第1章 温存的精神療法とは何か ― 概念の誕生と基本理念


第1章 温存的精神療法とは何か ― 概念の誕生と基本理念

1.1 本書の問いかけ:精神療法における「温存」とは

精神療法家であれば誰しも、一度は次のような問いに直面したことがあるのではないだろうか。「患者は本当に『回復』しなければならないのか」「私が何かを『しよう』とすることが、かえって患者を追い詰めているのではないか」。

本書で提示する「温存的精神療法(Preservational Psychotherapy)」は、こうした臨床的な問いの積み重ねの上に形成されてきた一つの視点である。それは「治すこと」よりも「育むこと」を、「変革」よりも「継続」を重視するアプローチであり、患者の今ここにある形を、一旦そのまま受け止めることから始まる。

本章ではまず、この概念がどのような臨床的な必要から生まれ、どのような多層的な意味を内包し、どのような治療理念を目指すものなのかを明らかにする。それは同時に、読者である精神科医の皆さんが日々の臨床で向き合っている「行き詰まり」や「違和感」に、一つの異なる視点を提供することにもなるだろう。

1.2 概念誕生の背景 ― なぜ「温存」が必要だったのか

温存的精神療法という発想は、机上の理論から生まれたのではない。日々の臨床の中での行き詰まり、精神医学思潮への違和感、そして患者たちの姿という、三つの現実との格闘の中から徐々に形を成してきたものである。

1.2.1 臨床現場からの出発:ある種の行き詰まり

精神療法を学び始めた頃、私が目指していたのは「よい治療者」のイメージそのものだった。患者の話に共感的に耳を傾け、時に適切な解釈を加え、患者がよりよく生きるための手助けをする。そうしたごく標準的な治療者像を、私は疑いもなく追い求めていた。

最初のつまずきは、むしろ「よいことをしよう」とすればするほど生じた。長く沈黙がちな統合失調症の回復期にある患者に対し、私は何とか会話を弾ませようと様々な話題を提供した。しかし、私が話せば話すほど患者の表情は硬くなり、ついには「先生は、私に何かを話させようとしているんですよね」と言われた。その指摘は図星であり、私は自分の「治療的な熱意」が患者に圧力として伝わっていたことに気づかされた。

別のうつ状態の患者には、症状の捉え方を前向きに変える認知療法的なアプローチを試みた。患者は表面的には私の提案に従おうとしたが、翌週には「先生の言う通りに考えようとすると、かえって自分はダメな人間だという思いが強くなります」と訴えた。「治そう」とする私の姿勢が、かえって患者の自己否定感を強化していたのである。

このような経験は一度や二度ではなかった。励まし、アドバイス、解釈――それらは全て善意から出たものであり、教科書的にも「適切な介入」とされうるものだった。しかし、それらが患者に届く時、しばしば「私はこうあるべきだ」という圧力に転化していた。

転機は、ある種の諦めにも似た経験から訪れた。長期にわたって通院している統合失調症の患者がいた。私が何を話しかけても、患者は短く答えるだけで、それ以上の会話は広がらない。症状は安定しているが、関係は深まらない。ある日、私は疲れ切って、ただ沈黙の中で患者の隣に座っていた。何も話さず、何もしようとせず、ただそこにいた。

10分ほど経っただろうか。患者がぽつりと、これまで一度も話したことのない幼少期の思い出を語り始めた。私は驚きつつも、ただそれを聴いた。後で振り返ってわかったことは、その時私が「何かをすること」を完全に手放したことで、患者が初めて「話してもいい」という安心感を持てたのではないかということだった。

1.2.2 精神医学思潮への違和感

こうした臨床経験を重ねる中で、私は同時に、精神医学を支配する思潮に対しても次第に違和感を覚えるようになっていた。

1990年代以降、欧米から導入されたrecovery model(回復モデル)は、日本の精神医療にも大きな影響を与えた。患者の主体性を尊重し、希望を持ち、社会に参加することを重視するこのモデルは、長らく施設収容と医学的治療が中心だった精神医療に新しい風を吹き込んだ。私自身も、その理念には大いに共感するところがあった。

