「贖罪死」と名づけておりますけれども、贖罪のための死があります。 それが他動的に行なわれたときには、人身供犠、人身御供というものになってあらわれます。兵隊が赤紙一枚で戦場に赴いていったことの基盤には、この贖罪死とか人身供犠の問題がひそんでいるのではないかと考えるわけです。 これが庶民信仰のうえでも、いろいろと問題を投げかけています。
この四つくらいに分けて、日本人の死生観のいちばん基礎的な構造をみていきたいと思います。第一の霊魂観ですが、日本人の場合、霊魂と肉体と二つに分けて、死というものは霊魂と肉体との分離と考えます。
その霊魂というものは、生きているものにとっては意外に恐ろしいものであるということから出発しなければならないと思うのです。現代的な意味では、亡くなった霊に対する悼みと懐かしみ、肉親の場合にはなおさらそれがあるのですが、古代、あるいは庶民の場合には、集団のなかのひとりの死というようにとらえます。そうしますと、集団にとってあるひとりの死というものは、単なる懐かしさとか感情的なものでなくて、恐ろしい災害のもとになる、いわゆる荒魂ということばで呼ばれる存在になるわけです。
戦争中には、荒魂と和魂ということがいわれて、和魂は八紘一宇のいつくしみをもつ天照大神や天皇のいつくしみである。荒魂は、悪いものを討ち滅ぼす魂であるといわれましたが、近ごろでは、新しい魂、死んでまだ十分熟さない魂であり、その新魂はすなわち荒々しい御魂である、と解釈されています。 新しい魂ほど祟りやすく、また生前果たせなかった場所まで行って、そこへはいり込んで、六条御息所の生霊みたいに自分の恨みをはらしていく。 そうした働きを荒魂に認めている。
ところが、そういう荒魂はいつまでもそのままあるのではなくて、自然と浄化され、あるいは昇華していく。 霊魂のサブリメーション (sublimation) といっていいようなものが、日本人の霊魂観、死後観にあると思うのです。そして浄化する手段は、やはり宗教なのです。 宗教的実践にあるわけです。 それがしだいに浄化されて和魂になる、いわゆる熟してくる。私は「和」だけでなくて、 「熟」もあてたほうがいいかと思うんです。 そしてそれはゴッドと呼ばれるような神になる。霊から神へというのが、日本人の死後の霊魂のとらえ方であった。
そういう霊肉の分離から霊魂の昇華ということを考えさせるものが、日本人の墓制とか葬制です。 その墓制、葬制をとおして日本人の死後観というものを少しみてみたいと思うのですが、 それもありふれたことでなく、沖縄のほうで注目されているような水葬の問題、あるいは風葬というような問題を取りあげてみたい。
水葬の場合も、風葬の場合も、死者の霊は荒々しい霊ですから、それを封鎖することがやはり葬制、墓制の根本になります。風葬の場合には殯を営むわけですが、例の高松塚古墳の場合でも、殯ということばがたびたび使われるようになってきましたが、日本の庶民の場合は、大陸から渡ってきた高塚墳のような墓を営むことは少なかった。
かりに土に埋めたとしても、浅い埋め方をしますし、そういう埋葬形式をとらないで、洞窟あるいは野原に風葬されるという事例がひじょうに多い。中世になっても、鳥辺野の光景を描いた『餓鬼草紙』には、風葬で、ござの上に乗 せられたまま、あるいは棺のなかに入れられたままで地上に置かれている。これは、日本人が肉体を厭うことのはなはだしい民族で、その肉体を早く消滅させて、肉体が消滅すれば霊魂は浄化する、きたない腐敗していく肉体が存在すると霊魂は浄化されない、とかんがえていたからで、早く浄化させるためには、水に流してしまうか、あるいは風化させてしまうかの、二つの手段をとっていたのです。
この風葬と殯と結合して、死体を最初地上に置いた場合に、そのまわりに常磐木を立てて、それを隠すという葬法ができる。現在では、埋葬した上に常磐木を立てて、盛土で覆ってしまうというのがある。これは青い柴で垣根を作ってそのなかに封鎖するという意味で、青柴垣(蒼柴籬)とか、あるいは青山などと呼ばれているもので、殯の分類のなかでいちばん古い形は、死体を地上へ置いたら、そのまわりに枝をさしたのだろうと考えられます。『日本書紀』でもだいたい文武天皇までは殯の記事が必ずありますが、その様式は実はあまりはっきりしておりません。
火葬するようになってからも、同じような形で行なわれたとみえて、後一条天皇の葬送のありさまが『中右記』に書かれており、これに加えて平安時代の天皇方、あるいは内親王などの葬式を記録した『類聚雑例』を見ますと、そのころになると、常磐木も使ったようですけれども、青柴垣より竹、切掛けというのを使っております。これは竹や木の枝を全部はらわないで、少し残してはらう。そうして枝を切りかけたものを、棺のまわりに立てる。それも内垣と外垣と二重に立てるというような形が残っております。
現在モンガリ、あるいはモガラダケと呼んでいるのは、竹の枝を約三センチないし六センチ残して切ったもので、ちょうど枝の出ているところが洗濯物をかけるのに都合がいいものですから、以前はアパートの前などにたくさん立っておりました。あれは昔はたいへんに嫌ったもので、紺の染物をする紺屋さん以外には絶対使ってはいけなかった。紺屋さんだけは、それを使うことを認められていたということもあります。しゅうとめさんのいるところで、三本の棒のサンギッチョ――これも殯の一つの形式ですが、 サンギッチョを二本立てて、ちょうど叉銃をした上に旗竿を置くみたいに洗濯竿を置いてかけたら、戦前だとたちまち嫁さんは追い出されたと思います。 モガラダケを作って干したら、こんな不吉なことをする嫁は出て行けということになったと思うのです。
そういうものは、かつては枝の繁ったものを立てたことから変わってきた。 これは、最初述べたように、日本人が死体を穢れとしてひじょうに嫌う、と同時に、霊魂をそのなかに封鎖してしまう。たとえば社の森のなかに荒神さんを封鎖してしまうことなどは、その残存と考えることが、いちばん妥当だと思うのです。 なおいえば、 神葬祭の玉串奉奠のときに、一五センチくらいの榊の枝に白い紙をつけて神官から授かり、根元のほうを先にして置きますが、あれももとはそのまま地上に挿してくることがいわゆる青柴垣であり、また青山を営むことであった。

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