変化する世界モデルは遠い未来にひとつに収束するか

フロイトは「幻想の未来」の中で、
強迫神経症のメカニズムで、願望と罪の意識が源泉となって宗教が生まれたと論じて、
さらに、宗教が与える慰めは大きいものであるが、
未来においては、ロゴス(理性)が、その役割を果たす方がよいといった趣旨のことを述べていると私は読んだ。

1.しかし現状では、理性は、慰めを与えていない。
死、病気、天災、様々な苦難、困難な人間関係、それらに対して、
輪廻転生とか最後の審判とかのような、世界観で納得させてくれるかと言えば、まだ弱い。
メカニズムはだんだんわかってきたとは言うものの、慰めには至らない。
いつかは理性が慰めを与えるのだろうか。

2.誤差修正知性の世界モデルの考え方でいえば、
個人の世界モデルも、諸宗教の世界モデルも、最終的には、遠い遠い未来に、
自然法則の世界モデルに収束するのではないかと個人的には思っているので、
その時は、フロイトの言う、理性が宗教に代わって人間に慰めと確固たる世界観を与えると思っている。

3.当座は納得できないことばかりが多いが、遠い遠い未来においては、理性から構築された世界モデルが人間に安らぎをもたらすだろうと考えて、それならば、現在も、あまり悩まず、安らぎを感じていいのではないかとも思う。

4.ユダヤ教、キリスト教・カトリック、プロテスタント、イスラム教、などの枝分かれを考えると、宗教も世界モデルとして変化がある。その変化には下部構造が影響を与えている。そして遠い未来の予想としては、自然法則と一致する方向だろうと思う。さまざまな世界モデルは変化するが、自然法則の世界モデルは変化しないからだ(少なくともあまり変化しないとは言えると思う)。

5.考えてみれば、宗教の発生がどのようなものであったかについて、知的な興味はあるものの、一方で、発生がどうであっても、今現在、どのような働きをしているかが問題だろうと思う。

6.発生のことを言うなら、人間の知性も、発生はどのようなものであったか、出自については何か議論があるかもしれない。そして、現在も、発展の途中である。このまま発展するかどうかも分からないとも言える。AIの深層学習の結果としての「知性」と比較して質的にどうかの問題もある。比較できるのかも問題であるが、少なくとも、同じ問題をどう解くかで比較はできそうである。私の考えでは、評価関数は自然法則であるから、比較もできるし優劣もあると思うが、それはまた、時間軸をどう設定するかの問題もある。

7.宗教からの慰めを考えるとして、それを受け取る人間の側も、さまざまである。一括りにはできない。バチカンの公式見解と、各地の教会、またたとえばアメリカの福音派、またたとえば解放の神学。かなり大きな差がある。

8.死、病気、天災、様々な苦難、困難な人間関係について、理性によりメカニズムの説明はできるかもしれないが、だからと言って、死を安らかに受け入れられるかと言えば、そうでもないだろう。病気についても。またたとえば地震について、プレート理論で説明されても、なぜあの人が地震の犠牲になったのかの説明にはなっていない。人間の心理についても説明はあるだろうが、だからと言って、自分の身に降りかかった困難を受け入れられるものでもない。こうしたことを受け入れられるようになるための機能が、現在の宗教にはあるのだと思う。その意味では、日本の葬式仏教は何か特殊のもののような気がする。行事で忙しくして、心理的な深いダメージを邪魔するというか、そのような効果はあるかもしれない。また金銭的なダメージもあるので、一時的に現実に引き戻される面もある。おかしな「慰め」を形成している。

9.参考文献の中に、ハンス・キュングの名前を見つけた。懐かしかった。

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