しかし、臨床の現場でこのモデルと向き合ううちに、ある種の違和感が拭えなくなった。回復モデルが「患者の主体性」を強調すればするほど、それは暗黙のうちに「あなたは主体的であるべきだ」というメッセージになっているのではないか。「社会参加」を重視すれば、社会に適応できない患者は再び「失敗」を味わうことになるのではないか。

特に日本の臨床現場では、欧米の個人主義的な価値観とのずれが感じられた。自己決定や個人の選択を絶対視する考え方は、必ずしも日本の文化的土壌にそのまま根付くものではない。むしろ、多くの患者は「関係性の中での決定」や「場の空気を読むこと」に重きを置いて生きている。そうした患者にとって、「あなたは自由に主体的に決めていいんだよ」というメッセージは、かえって重荷になることがある。

さらに気づかされたのは、医学モデルと回復モデルが、表向きは対立しながらも、ある共通点を持っているということであった。医学モデルが症状を「異常」と見なして除去しようとするのに対し、回復モデルは患者を「主体的な社会的主体」へと変容させようとする。両者は「あるべき姿」を外部から持ち込み、患者の「今」を何か別のものに「変える」ことを目指している点では同じなのである。

では、患者の「今、ここにある形」を一旦そのまま受け止め、それを変えようとしないという視点は、どこに位置づけられるのだろうか。この問いが、次第に私の中で大きくなっていった。

1.2.3 出会った患者たちの姿から

理論的な違和感は、しかし、実際の患者たちとの出会いによって具体性を帯びていった。以下に挙げるエピソードは、いずれも個人が特定されない形で抽象化・一般化したものであるが、温存という発想が形成される上で重要な契機となったものである。

エピソード①:「変われない」ことが「守っていた」人

Aさんは、40代の統合失調症の女性だった。10年以上の通院歴があり、症状はおおむね安定しているものの、対人関係のパターンは長年にわたってほとんど変化がなかった。他者に対しては常に一定の距離を置き、親密な関係を避ける。治療者である私に対しても同様で、必要なことは話すが、それ以上踏み込むことはない。

当初、私はその「変わらなさ」に焦りを感じていた。治療関係が深まらない、本当の意味での回復には至っていない、そうした無力感に苛まれることもあった。スーパーバイザーからは「Aさんの防衛は強固ですね」と言われ、それを「解除」する方法を模索した時期もある。

しかし、Aさんの生育歴を丁寧に聴くうちに、その「変わらなさ」が持つ意味が見えてきた。幼少期に虐待的な環境で育ったAさんにとって、他者との間に一定の距離を保つことは、自己を守るための唯一無二の方法だったのである。親密さは危険と直結しており、「変わらないこと」こそが、Aさんがかろうじてこの世界で生き延びてきた戦略だった。

このことに気づいた時、私はAさんの「変わらなさ」を「抵抗」や「防衛」として捉える視点を手放した。それは「Aさん自身の歴史」そのものであり、尊重されるべきものだったのだ。その後、私はAさんに「変わろう」と促すことを一切やめた。すると不思議なことに、Aさんはごくわずかずつではあるが、自ら関係を広げようとする様子を見せ始めたのである。

エピソード②:「治す」ことをやめた時に動き出した人

Bさんは、30代のうつ病の男性だった。几帳面で真面目な性格で、症状に対して強い苦痛を感じていた。私はBさんに対して熱心に関わった。認知行動療法的な手法を用いて考え方の癖を修正しようと試み、支持的精神療法で励まし、時には就労に向けた具体的なアドバイスも行った。

しかし、私が熱心になればなるほど、Bさんの症状は悪化するように見えた。無断欠席が増え、来院しても表情は暗く、言葉数は少ない。ある時、Bさんがぽつりと言った。「先生は真剣に僕のことを考えてくれている。それはわかっているんです。でも、それに応えられない自分が情けなくて、来るのがつらくなるんです。」

この言葉で、私は自分の「治療的な熱意」がBさんにとっては「応えなければならない重圧」になっていたことに気づかされた。私はスーパーバイザーに相談し、「もう、Bさんを『治そう』とすることをやめてみては」という助言を受けた。半ば諦めのような気持ちで、私はBさんに対して「治そう」とする態度を完全に手放した。治療の目的を設定せず、来たい時に来て、話したいことを話すだけでいい、と伝えた。

