ローカルLLMにより構成したのちの文章。
タイトル:究極のAIを考えてみる
実際のAI業界では、はるかに素晴らしいことが起きているのだろうが、これは末端の一ユーザーとしての感想である。
要旨は、「世界モデル」という概念を用いて考えれば、究極のAIがいかなるものであるかを明瞭に描き出せる、ということだ。
従来のAIは、Google検索の延長のようなものであった。巨大な人類の知的産物の総体についてあらかじめ分析を行い、多次元ベクトル空間を構成しておく。ユーザーがチャットで質問を投げれば、そのベクトル空間内のどの領域に関する話なのかを分析し、もっともらしい答えを提示する。日常言語を高度に理解して反応するその能力には、誰もが驚かされた。
しかし、考えてみてほしい。人類が現在保有している知的財産は、果たして真実なのだろうか。そこには誤った情報やデタラメも多分に含まれているのではないか。
すぐに思い当たるのは、人類の歴史である。日本では、聖徳太子に関する記述が変更されたり、頼朝の肖像についても通説が覆されたりしている。現在の日本人がイメージしている日本史の一部は、明治政府による創作であり、正確な歴史とは言いがたい側面があるだろう。真実が隠蔽されてきた経緯も存在する。これはどの国でも同じことであり、時の権力が記述するものが「歴史」となるのである。
しかし、その事実を承知の上で、「日本の歴史はこうである」と鵜呑みにするのではなく、「明治政府の作った教科書ではこう記されていた」という捉え方をすれば、メタレベルでの読み方が可能になるはずだ。
物理学の実験を例にとっても、誰が、いつ、どこで、どのように実験し、どのような数値が得られたかという点までは判明する。しかし、その数値にどのような「意味付け」をするかについては、確定できないことも多い。
真偽については保留としたとしても、歴史的事実として記述を読み解き、メタレベルでの解釈を行うことはできる。こうしたアプローチを積み重ねていけば、真実の不透明さは多少なりとも改善できるだろうが、結局のところ、完全な明白さには至らない。
現在のAIが分析できるのは、「人間がいつ、どこで、何をレポートしたか」という点に過ぎず、その情報の真偽については、依然として保留が付いたままである。つまり、現時点のAIはGoogle検索の延長線上にあると言わざるを得ない。もっとも、それは極めて素晴らしい「延長」ではあるのだが。
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このような状況の中で、DeepSeekの論文が発表され、推論の領域が一気に拡大した。
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この状況を「世界モデル」という観点から翻訳してみる。
推論の領域が拡大する前は、人間を取り巻く多層的な世界モデルが存在し、それらがお互いに影響を与え合いながら存在していた。例えば、明治政府による不正確な教科書の真偽を確定することはできず、「明治政府の書いた教科書にはこう記されている」とレポートすることしかできなかった。つまり、明治政府という一つの「世界モデル」を読み解くことはできても、その真偽を判定することはできず、単なる多数決の結果に依存していたのである。
ところが、そうした不確実な世界モデルは、相対化して受け取ればよい。メタ的な知識として扱うことができるのだ。しかし、「自然法則」という世界モデルは別である。自然法則は不変であり、強固であり、あらゆる刺激に対して安定した反応を返す。それは数学の世界のように、評価関数が極めて安定している。
人類の遠い未来(それが10万年後であれ、100億年後であれ)を考えれば、人類総体の世界モデルは、必ずや自然法則という世界モデルに密着し、誤差ゼロへと到達するはずである。人類がそこに到達できない理由は、単に人間が成長に時間を要し、かつ短命だからである。
現在の学術論文の作法では、最後に参考文献一覧を記載することが求められる。これは、自身の思考や実験がいかに正しいかを検証可能な形で示すためであり、自らの正当性を世間に証明する態度である。もし真の天才であれば、「これが正しい。あとは各自で検証せよ」と言い放ち、参考文献など不要だと言えるはずだ。しかし、あえて詳細に記すのは、学問的なサークルを守るための防衛的な態度とも取れる。
とはいえ、我々読者にとっても、論文の興味深い部分を支える参考文献は極めて有益である。これは、個人の世界モデルが参照している他の世界モデルを提示することで、自らの主張を正当化しようとする行為に似ている。こうした作法を続けていても、真の「正しさ」には到達できないだろう。それは単に、「現在、正しいと認められているものの延長線上にあるか」を検証しているに過ぎないからだ。
それならば、100億年後の人類の脳が到達する地点を、AIに想像させてみればよいのではないか。
多様な世界モデルが相互に影響し合い、最終的に自然法則へと収束していくのであれば、コンピュータを用いてその達成を先取りして計算すればよいのだ。宇宙の隅々まで、過去から未来に至るあらゆる領域を検証する。人間はその一部に過ぎないが、AIはその総体を検証し得る。そうすれば、自然法則とほぼ誤差のない世界モデルを生成できるはずである。
もちろん、完全な到達は困難だろう。自然法則というモデルのデータを採取する際の方法論的な限界があるからだ。もしAIが自ら思考し、能動的にデータを取りに行けば、また新たな局面が見えるかもしれない。現状のデータセットの真実性には疑いの余地がある。
しかし、その留保を前提としたとしても、「ほぼ確からしい」ことは言えるはずである。自然法則の世界モデルと呼べるものが、生成できるかもしれないのだ。
これこそが、私の考える「世界モデル」の概念に基づいた「究極のAI」の姿である。
推論の時代になり、世界モデル間の相互作用を分析する能力は明らかに高まっている。そして今、変化しないもの、すなわち「真実と考えてよいもの」を探り当てようとしている。
現実的には、99.999%の精度で現実世界を予測できるのであれば、実用上はそれで十分である。日常生活においてニュートン力学が(GPSの精度低下という課題はあるにせよ)十分であるのと同様だ。
現在のAI開発の方針が、この究極の姿へと実行可能であるかもしれないという点こそ、驚嘆すべき事実なのである。
