市民講座 第3回
「なぜ人は『自分』という物語を信じるのか ―― 自己という予測モデル」
皆さん、こんにちは。
前回は、
脳は現実をそのまま見ているのではなく、予測している
というお話をしました。
今日は、その続きです。
しかし今回は、もっと不思議な話になります。
なぜなら今日のテーマは、
「私とは何か」
だからです。
皆さんは昨日の自分と同じ人ですか?
少し考えてみてください。
皆さんの身体は毎日変化しています。
細胞は入れ替わります。
髪も伸びます。
皮膚も変わります。
考え方も少しずつ変わっています。
子どもの頃と比べれば、
好きなものも、
嫌いなものも、
価値観も、
かなり変わっているでしょう。
それなのに、
私たちは不思議なことを言います。
「私は私だ」
と。
「私」はどこにあるのか
脳を解剖しても、
「私」という場所は見つかりません。
心臓のように、
ここが自己です、
という器官はないのです。
脳科学者が脳を調べても、
見つかるのは、
記憶のネットワークや、
感情のネットワークや、
身体感覚のネットワークです。
しかし、
それらを統括する小さな司令官のような「本当の私」は見つかりません。
ここで予測処理理論は、
少し大胆なことを言います。
「自己とは脳が作った最も大きな予測モデルの一つである」
というのです。
自己は「主人」ではなく「物語」
想像してください。
ある朝、目が覚めます。
すると、
- 天井が見える
- 体が重い
- お腹が空いている
- 昨日の記憶がある
こうした無数の情報が流れ込んできます。
脳はこれらをまとめなければなりません。
そこで作り出されるのが、
これは同じ人の経験である。
昨日の人と今日の人は同じである。
この身体の持ち主は私である。
という物語です。
この物語がなければ、
世界は断片になってしまいます。
「私」は地図のようなもの
地図は土地そのものではありません。
しかし地図がなければ迷います。
自己も同じです。
自己は人間そのものではありません。
しかし自己という地図がなければ、
人生を歩けません。
皆さんが、
明日の予定を立てるとき、
脳はこう考えています。
明日の私も、今日の私の続きである
だから計画を立てられるのです。
記憶は録画ではない
ここでさらに驚く話をしましょう。
私たちは、
記憶を録画だと思っています。
しかし実際には違います。
記憶は毎回作り直されています。
思い出すたびに、
脳は過去を再構成しています。
だから兄弟で同じ旅行に行っても、
覚えている内容が違うことがあります。
どちらかが嘘をついているわけではありません。
それぞれが異なる物語を作っているのです。
人生は小説に似ている
考えてみると、
私たちは人生を説明するとき、
いつも物語を使います。
私はこんな家庭で育った。
だからこういう性格になった。
だからこの仕事を選んだ。
こう語ります。
しかし実際には、
人生はもっと偶然に満ちています。
予想外の出会い。
予想外の失敗。
予想外の病気。
予想外の幸運。
それらを後から一本の筋にまとめているのが、
自己という物語です。
では自己は幻想なのか
ここでよく誤解が起きます。
「自己は物語だ」
と言うと、
じゃあ私は存在しないのですか?
という質問が出ます。
そうではありません。
虹を考えてください。
虹は物質ではありません。
触れません。
しかし存在します。
実在しないわけではありません。
自己も似ています。
自己は石のような物体ではありません。
しかし人間の生において、
極めて重要な現実です。
精神病理では何が起きるのか
ここから精神医学に入ります。
うつ病の人は、
自己物語が暗くなります。
私は失敗する人間だ。
価値がない人間だ。
未来も希望がない。
すると新しい経験があっても、
その物語に吸収されてしまいます。
褒められた。
↓
相手がお世辞を言っただけだ。
成功した。
↓
たまたまだ。
こうして物語は維持されます。
妄想の場合
妄想でも同じことが起こります。
ただし方向が違います。
私は特別な使命を持っている。
私は監視されている。
私は選ばれた存在だ。
こうした自己物語が形成される。
そして世界中の出来事が、
その物語の証拠として解釈されるようになります。
実存主義の人々が見ていたもの
ここで少し哲学に寄り道しましょう。
ビンスワンガーやミンコフスキーといった実存主義精神医学者たちは、
脳の計算など知りませんでした。
しかし彼らは、
患者さんの語る世界を丁寧に聞きました。
すると気づいたのです。
病気とは単なる症状ではない。
世界との関係そのものの変化である。
うつ病では、
未来の意味が失われる。
統合失調症では、
世界とのつながりが変質する。
不安障害では、
世界が脅威に満ちて見える。
彼らは、
人間が生きる世界そのものが変わることを見ていました。
予測処理理論との出会い
ここで現代の認知科学が再び登場します。
予測処理理論は、
その変化を別の言葉で説明します。
自己とは予測モデルである。
世界とは予測モデルである。
未来とは予測モデルである。
病気とは、
そのモデルが柔軟性を失ったり、
過度に不安定になったりすることで起こる。
説明の言葉は違います。
しかし見ている現象は驚くほど似ています。
最後に
今日の話を一言でまとめましょう。
私たちは、
「私」という存在を発見しているのではありません。
毎日、
毎瞬間、
「私」という物語を紡いでいるのです。
その物語があるから、
昨日と今日がつながり、
今日と明日がつながり、
人生という一本の道が生まれます。
しかし同時に、
その物語が苦しみを生むこともあります。
だから精神療法とは、
症状を消すだけではなく、
その人がどのような自己物語を生きているのかを共に見つめ直す営み
なのかもしれません。
次回は、
「自由意志は本当に存在するのか ―― 予測する脳と『選ぶ私』」
という、さらに厄介で、しかし人間らしい問題へ進んでみたいと思います。
そこでは、脳科学と実存哲学が正面から出会うことになります。