その後、Bさんはしばらく通院が途絶えたが、数ヶ月後ふらりと現れた。そしてぽつぽつと、これまで話せなかったこと――自分の中にある深い無価値感や、家族に対する複雑な思い――を語り始めた。治療者が「結果」を求めない時、患者は初めて「プロセス」を生きることができるのだということを、Bさんは教えてくれた。

エピソード③:「症状」が「意味」に変わった瞬間

Cさんは、60代の女性で、長年パーキンソン病と診断されていたが、精神科には奇妙な妄想があるとして紹介された。それは「自分の体が誰かに乗っ取られている」という感覚であり、精神科的に見れば明らかな症状と映った。薬物療法を試みたが効果は乏しく、Cさんの苦痛は続いていた。

ある時、Cさんが幼少期の体験について話し始めた。戦後の混乱期、Cさんは親戚の家に預けられ、そこで様々な虐待を受けていた。その時、Cさんは「自分の体はここにあるけれど、本当の自分は別のところにいる」という感覚を持っていたという。それは明らかに解離的な体験であり、生き延びるための防衛であった。

この話を聞いた瞬間、Cさんの現在の「乗っ取られている」という感覚が、全く違った意味を持ち始めた。それは単なる「症状」ではなく、幼少期の解離体験の延長線上にある、Cさんなりの世界の捉え方だったのである。Cさんは過酷な体験の中で「体と心が分離している」という感覚を身につけ、それが今もなお、世界を理解する枠組みとして機能しているのだ。

このことに気づいた時、私はCさんの「症状」を「取り除くもの」から「理解するもの」へと見方を切り替えることができた。Cさんに「それは妄想ですよ」と言うのではなく、「そうやって自分の体を感じることが、ずっと昔からあなたを守ってきたんですね」と言えた時、Cさんの目に初めて涙が浮かんだのである。

1.2.4 小括:三つの気づきが交差する地点

以上のように、温存的精神療法の発想は、三つの異なる経験の流れが交差する地点から生まれた。

第一に、臨床現場での行き詰まりは、「何かをしよう」とする治療者の能動性が、時に患者にとって圧力となりうること、そして「何もしないでいること」にこそ治療的な意味がありうることを教えてくれた。

第二に、精神医学思潮への違和感は、「回復」や「主体性」といった価値観も、それが「べき」に転化した瞬間に患者を縛るものになりうること、そして「変える」ことを目指すアプローチとは異なる視点の必要性を示してくれた。

第三に、患者たちの具体的な姿は、症状や「変わらなさ」の中に、その人の歴史や自己保全の試みが凝縮されていること、そしてそれを「理解する」こと自体が治療的な意味を持ちうることを教えてくれた。

これらの経験が交差した地点に見えてきたのは、「変えようとしないこと」「今ある形を一旦そのまま受け入れること」にこそ、深い治療的な意味があるのではないか、という直感であった。これが「温存」という発想の原点である。

1.3 「温存」という概念の誕生とその多層的な意味

1.3.1 言葉の選び方:「保存」ではなく「温存」である理由

この発想を言葉にする時、「保存」ではなく「温存」という語を選んだことには理由がある。

「保存」は、現状をそのまま固定し、変化を防ぐことを含意する。確かに治療的な文脈では、患者の状態をこれ以上悪化させないという意味での「保存」も重要な要素ではある。しかし、それだけでは静的な印象が強く、治療関係のダイナミクスを十分に表現できない。

一方、「温存」という言葉には「温かく存する」という響きがある。それは単に現状を維持するだけでなく、治療者の態度や関係性の温かさを含意する。患者の今ある形を、温かいまなざしで見守り、存続させる。そこには、冷徹な観察者としての治療者ではなく、共に時間を過ごす存在としての治療者のイメージが重なる。

英語では”Preservational Psychotherapy”という表現を充てている。”Preservation”には「保護」「維持」「保存」といった意味があるが、同時に「(食品などを)加工して長持ちさせる」というニュアンスも含む。単に現状をそのまま留めるのではなく、その人が自分らしくあり続けることを支える――そんなイメージを込めている。

1.3.2 意味の第一層:現象としての温存

「温存」の最も基本的な層は、患者の示す現象をそのまま受け止める態度である。

患者は様々な症状を呈する。幻聴、妄想、抑うつ気分、不安、強迫症状、対人関係のパターン…。従来の精神医学はこれらを「異常」と見なし、可能な限り除去・軽減すべき対象としてきた。薬物療法や精神療法は、まさにそのための手段である。

