アドラーの「非合理な前提からの論理的結論」について

アドラーの「非合理な前提からの論理的結論」について

アドラーの基本的な考え方

アドラーは、人は虚構の前提(fictional premises)や目標を持っており、その前提が間違っていても、そこから論理的に行動・結論を導き出すと考えました。

つまり:

前提が非合理・非現実的 + そこからの推論は論理的 = 結果として問題のある結論

文中の具体例

「自分は宇宙の王でなければならない」という非合理な前提を持つが、実際には平凡な能力しかない男性の例が挙げられています。

アドラーの見立てでは:

  • 前提(非合理): 「自分は宇宙の王であるべきだ」
  • 結論(論理的): 「王になれない自分は、完全に劣った人間だ」

この結論は前提から見れば論理的に筋が通っている、というわけです。前提さえ正せば、問題は解決するという考え方です。


REBTはここに何を付け加えるか

REBTのエリスはアドラーの見方を認めつつも、そこで止まらないと主張します。

同じ男性について、アドラーが見落とすさらなる非論理的結論が存在するとREBTは指摘します:

内容
「かつて家族の王だったから、宇宙の王であるべきだ」(過去から現在への飛躍)
「両親は自分が傑出した成果を出す時だけ認めてくれる、だから必ず成果を出さなければならない」
「宇宙の王になれないなら、何もせず、どこにも至らなくてよい」(極端な二極化)
「あるべき王でない自分は、苦しみを受けて当然だ」(自己罰)

両者の違いをまとめると

アドラー:
非合理な前提 → 論理的な結論(1つ)
             ↑ここだけを修正すればよい

REBT:
非合理な前提 → 論理的な結論
            → さらに非論理的な結論①
            → さらに非論理的な結論②
            → さらに非論理的な結論③…
↑前提だけでなく、派生する複数の非論理的推論も
 すべて発見して論駁(dispute)する必要がある

なぜこの違いが重要か

アドラー派のアプローチでは、誤った前提を修正すれば自ずと問題は解決するという立場です。

一方REBTは、人間は非合理な前提から論理的な結論だけでなく、さらに多くの非論理的な飛躍も重ねるという、より複雑で現実に即した人間観を持っています。そのため、療法家は前提の修正にとどまらず、そこから派生した複数の歪んだ信念を一つひとつ積極的に論駁(dispute)していく必要があると考えるのです。

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