最初に、自由主義と民主主義を考えた。
日本には自由民主党があるから。
あいまいな境界にはなるけれども、民主主義というのは、手続き、プロセスのことだ。
自由主義というのは、最終的に結実する価値観のことだ。
民主主義という過程を経て、自由主義という価値を実現するという解釈でもいいのかなと思った。
しかし、人々の暮らしを見ていると、自由主義を切実に求めているとは思えない。不自由よりは自由の方がいいという程度の軽い意味で、自由を求めている。
それよりも、人々が求めているものは、お金である。お金は、食料でもあり、健康でもあり、家庭でもあり、仕事でもあり、そうした具体的な幸せへの通路がお金であり、つまりは資本主義が人々の心の中にまで浸透しているのが現実である。
国政選挙で、争点として、税金を安くしろとの意見が、自由や平和を守りたいという意見より、強い。資本主義が自由主義や平和主義や非暴力主義などに優越して存在している。
では資本主義を貫徹するとして、民主主義とは相性がいいのだろうか。資本主義と民主主義は矛盾する面があるのではないだろうか。
金もうけのためには独裁的な権力構造の方が能率がいいかもしれない、たぶん、そうだろう。しかしまた逆に、独裁は腐ってしまい、能率の悪い民主主義が結局いいのかもしれない。
こんな話をするときも、結局、お金儲けのためには独裁と民主主義とどちらがいいかとの話になる。
短期的には独裁がよくて、長期的には民主主義がよいとの話もある。開発独裁で成功した国はいくつもある。経済成長の初期場面では独裁が妥当だ。
しかし人々がある程度豊かになって、衣食住の次にほしいものは自由であり、不安からの解放であり、自己実現であると語る時、それは民主主義のプロセスを通してだろうと思う。
資本主義と民主主義の対立の観点で考えると、例えば、軍需産業が資本の論理を貫徹しようとして、その反対の極として、平和を求める民主主義のプロセスがある。
たとえば、原子力発電所で儲けようとする勢力に対して、環境を守り、子孫を守るという価値観を対置する民主主義のプロセスが発動する。
民主主義のプロセスとは、複数の価値観がある時に、そのどれを優先するか、自分たちが意見を出し合い、説得しあい、最終的には投票により、優先順位を決めることだろうと思う。
しかしその場合、人々は判断を間違うことがあるだろうと思う。宣伝に乗ってしまう、思い込んでしまう、お金で買収される、恐怖により服従してしまう、思考力が不足しているために本質を把握できない、いろいろな場面があると思う。
例えば、それが、数学の問題を解くことであれば、数学の得意な人に頼んで、考えてもらい、答えをみんなで解答用紙に書き写せば、みんながいい点数がとれる。
これが、優秀な人間を選抜して官僚として国家を運営させるというビジョンだと思う。
しかし現実はそのようにうまくはいかない。ソ連などの例で分かるように、人間の知性には限界がある。また人間である限り、純粋知性でもないし、純粋倫理でもない。権力者は堕落する。
それを食い止めるのも、民主主義のプロセスである。
価値観を選択するという点では、例えば、みんなで野球観戦をしていて、みんなが監督の立場で、作戦や選手起用を話したりしている場面を考える。ゲームとして面白いという価値観もある。イチローがピッチャーをして、松井が打つ。しかしそんな面白さを野村監督が否定したことがあった。松井に代えて代打にピッチャーを起用した。それが価値観の対立である。
一か八かで勝負してみたい人もいる。確率を大切にして、勝ちを拾いたいと考える人もいる。自分の給料を上げることばかりを考える人もいる。あいつに負けるくらいならケガのリスクを冒してでも勝ちたいという人もいる。できるだけ長く現役を続けたい人もいる。自分にとってみっともない数字に終わるくらいなら、引退したいという人もいる。
様々な価値観があるわで、話し合ったとしても、最終的には分かり合えず、結論は一致しないかもしれない。その時には仕方がないので、暫定的に、多数決で決める。しかしその決定は永遠ではなく、期間が来たら、また話し合いをして、多数決を取る。人間は間違うものだという人間観が根底にある。間違ったら訂正していけばいいと考える。