しかし現象としての温存は、これらの症状を一旦「そういうものとして現れているのだ」と受け止めることから始まる。それは治療的介入を放棄することではない。むしろ、症状を「異物」ではなく、その人全体の一部として眺める視点の転換である。

例えば、長年の対人恐怖を持っている患者がいたとする。その患者は人前で話す時に極度に緊張し、赤面し、声が震える。従来のアプローチであれば、これを「治療すべき症状」と見なし、その軽減を目指すだろう。しかし現象としての温存は、まず「この人にとって、人前で話すことはこれほどに緊張を伴うことなのだ」という事実を、そのまま受け止める。そこに「こうあるべき」という価値判断を持ち込まない。

重要なのは、この受け止めが患者自身にも伝わることである。「先生は、私のこの苦しみを、変えなければならないものとは見なしていないんだ」という感覚が、患者に安心感をもたらす。症状があってもいい、そのままでいい、というメッセージが、かえって患者を症状との関係において自由にする。

1.3.3 意味の第二層:力動から見た温存

第二の層は、患者の内的な力動を考慮に入れた「温存」である。

精神療法の文脈では、患者の示す様々な反応が「防衛」「抵抗」「転移」といった概念で理解されることが多い。患者が治療者の介入に抵抗を示せば、それは「治療抵抗性」と見なされ、その「抵抗を解く」ことが治療課題となる。

しかし、力動から見た温存は、これらの反応をその人なりの「自己保全の試み」として捉え直す。防衛とは、かつてその人が生き延びるために獲得した、貴重な適応の仕方である。抵抗とは、治療者との関係の中で生まれる、その人なりの自己主張や距離の取り方である。

先に挙げたAさんの例で言えば、対人関係に一定の距離を置くという「変わらなさ」は、防衛として理解することもできる。しかしそれを「解除すべきもの」と見なすのではなく、「Aさんが幼少期の過酷な体験の中で獲得した、自己を守るための知恵」として捉え直す。そこには「よくぞここまで自分を守ってきた」という敬意が含まれる。

この視点は、症状の肯定的な意味を発見することにもつながる。ある種の妄想が、その人にとっては唯一の自己肯定の源泉であることもある。強迫行為が、混沌とした世界に秩序をもたらすための必死の試みであることもある。「症状があることで、かろうじて自分を保っている」という状態への共感的理解が、ここから生まれる。

1.3.4 意味の第三層:存在論的な温存(治療者の態度)

最も深い層は、治療者自身の存在のあり方に関わる「温存」である。

これまでの二つの層が「患者をどう見るか」という認識の問題であったとすれば、第三層は「治療者としてどう在るか」という存在の問題である。ここで問われるのは、治療者が「何かをしよう」とする能動性を意図的に保留できるかどうか、ということだ。

精神療法家は、とかく「何かをしなければ」という衝動に駆られる。患者を理解し、適切な介入を行い、より良い方向に導くこと。それは専門家としての責務であり、また治療者の存在意義でもある。しかし、この「しなければ」という衝動こそが、時に治療関係を歪める。

存在論的な温存は、治療者が「何かをしている」という感覚よりも「そこにいる」という感覚を大切にする態度を指す。患者の隣に座り、ただその人の存在に寄り添う。何かを変えようとせず、何かを与えようとせず、ただその人がそこで生きていることを共に確かめる。

これは決して受動的な態度ではない。「ただそこにいる」ためには、むしろ能動的な自己抑制が必要である。「何かをしたい」という衝動を自覚し、それを一旦手放すこと。患者の苦しみを前にして「何とかしなければ」という焦りを感じながらも、それをあえて保留すること。そうした不断の自己省察が、存在論的な温存を支えている。

治療者がこのような態度で臨む時、患者は初めて「自分の存在そのものが受け入れられている」という感覚を持ちうる。何かを産み出したり、何かを達成したりするからではなく、ただそこに「いる」というだけで価値があるという感覚。これこそが、その後の変化の基盤となる。

