行動療法の歴史と主要な歴史的人物

行動療法の歴史と主要な歴史的人物

前史:行動療法の萌芽

行動療法的な方略の使用を記録した最も古い例の一つは、2000年以上前に生きたローマの学者プリニウス・エルデルにまでさかのぼる。プリニウスはアルコール依存症の治療に、飲み物のグラスの底にクモを仕掛けるという方法を用いたとされており、これは現在の「嫌悪療法」に相当するものと考えられている。また18世紀に12歳まで人間と接触せずに育った「アヴェイロンの野生児」ヴィクトールは、ジャン=マルク=ガスパール・イタールによって、現在のモデリング・シェイピング・強化に類する方略を用いて治療された。ただし、これらの初期の記録が1950年代の行動療法の発展に直接影響を与えたという証拠はない。


理論的基盤の形成(1900年代初頭〜中頃)

イワン・パブロフ(Ivan Pavlov, 1849–1936)

行動療法の理論的な土台となった最初の出来事は、ロシアの生理学者イワン・パブロフによる古典的条件づけの実験研究の開始である。パブロフは犬が光や音などの中性刺激と食物の繰り返しの対呈示を通じて、その中性刺激に対して唾液分泌反応を示すようになることを実証した。この古典的条件づけの原理は、その後の行動療法の発展に直接的な影響を与えることとなる。

ジョン・B・ワトソン(John B. Watson)

行動療法の発展に寄与した第2の要因は、アメリカにおける行動主義の台頭であった。その中心にいたのがジョン・B・ワトソンである。ワトソンはしばしば「行動主義の創始者」と評され、人間における古典的条件づけの過程を最初に研究した人物として知られる。1920年にワトソンとレイナーは「アルバート坊や」の実験を行い、白いラットと大きな音の繰り返しの対呈示によって乳児に恐怖反応を条件づけることに成功した。ワトソンは観察可能な行動のみが心理学の研究対象となるべきだと主張し、感情や思考といった観察不可能な経験の研究を拒絶した。

メアリー・カバー・ジョーンズ(Mary Cover Jones)

ワトソンの弟子であるメアリー・カバー・ジョーンズは、ウサギを恐れる幼い男の子の治療にモデリングとエクスポージャーを組み合わせた方法を用いた。具体的には、その子どもに他の子どもたちがウサギと遊ぶ様子を観察させ、徐々にウサギに近づいて触れるよう促すという方法を採った。これは恐怖症に対するエクスポージャー療法の先駆けといえる試みであった。

モウラーとモウラー(Mowrer & Mowrer)

モウラー夫妻は古典的条件づけの原理を用いて、子どもの夜尿症の治療に取り組んだ。彼らが開発した「ベルとパッド」法は、子どもがベッドで排尿するたびにベルが鳴る仕組みで、現在に至るまで子どもの夜尿症治療において最も有効な方法として認められている。

エドワード・ソーンダイクとB・F・スキナー(Edward Thorndike & B. F. Skinner, 1904–1990)

古典的条件づけに加え、行動療法の発展に重要な貢献をしたのがオペラント条件づけ(道具的条件づけ)の研究である。ソーンダイクが先鞭をつけ、後にスキナーが精緻化したこの理論は、行動はその結果によって制御されるという前提に立つ。正の結果(強化)は行動の頻度を増やし、負の結果(罰)は行動の頻度を減らすというものである。スキナーらは精神病で入院中の患者の治療にオペラント条件づけの原理を応用した際の報告書の中で、初めて「行動療法(behavior therapy)」という用語を使用した。


行動療法の誕生(1950年代)

ジョセフ・ウォルピ(Joseph Wolpe, 1915–1997)

1950年代に入ると、南アフリカ、イギリス、アメリカ、カナダの研究グループが学習の原理を行動上の問題に適用し始め、行動療法が本格的に誕生する。南アフリカの医師ジョセフ・ウォルピはその中心的人物の一人であり、正式に研究された最初のエクスポージャー療法の一形態である「系統的脱感作法」を開発した。これは、筋弛緩法を実践しながら段階的に恐怖場面を想像の中で直面するという方法であり、ウォルピはその基盤となるプロセスを「相互抑制」と呼んだ。ウォルピはその後1965年にテンプル大学に移り、1970年にはメンターのリオ・レイナとともに『Journal of Behavior Therapy and Experimental Psychiatry』を創刊した。彼のチームにはアーノルド・ラザルスやスタンリー・ラックマンも含まれており、彼らはその後行動療法の分野に重要な貢献をすることになる。