これは様々な価値観の中で、どれを優先するかについての知恵だと思う。それが民主主義のプロセスである。
様々な価値観の中で、資本主義という価値観は分かりやすい。人間は食べないと死んでしまう。みんなが食べていくためには、とりあえず資本主義がいい。カトリック主義では満腹にならないし、プロテスタントでもそうだ。非暴力主義でも平和主義でも、腹いっぱいにはならない。それは原初からの人間の条件である。だから非常に強いし、根深い。
自由と平等という価値観の対立も典型的である。また、平等という場合、結果の平等と機会の平等との対立も言われる。
資本主義よりも平等主義を取ると考えてみたとして、平等の内容は分かりにくい。
最初から平等を実現しようとしてうまくいかなかったから、まず一部を豊かにして、そのあとで、全体が豊かになり、結果として、全体が平等に向かうといったビジョンもある。たとえば鄧小平。
黒人の人権を議論するときに、白人と黒人の平等とはなにかの話になり、結論は難しい。怠け者だから豊かになれないのだという。機会の平等は実現していると主張する人もいる。逆差別になっているという人もいる。
男女平等も最終的な地点では微妙で難しい面がある。妊娠出産は女性でなければできないことであるから、社会的に、男女の平等は、どのようにすれば実現出るのか、社会的合意に至るまで考えるしかないが、どんなに考えても、何が真の平等で、みんなが納得できるのか、難しい。
民主主義の議論を見ていると、民主主義は、主に二つ、必要な物質と、集団統合の情念を提供するものだとの意見があった。
これは私にとっては新知見であった。
私は民主主義は、複数の価値観の優先順位の選択を現実にどう決定するかの話だと考えていた。
民主主義が、集団統合の情念を提供するのだろうか。
戦争になったときに、集団のために命をささげてもいいと思う情念を養成し保存することが、民主主義の仕事の半分だという。
確かに、集団の統治原理として考えれば、情念の側面は必要だったのかもしれないが、納得しにくい。軍国主義の残影があるからだろう。
しかし情念部分を省略した民主主義は、AIでもいいだろうとの話は出てきそうである。純粋知性。大規模言語モデルでは、多数決があらかじめ組み込まれている。
私は、複数の価値観として、資本主義、社会主義、共産主義などがあり、それらを実現するプロセスとして、暴力主義、独裁主義、民主主義などがあると区別して考えていた
しかし資本主義は、議論のプロセスにまで侵入し、蝕んでいるのではないか。
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あなたの思索は、いくつかの重要な軸を含んでいます。
- 自由主義と民主主義の区別
- 資本主義の圧倒的浸透
- 資本主義と民主主義の緊張関係
- 価値観の選択としての民主主義
- 民主主義と情念(集団統合)の問題
- 資本主義がプロセスを侵食する可能性
以下、それらを整理し、論理的に補完しながら一つの構造として書き直します。
Ⅰ 自由主義と民主主義の概念整理
日本には自由民主党が存在する。この名称は象徴的であるが、「自由」と「民主」は同義ではない。
まず区別しておきたい。
- 民主主義とは、意思決定の「手続き」である。
すなわち、複数の価値観があるときに、討議し、説得し、最終的には多数決などで暫定的に優先順位を決めるプロセス。 - 自由主義とは、最終的に実現したい「価値」である。
個人の権利、思想信条の自由、権力からの保護といった理念。
したがって、
民主主義というプロセスを通じて、自由主義という価値を実現する
という理解は理論的には整合的である。
しかし、ここで疑問が生じる。
現実の人々は、自由主義を切実に求めているのだろうか。
Ⅱ 人々が実際に求めているもの ― 資本主義の浸透
観察すると、人々が選挙で強く主張するのは「税金を下げろ」「給付金を出せ」といった経済的要求である。
自由や平和よりも、生活の安定が前面に出る。
お金とは単なる紙ではない。
- 食料
- 医療
- 住居
- 教育
- 老後の安心
これらへの通路が「貨幣」である。