1.4 治療理念の核心 ― 何を目指し、何を大切にするのか

1.4.1 「治す」から「育む」へ

温存的精神療法が目指すのは、医学的な「治癒」とは異なる次元の回復である。

従来の医学モデルにおける「治癒」は、症状の消失や病前状態への復帰を意味する。それはある意味で「元に戻す」ことであり、時間を逆行させる試みでもある。一方、回復モデルにおける「回復」は、障害があっても希望を持ち、社会に参加する主体的な生き方を目指す。それは「前に進む」ことであり、時間を未来に向けて開く試みだ。

これに対して温存的精神療法が重視するのは、「育む」という視点である。植物の成長を例に取れば、庭師は植物を「治す」ことも、「未来のあるべき姿」を強制することもしない。ただ、水をやり、日当たりを整え、成長を見守る。植物自身が持つ生命力を信じ、そのプロセスを邪魔しない。

患者の内側にも、自然に育っていく力は存在する。しかしそれは、外的な圧力や「こうあるべき」という期待の中でしばしば抑圧される。治療者の役割は、その成長を「促進」することではなく、成長を妨げるものを取り除き、患者が自分自身のリズムで育っていくのを支えることにある。

1.4.2 「変革」よりも「継続」を重視する

精神療法の多くは、何らかの「変革」を目指す。認知の歪みを修正し、不適応的な行動パターンを変え、抑圧されていた感情に気づく。それらは確かに重要な治療的目標である。

しかし温存的精神療法は、「変革」よりも「継続」を重視する。それは患者が自分自身の歴史や感覚を持続できることを支える試みである。

ここでいう「継続」とは単なる現状維持ではない。人は誰しも、自分自身の物語を持っている。その物語は時に苦痛に満ち、傷つきや挫折に彩られているかもしれない。しかしそれでも、それが「自分の物語」であることに変わりはない。治療者は、患者がその物語を手放すことを促すのではなく、それを持ち続けることを支える。

「変わらなければならない」というプレッシャーから解放された時、人はかえって自然な変化を遂げることがある。Aさんが「変わらなくていい」と受け止められた後、ごくわずかずつ関係を広げていったように。これは「変革を目指さないことによる変革」という逆説である。

1.4.3 関係性の中での「温存」

最後に重要なのは、「温存」が決して一方的な行為ではないということだ。

治療者が患者を「温存する」という表現は、あたかも治療者が能動的で患者が受動的であるかのような印象を与えるかもしれない。しかし実際には、温存は二者関係の中で相互的に成立する現象である。

患者が「このままの自分でいいのだ」と感じられるためには、それを可能にする関係性が必要である。治療者が「温存的な態度」を取ったとしても、患者がそれを圧力や評価として受け取れば、意味は失われる。逆に、治療者が特別なことをしなくても、患者が関係性の中に安心感を見出すこともある。

重要なのは、治療者の態度と患者の受け取り方が、絶え間ない相互交流の中で形作られていくという視点である。温存的精神療法は、治療者の「技法」であると同時に、二者が共に作り上げていく「関係性の質」でもあるのだ。

1.5 本章のまとめと次章への接続

本章では、温存的精神療法の概念がどのような背景から生まれ、どのような多層的な意味を持ち、どのような治療理念を内包しているのかを論じてきた。

第一に、この概念は臨床現場での行き詰まり、精神医学思潮への違和感、患者たちの具体的な姿という三つの経験の交差から生まれた。それは理論先行ではなく、臨床の現実との格闘の中から紡ぎ出されたものである。

第二に、「温存」という概念は三つの層を持っている。現象としての温存(症状をそのまま受け止める)、力動から見た温存(症状を自己保全の試みとして理解する)、存在論的な温存(治療者のあり方そのものに関わる)である。

第三に、この療法が目指すのは「治す」ことから「育む」ことへの転換であり、「変革」よりも「継続」を重視する視点であり、二者関係の中で相互的に成立する「温存」である。

このような発想は、既存の精神療法や精神医学思潮とどのような関係にあるのだろうか。特に、現代の精神医療に大きな影響を与えている欧米の回復モデル(recovery model)とは、どのような点で共通し、どのような点で決定的に異なるのだろうか。

次章では、この問いを掘り下げる。回復モデルとの比較を通じて、温存的精神療法の思想としての基盤をより明確にするとともに、日本の臨床現場におけるこのアプローチの独自性と可能性を探っていくこととする。


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