kontadashi

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精神療法を超えて-4

(ii) 本書で提示される精神分析のラディカル性は、その方法がある程度関与するが、その後決定的に精神療法の努力を超えて進む様式にも明らかである。そのような努力は個人の改善された適応を目指し、何らかの適応が達成されると、その関与の根拠は終了す...
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精神療法を超えて-3

精神分析のラディカル性について私が献身している使命は精神分析的にラディカルである。それはこの学問の覇権的な学派から逸脱するという意味だけでなく、精神療法的言説では通常達成できないものを超えて、人間であることの内面性を独自に探求し癒す方法また...
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精神療法を超えて-2

序論的覚書本書は、単なる精神療法的な言説の手続きと、ラディカルな精神分析の独自のプロセスの間には顕著な相違、そしておそらく矛盾があるという私の確信を表明し説明するものである。このことが意味するのは、それぞれの言説に符号化されている治癒や健康...
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精神療法を超えて-1

精神療法を超えて:(ラディカルな)精神分析家になることについてバーナビー・B・バラット序文この三部作—『精神分析とは何か?フロイトの「秘密委員会」から100年後』、『ラディカル精神分析:自由連想的実践に関するエッセイ』、そして『精神療法を超...
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Saint-Saëns: ‘Mon coeur s’ouvre à ta voix’ from Samson et Dalila

最近はこういうのもいいな。30年前はマリア・カラスが好きで、車に乗りながら、大音響で聞いていた。マリア・カラスは、今から思えば、一種のだみ声だと思うし、田中真紀子のようなどすの利いた声なのだと思うけれども、オペラのドラマと、マリア・カラスの...
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チョンユジンの歌などを聴いていると

チョンユジンの歌などを聴いていると、音楽は単なる音の上下と連なりでしかないのに、こんなに心地よいのはなぜだろうと思う。モーツアルトもそうだけど。多分、自分の脳の内側の、シミュレーション回路が働いて、次の音の予想があり、その予想と、現実の音と...
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三人の男がボートに乗っている(犬は言うまでもない)。

ユーモア小説の古典。ブラウザで日本語に切り替えて楽に読める。いい時代だ。肝臓病の新しい薬が発売され、その説明書を読むと、症状のすべてが自分に当てはまっている。不思議なことだが、新しい特許薬の広告は、どんな薬でも、説明されているその症状のすべ...
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カウンセリングの原型

治療者が傾聴することは、ヒト型ロボットが相手の話を録音して、後で音声を文字にして残すことと何が違うか。決定的に番う。根本的に違う。治療者自身の脳と体全体が検出器になって反応する。DSMに当てはめる方式とは全く違う。それって、大昔の、ロマン主...
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適当な具合に増やしたり減らしたりすることが必要なんです。固定するのがいけない。

1.SSRIやSNRIの場合シナプス部分のセロトニンが常時増加するとすれば、後シナプス部分のレセプターはダウンレギュレーションを起こして、少なくなってしまう。するとますます多くのセロトニンが必要になってしまう。この状態でSSRIを中止すると...
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Introduction to the Practice of Psychoanalytic Psychotherapy-8

テクノカルチャー時代における精神分析EBPと神経科学の分野はともに精神分析に課題と機会を提示してきました。 今や精神分析は、分析の場そのものが新しい技術によって変容している状況にも対応していかなければなりません。 それだけではなく、産業経済...