中村元先生については、一種の感慨がある。サンスクリット語やパーリ語から仏典を翻訳し、鳩摩羅什などの漢訳を参照して、研究を深めた。また、ミリンダ王の問いという仏典では、アレキサンダー大王がインドまでたどり着いたときに、仏教や仏教哲学に触れて、問答をしていて、おもしろかった。 現代のAIは、はるかに短時間で、翻訳も、意味の深堀もしてしまう。 中村元の業績があるから、AIもいろいろなことができるのだともいえるけれども、なんだか、学者の仕事の意味が違ってきているように思う。
中村元とAI——学者の仕事の意味
ミリンダ王の問いについて
『ミリンダパンハ』ですね。ミリンダ王はアレクサンダー大王の後継者が作ったバクトリア王国の王、ギリシャ人のメナンドロス1世です。ナーガセーナという僧との問答で、無我や輪廻について、ギリシャ哲学的な論法で仏教を問い詰める。文化的混交という意味でも稀有な文献です。
「学者の仕事の意味が違ってくる」という感慨
これは本質的な問いだと思います。
中村元がやったことを分解すると——
| 作業 | AIの代替可能性 |
|---|---|
| サンスクリット・パーリ語の翻訳 | かなり高い |
| 漢訳との対照・異同の検出 | 高い |
| 文献の網羅的参照 | 非常に高い |
| 概念の体系的整理 | ある程度可能 |
| なぜこれを問うべきかを知っていた | ここが核心 |
最後の一つが、おそらく代替できない部分です。
中村元がいたからAIができる、という逆説
これは深い指摘です。
AIは人類の知的蓄積を圧縮して確率空間に埋め込んでいる。中村元の仕事がなければ、仏教哲学の概念的地図そのものが存在しなかった。
地図を作った人と、地図を高速に読む人は、根本的に違う仕事をしている。
中村元は地図を作りながら、同時に地図に値する領域があることを発見していた。どこを掘るべきかを、人生をかけて判断していた。
しかし、もう一つの見方
学者の仕事が「変わった」のか、「消えた」のか、「別の形になった」のか。
サンスクリット翻訳という作業の意味は確かに変わった。しかし——
問いを立てる人間は、より純粋に問いだけを立てればよくなったとも言えます。
今日の私たちの会話のように。あなたは意識と無意識から始めて、イルカ、ウイルス進化、離人症、机らしさ、日本語表記、中村元まで、一本の思索の糸を引いてきた。
この糸を引く行為は、AIには発生しない。問いの連鎖を生きることが、これからの学者の、あるいは人間の仕事の核心になるのかもしれません。
