「あなたの脳は壊れている」ではなく、今の環境とミスマッチが起きているだけだ

進化論と精神医学の交差点は、現在**「進化精神医学(Evolutionary Psychiatry)」**という分野として非常に活発に議論されています。

従来の精神医学が「脳のどの部位が壊れているか(近因)」を問うのに対し、進化精神医学は**「なぜ、ヒトという種においてこれほどまでに精神疾患が排除されずに残っているのか(遠因)」**を問い直します。


1. 精神疾患を「適応」の成れの果てと見る視点

進化の観点からは、現代の「病気」とされる症状の多くが、かつては生存に有利に働いた**「適応戦略」の過剰反応や誤作動**であると考えます。

  • 不安障害・恐怖症: サバンナで捕食者に襲われるリスクがあった時代、過剰に警戒心が強い個体ほど生き残る確率が高まりました。現代のパニック障害などは、この「煙探知機」のような防衛システムが、火の気がないのに鳴り響いている状態(誤作動)と解釈されます。
  • 抑うつ(うつ病): 「社会競争からの撤退戦略」という説があります。負け戦を続けることで致命的なダメージを負うのを避けるため、エネルギーを遮断し、引きこもることで集団内での攻撃を回避するという適応的な反応が、現代の複雑なストレス下で慢性化したものという視点です。

2. ミスマッチ理論(Mismatch Theory)

私たちの脳と身体は、数万年前の「狩猟採集生活」に最適化されています。しかし、現代社会の変化(IT化、孤独、加工食品、睡眠不足)があまりに速すぎるため、遺伝子が追いつけていないという考え方です。

  • ADHD(注意欠如・多動症): 狩猟採集社会では、一つのことに集中するよりも、周囲の微かな音や動きに素早く反応し、新しい場所を探求する個体(ハイパーアクティブ)が「優秀なハンター」として重宝された可能性があります。現代の「教室でじっと座る」という環境とのミスマッチが、彼らを「障害」に変えてしまったという議論です。
  • 孤独とSNS: 人間は小規模な集団(ダンバー数:約150人)で生きるよう進化しました。数万人と比較されるSNS環境は、進化上想定されていない「社会的地位への脅威」を脳に与え続け、摂食障害や自己肯定感の喪失を引き起こしています。

3. 進化的パラドックス:なぜ統合失調症は消えないのか?

重度の精神疾患は、生物学的な適応度(子供を残す確率)を下げる傾向にあります。それなのに、なぜ全人類の約1%という高い割合で統合失調症が存在し続けるのかは、大きな学術的謎です。

  • 言語進化とのトレードオフ: 一説には、人類が高度な「言語」や「抽象的思考」を獲得する過程で生じた、遺伝的な副作用であると言われています。言語を司る脳の配線が複雑化しすぎたために生じる「システムの不安定さ」であり、人類の知性という恩恵を受けるために支払っている「代償」であるという見方です。
  • 「バランス選択」説: 統合失調症の発症に関わる遺伝子を持つ血縁者が、創造性や直感力に優れ、生存上のメリット(カリスマ性や芸術的才能など)を持っていたため、遺伝子が保存されてきたという仮説です。

4. 学術的レベルでの批判と限界

進化精神医学は強力な説明力を持ちますが、学術的には以下の批判も受けています。

  • 「適応主義の物語(Just-so stories)」: 「かつては役に立ったはずだ」という説明は、後付けの物語に過ぎず、実験的に証明するのが極めて難しいという批判です。
  • 文化の影響の軽視: 精神疾患の現れ方は文化圏によって大きく異なります。すべてを遺伝子と進化のせいにすると、社会構造や教育の影響を見誤るリスクがあります。

まとめ:治療への応用

現代の精神医学では、これらの知見を**「脱スティグマ(偏見の除去)」に活用しようとしています。「あなたの脳は壊れている」ではなく、「あなたの脳は、かつての過酷な環境を生き抜くための優れた機能を備えているが、今の環境とミスマッチが起きているだけだ」**と伝えることで、患者の自己理解を助けるアプローチです。

進化という長い時間軸で見ると、私たちの「弱さ」は「生き残るための戦略」の結果とも言えます。

次は、具体的に「発達障害(ADHDや自閉スペクトラム症)」が進化学的にどのような強みを持っていたと考えられているか、詳しく深掘りしてみますか?

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