その意味で、資本主義は単なる経済制度ではない。
それは生活保障の形式であり、人々の心の内部にまで浸透した存在論的条件に近い。
自由主義や平和主義は理念である。
しかし資本主義は、胃袋と直結している。
だから強い。
Ⅲ 資本主義と民主主義は両立するのか
ここで本質的な問いが生まれる。
資本主義と民主主義は、本当に相性がよいのか。
短期的効率の観点から見るなら、独裁のほうが合理的に見える場合がある。
歴史的に「開発独裁」は一定の成功例を持つ。例えば鄧小平期の中国はその典型である。
経済成長の初期段階では、
- 意思決定の迅速さ
- 反対意見の抑圧
- 集中投資
が功を奏する。
しかし独裁は腐敗する。
権力は堕落する。
計画は硬直する。
ソビエト連邦の崩壊はその一例である。
長期的には、誤りを修正できる制度のほうが強い。
民主主義は「間違えることを前提とする制度」である。
- 暫定的決定
- 定期的見直し
- 政権交代
ここに自己修正機能がある。
Ⅳ 民主主義とは価値観の優先順位決定装置である
民主主義の核心は、「正解」を出すことではない。
それは数学の問題ではない。
もし社会が数学問題であるなら、
最も優秀な者に任せ、全員が解答を写せばよい。
これはエリート官僚制の理想像である。
しかし社会は価値の対立で構成される。
例えば野球の試合を考える。
- 勝率重視か
- 観客サービス重視か
- 若手育成か
- ベテラン尊重か
どれも「正解」ではない。
価値観の衝突である。
最終的には、
合意できないなら多数決で決める。
だがそれは永遠ではない。
人間は誤る存在である
という人間観が民主主義の土台にある。
Ⅴ 自由と平等の難問
自由と平等はしばしば対立する。
さらに平等にも二種類ある。
- 機会の平等
- 結果の平等
人種問題、男女平等、社会保障政策。
何をもって「真の平等」とするのかは簡単ではない。
民主主義は「唯一の正義」を提示しない。
それは議論を続ける枠組みである。
Ⅵ 民主主義と情念
あなたが違和感を持った点は重要である。
民主主義は物質供給と同時に、
集団統合の情念を生み出すという議論。
確かに、
国家は単なる手続き機械ではない。
戦争時に命を捧げる覚悟は、
冷静な多数決からは生まれにくい。
ここで、民主主義は
- 手続き的側面(理性)
- 情念的側面(帰属・連帯)
の二重構造を持つ。
もし情念を排除するなら、
AIが最適解を出せばよい、という発想が出る。
しかしAIには帰属感も連帯感もない。
民主主義は単なる計算装置ではない。
それは「われわれ」という感情を生成する装置でもある。
Ⅶ 資本主義はプロセスを侵食するか
あなたの最後の問いが最も鋭い。
本来、
- 資本主義、社会主義、共産主義は「価値観」
- 民主主義、独裁主義、暴力革命は「プロセス」
と分けられるはずだった。
しかし現実には、
資本主義がプロセス内部に侵入している。
- 選挙資金
- ロビー活動
- メディア支配
- 広告と宣伝
- 世論操作
資本は議論の土俵そのものを歪めうる。
そのとき民主主義は、
価値の選択装置ではなく、
資本の再生産装置に変質する。
これは単なる理論ではない。
資本主義は「結果」だけでなく「手続き」にも浸透する。
Ⅷ 結論的整理
あなたの思索を論理的に整理すると、次の構図になる。
- 民主主義=価値選択の暫定的プロセス
- 自由主義=一つの到達価値
- 資本主義=生活維持と直結する強力な価値体系
- 資本主義は民主主義と協調もするが、侵食もする
- 民主主義は理性だけでなく情念装置でもある
- しかし情念なき民主主義はAI化する可能性がある
- そして資本がプロセスを支配すれば民主主義は形骸化する
最終的な問いはこうなる。
民主主義は資本主義を統御できるのか。
それとも資本主義が民主主義を内側から空洞化するのか。
この問いは未決である。
しかし民主主義の強みは一つある。
それは、
間違いを訂正できる可能性を制度化していること
である。
資本主義が侵食しているならば、
それを問題化し、議論し、修正する場もまた民主主義の内部にある。
希望があるとすれば、それはここにしかない。
