第9章「脱フュージョン」は、言語と認知が人間の苦しみをいかに生み出すかを論じ、その解決策を提示する。
フュージョンとは、思考・感情・記憶などの言語的プロセスと直接体験が混ざり合い、区別できなくなった状態だ。この状態では「自分は駄目だ」という思考が事実として機能し、行動の柔軟性が失われる。人間の「ワード・マシン」は絶え間なく評価・比較・予測を続けるが、そのプロセスは自動的かつ不可視であり、本人は気づかないまま思考に乗っ取られる。
脱フュージョンの目的は思考を消すことではなく、思考を「事実」ではなく「進行中の言語プロセス」として観察できるようにすることだ。技法は多様で、単語を繰り返して意味を剥ぎ取る「ミルク演習」、思考を兵士のパレードとして眺めるマインドフルネス、思考・感情を「バスの乗客」に見立てる比喩などがある。言語習慣の変換も重要で、「〜だが(but)」を「〜であり(and)」に置き換えることで、感情と行動の人工的な対立を解消する。
核心は「思考を持つ・保持する・買う」の三段階の区別にある。思考に気づき(持つ)、判断せず置いておく(保持する)ことを学び、過同一化(買う)を避けるのが目標だ。フュージョン自体は悪ではなく、それが価値ある行動の障壁となるときにのみ介入対象となる。
