これは単純な事実確認のように見えて、実は測定方法論の問題として興味深い問いです。
I. 860億という数値の出所
この数値は長らく「約1000億個」と言われていましたが、それを修正したのが:
Frederico Azevedo ら(2009年、Journal of Comparative Neurology)
ブラジルの神経科学者Suzana Herculano-Houzelが開発した**等方性分画法(isotropic fractionator)**を用いた研究です。
従来の推定法は:
- 脳の一部を切片にして細胞を数え、全体に外挿する
- 密度の均一性を仮定する
という方法でしたが、これは脳の部位ごとの細胞密度の不均一性を無視していました。
等方性分画法は:
- 脳組織を均質な液体に溶解し
- 核を蛍光染色して
- 直接カウントする
という方法で、より正確とされています。
この方法による実測値が:
- ニューロン:約860億個
- 非神経細胞(グリア細胞など):約850億個
です。
II. 「妥当か」という問いへの答え
測定精度として
等方性分画法は従来法より精度が高いとされますが:
- サンプル数が少ない(研究に使用された脳は少数)
- 個人差が大きい可能性がある
- 死後脳を使用するため、固定処理による変化がある
という限界があります。
860億は現時点での最良推定値ですが、「正確な数」ではなくオーダーの推定として理解するのが適切です。
部位別内訳として
より重要なのは内訳です:
| 部位 | ニューロン数 | 全体比 |
|---|---|---|
| 小脳 | 約690億 | 約80% |
| 大脳皮質 | 約160億 | 約19% |
| その他 | 約10億 | 約1% |
小脳が全ニューロンの約80%を占めるというのは直観に反する事実です。大脳皮質の複雑な機能を考えると、数の多さ=機能的重要性ではないことがわかります。
他の動物との比較として
| 動物 | ニューロン数 |
|---|---|
| アフリカゾウ | 約2570億 |
| ヒト | 約860億 |
| イルカ | 約370億 |
| チンパンジー | 約280億 |
| ネコ | 約760億 |
ゾウはヒトより遥かに多いニューロンを持ちますが、大脳皮質ニューロンはヒトが最多であり、これが認知的優位性と関連するとされています。
III. 精神医学との接点
あなたの関心との連絡で言えば:
860億という数値自体より、シナプス結合数の方が機能的に重要です。ニューロン一個あたり平均約7000のシナプスがあるとすると、シナプス総数は約100兆のオーダーになります。
神経病理学的基盤を考えるとき、問題は細胞数の増減よりもシナプス結合のパターン異常・密度異常として記述される可能性が高く、統合失調症研究ではシナプス刈り込みの過剰という仮説が有力です。
860億という数値は妥当な最良推定値ですが、精神障害定義するための単位としては粗すぎ、回路・シナプス・分子レベルの記述が必要という認識が現在の神経科学の立場です。
