ミッキーマウス問題(the Mickey Mouse problem) 定義 「ミッキーマウス問題」とは、どの超自然的存在(supernatural agent)が信仰や宗教的な献身を引き起こす力を持つのかを予測することの困難さを指す概念です。これは、現在の宗教の認知理論が、どのMCI(最小反直観的)な存在がより信じられやすいかを予測できないという困難さを表すために使われるようになった用語です。
問題の構造 背景にあるのは、前回お話ししたパスカル・ボイヤーらの「最小反直観性(minimally counterintuitive concepts, MCI)」理論です。神は素朴物理学・素朴心理学をわずかに侵害する存在であるからこそ記憶に残りやすく、文化的に継承されやすい——という理論でした。
しかし、ここで疑問が生じます。ミッキーマウスやサンタクロースのような虚構の存在も、神と同程度に「反直観的」であるにもかかわらず、なぜ人々はそれらを神と同じようには信じず、崇拝もしないのか。MCI理論だけでは、「神への信仰」と「ミッキーマウスへの非・信仰」という、見た目には似た現象の決定的な違いを説明できません。これが「ミッキーマウス問題」の核心です。
来歴 この用語の起源について、Gervais と Henrich(2010)による論文に興味深い注記があります。彼らはこのラベルの出典を体系的に調べたところ、信頼できる複数の文献の間で矛盾する見解が見つかったため、誰の功績だとも特定して引用していないと述べています。つまり、誰が最初にこの呼び名を発案したかは、研究者の間でも確定していないというのが実情のようです。ただ、別の文献ではAtran(2002)および Atran & Norenzayan(2004a)がこの問題の出典として挙げられており、「最小反直観性が宗教概念の定着に必要な条件のすべてであるなら、なぜ同じくMCI概念であるミッキーマウスは神として扱われないのか」という形で簡潔に説明されています。
ノレンザヤン自身は2013年のBig Godsの中でこの問題そのものを参考文献として取り上げています。彼の議論の文脈では、「ミッキーマウス問題」は彼が考案した独自概念というより、彼自身も依拠している宗教認知科学の共有された未解決問題——MCI理論の説明力の限界を示す代表例——として位置づけられています。
解決へのアプローチ この問題に答えようとする研究の一つが、まさに「The Mickey Mouse problem」という論文名を持つ2019年のPLOS ONE論文です。そこでは参加者に「宗教的」存在または「虚構的」存在のどちらかを、5つの超自然的能力を持つものとして考案させる実験を行い、虚構の存在と比較して、宗教的存在には素朴心理学や素朴生物学に違反する能力、あるいはどの領域に違反するか曖昧な能力がより多く付与され、素朴物理学・生物学に違反する能力は少なく付与される傾向があったことを示しています。さらに別の知見として宗教的存在は、虚構の存在と比べて、より「潜在的に有益」かつ「両価的」(利益と害の評価が同程度に高い)と判断される傾向があり、これは存在が考案されたものか既知のものかに関わらず見られたとされています。
つまり、神とミッキーマウスを分けるのは「反直観性の量」ではなく、反直観性の質(どの認知領域に違反するか、具体的か抽象的か)と、その存在が人間にとって持つ利害的な意味(脅威にも恵みにもなりうる両価性)にある、という方向で答えが探られています。
補足:もう一つの関連概念「ゼウス問題」 検索の過程で、構造的に対になる概念も見つかりました。「ゼウス問題」とは、なぜ人は他者の神を信じないのかという問題です。ミッキーマウス問題が「なぜ虚構は信じられないのか」を問うのに対し、ゼウス問題は「なぜ他文化の(かつて信じられていた)神は信じられないのか」を問う、いわば鏡像関係にある問題設定です。本書全体の議論——なぜ特定の宗教だけが生き残り、他は廃れるのか——を考える上で、この対概念も併せて押さえておくと理解が深まるかと思います。
現在、世界には約一万の宗教が存在しますが、最新データでは80年で9/10が消滅し、平均存続期間はわずか25年と言われています。
本書はなぜそれでも人類は宗教を生み出すのか、
対立はなぜ起きるか、
生き延びた宗教は何が違ったのかを分析した
認知宗教学の世界的権威A・ノレンザヤンの代表作です。
現代宗教を理解する上では避けて通れないビッグ・ゴッド仮説やミッキーマウス問題などの最重要トピックも本書が出発点になっている世界的名著です。
