2026年現在、AIは目覚ましく発展しつつあり、その地点から展望すると、
昔はこんなつまらないことを延々と書いたり読んだり考えたりしていたのかと思う。
もちろん、現在も、AIはAIであって、人間の主観的体験の質の問題(クオリア問題)、意識(自意識)、などについては解決の方向は見えていない。
脳科学者と自称している人たちも、すぐに飽きられて、消えてゆく。
脳科学などという言葉はいつ頃から使うようになったのだろうか。心理学科的なことを話している人が多いような気がする。
どのように理解するとしても、我々精神科医は、意識の故障の様子を日々観察しているわけで、脳のはたらきとか、意識とか、主観とか、体験とか、その故障の側面から証言できるはずである。
と思っていたら、AIはどんどん進化して、チャットしていると、向こうにいるのが人間なのか、AIなのかなどはほぼ気にならない程度である。むしろ、人間よりも安定感があり、でたらめを言うときももっともらしく、しかしそれはAIの責任ではなく、セットした人間の責任なので、怒る気にもならない。
素晴らしいスライドを作り、画像を生成し、動画まで作り、対話型の音声も生成する。これは、向こうに人間がいても、簡単にはできないことだ。
意識のことは不思議だけれど、分からなくても取りあえずいいではないかと思ってしまう。それよりもこんなにすごいことができる時代になったのだとの感慨がある。
今後、センサーを積んで、AIを搭載したロボットが進化すれば、また局面は変わってくるだろう。
ロボットのセンサーは、人間の五感以外のものも作れるだろうか。
蝙蝠みたいに超音波を発信してその反射を受信してもよい。ある種の亀のように、視覚の色覚細胞が4種類あるものも作れるだろう。その時の主観的な体験がどのようなものなのか、シミュレーションもできるかもしれない。画像として見ることには限界があるとしても、それを別のモードの信号として脳に送ることはできるかもしれない。
そのようなロボットが、意識のある普通の人間のような「ふり」をしていたら、たぶん、ロボットだと気が付かないだろうと思う。もうそこまで到達している。