アーノルド・ラザルス(Arnold Lazarus)

ウォルピのチームの一員であったラザルスは、1957年のチームミーティングにおいて自分たちのアプローチの名称を「条件づけ療法(conditioning therapy)」から「行動療法(behavior therapy)」に変更することを初めて提案した人物である。1958年に発表した論文の中でラザルスは「行動療法(behavior therapy)」と「行動療法家(behavior therapist)」という用語を、学術雑誌の論文において世界で初めて使用した(スキナーが未公刊の報告書でこの用語を5年前に使用していたことには気づいていなかった)。

ハンス・アイゼンク(Hans Eysenck)

イギリスでは、ドイツ生まれの心理学者ハンス・アイゼンクがロンドンのモーズレイ病院(精神医学研究所)において行動療法的治療の研究を進めた。アイゼンクは1963年に行動療法の最初の専門誌『Behaviour Research and Therapy』を創刊し、1960年代を通じた著作によって「行動療法」という概念の普及に大きく貢献した。アイゼンクの弟子たちもその後の行動療法の発展に重要な貢献を果たした。弟子の一人スタンリー・ラックマンは広場恐怖症や強迫症などの治療法を開発し、もう一人の弟子サイリル・フランクスは1957年にアメリカに渡り、1966年に行動療法振興協会(AABT)を創設した。AABTは2005年に現在の「行動認知療法協会(ABCT)」へと改称されている。

ネイサン・アズリン(Nathan Azrin)

北アメリカでは、行動療法はスキナーのオペラント条件づけ研究と最も密接に関連していた。スキナーの弟子であるネイサン・アズリンはオペラント条件づけの原理に基づく治療法の開発に先駆的な役割を果たし、物質使用障害の治療のための強化ベースのプログラムや、望ましくない習慣を修正するための行動療法を開発した。またカナダのサスカチュワン病院の心理学者テオドロ・アイロンとの共同研究では「トークンエコノミー」を開発した。これは望ましい行動を強化するためにトークンを提供し、後で報酬と交換できるようにする手法であり、精神科入院患者の問題行動の管理において広く普及した。


現在の状況への発展

アルバート・エリスとアーロン・ベック(Albert Ellis & Aaron Beck)

行動療法の境界が拡張し始めたのは、アルバート・エリスが1955年に「論理療法(rational psychotherapy)」(後に論理情動行動療法=REBTへと改名)の実践を開始したことによる。アーロン・ベック(認知療法の創始者)や、ドナルド・マイケンバウム、マーヴィン・ゴールドフリード、ジェラルド・デービソン、マイケル・マホニーらが否定的思考を変えるための方略をさらに発展させ、認知的アプローチの普及に貢献した。「認知行動療法(CBT)」という用語は、1977年の行動療法年次レビューにおけるサイリル・フランクスの概説において初めて使用されたとされる。

アルバート・バンデューラ(Albert Bandura)

バンデューラは、人は古典的・オペラント条件づけによる学習だけでなく、他者の行動を観察することによっても学習するという「社会的学習(モデリング)」の概念を提唱し、行動療法の分野に重要な影響を与えた。現在、この考え方は「社会的認知理論」と呼ばれ、認知の役割も取り込んだより包括的な理論へと発展している。

「第三世代」の行動療法

近年はアクセプタンスに基づく行動療法群(いわゆる行動療法の「第三の波」)が登場した。これは望まない思考・感情・情動をコントロールしようとするのではなく、受け入れることの重要性を強調するものである。主な治療法として、スティーブン・ヘイズらによるアクセプタンス・アンド・コミットメント・セラピー(ACT)、マーシャ・リネハンによる弁証法的行動療法(DBT)、マインドフルネスに基づく認知療法(MBCT)などがある。これらのアプローチは急速に普及し、エビデンスの蓄積も進んでいる。


まとめ

行動療法の歴史は、パブロフの条件づけ実験に始まり、ワトソンの行動主義、ジョーンズやモウラー夫妻による初期の応用、ウォルピ・アイゼンクらによる1950年代の体系化、エリス・ベックによる認知的拡張、バンデューラの社会的学習理論の導入、そして近年のアクセプタンス系アプローチの台頭という形で発展してきた。この過程において最も重要な人物を挙げるとすれば、古典的条件づけのパブロフ、行動主義の確立者ワトソン、オペラント条件づけのスキナー、系統的脱感作法のウォルピ、イギリスにおける行動療法の発展を主導したアイゼンク、社会的学習理論のバンデューラの6人が特に重要な歴史的人物として位置づけられる。

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