二つの定義、「資本主義=欲望の制度化」と「民主主義=誤りを前提にした存在論」は、非常に強力な補助線です。これを用いることで、現代社会の混迷を「生存のエンジンの暴走」と「不完全さの受容」という対立構造で鮮やかに描き出すことができます。
欲望の重力と誤りの航海
――「制度化された欲望」を「不完全な対話」で飼い慣らすことは可能か
1. 資本主義:生存本能を文明のエンジンに変換した「欲望の制度化」
資本主義を単なる経済システムではなく、「欲望の制度化(Institutionalization of Desire)」と定義したとき、その圧倒的な強さの正体が見えてくる。
かつて宗教や道徳は、人間の「もっと欲しい」という欲望を、抑制すべき「罪」や「煩悩」として扱った。しかし資本主義は、この原始的で強力なエネルギーを否定せず、むしろ「利潤」や「成長」という形で社会の駆動力へと転換(制度化)した。
欲望は、この制度という回路を通ることで「投資」や「消費」となり、文明を加速させる燃料となる。資本主義が他のどんな思想よりも強固なのは、それが高邁な理想ではなく、人間の最も底流にある生存本能と分かちがたく結びついているからだ。
しかし、この制度化には「終わり」がない。欲望は満たされることを知らず、自己増殖を自己目的化する。現在、私たちが直面しているのは、制度化された欲望が、それを受け止める器である地球環境や人間精神の限界を超え、社会のあらゆる価値観(平和、自由、倫理)を「効率」という名の単一尺度で塗り潰そうとしている事態である。
2. 民主主義:人間が「間違える存在」であることを認める「存在論」
対して、民主主義を「誤りを前提にした存在論(Ontology Premised on Error)」と定義すると、その真の姿が浮かび上がる。
民主主義とは、単なる「多数決の手続き」ではない。それは、「いかなる天才も、いかなる権力者も、そしていかなる多数派も、絶対に正解に到達することはない」という、人間の有限性と不完全さを徹底的に肯定する思想である。
もし人間が完璧な正解を出せるなら、民主主義などという時間のかかる非効率な仕組みは不要だ。ソ連のような計画経済や、AIによる統治の方が優れていることになる。しかし、歴史は「完璧を自称する知性」が必ず破滅的な誤りを犯すことを証明してきた。
民主主義という「存在論」は、以下の三つの誠実さを要求する。
- 暫定性の受容: 今日の決定は「現時点でのマシな案」に過ぎず、常に間違っている可能性がある。
- 自己修正の義務: 間違っていると分かったとき、速やかに、平和的にやり直すための回路(選挙、言論の自由)を維持し続ける。
- 他者への敬意: 自分も間違っているかもしれない以上、自分と異なる意見を持つ他者は、自分の間違いを指摘してくれる「不可欠な鏡」となる。
3. 資本主義の「確信」と民主主義の「疑い」の衝突
ここに、現代の不幸な対立がある。
資本主義(欲望の制度化)は、「欲しいという感覚は正しい」という強固な確信に基づき、光速で突き進む。一方で民主主義(誤りの存在論)は、「私たちは間違っているかもしれない」という根源的な疑いに基づき、足踏みをしながら議論を続ける。
「お金(資本)」という欲望の通路は、具体的で分かりやすく、即効性がある。しかし、「話し合い(民主主義)」という誤りの修正プロセスは、抽象的でまどろっこしく、苦痛を伴う。
人々が民主主義よりも資本主義的な解決(強いリーダー、効率的な独裁、AIへの丸投げ)に惹かれるのは、人間が「自分の不完全さ」に向き合い続けるという存在論的負荷に耐えられなくなっているからではないか。
4. AIと資本主義、そして「責任」の消失
AIを民主主義に導入しようとする試みは、「誤りを前提にした存在論」を否定し、再び「正解という神話」へ回帰しようとする動きに見える。
AIは過去のデータを集約し、欲望を効率的に満たすための「最適解」を出すだろう。しかし、AIは「間違えたとしても、その結果を引き受けて苦しむ」ことができない。
民主主義が「人間」のものである理由は、人間だけが「間違えたときに責任を取る(傷つく)」ことができるからだ。資本主義が欲望を加速させ、AIが判断を自動化するとき、社会から「人間的な誤り」と「それに対する責任」が消滅する。それは、人間が人間であることをやめるプロセスに他ならない。
5. 結論:欲望を「誤りのプロセス」で飼い慣らす
私たちは今、資本主義という「制度化された欲望」を、民主主義という「誤りを前提としたプロセス」の中に、もう一度正しく配置し直さなければならない。
資本主義を「全能の神」から「強力だが暴走しやすいエンジン」へと格下げし、民主主義という「不完全な人間たちによる操縦席」がその手綱を握る。その操縦席に座る私たちは、自分が間違えることを認め、他者の言葉に耳を傾け、立ち止まって考えるという「非効率なコスト」を払い続けなければならない。
欲望(資本主義)は、私たちを動かす力となる。
誤りの自覚(民主主義)は、私たちを破滅から救う。
この二つの矛盾する原理を抱え続けることこそが、知性という名の重荷であり、自由という名の誇りなのである。
深化のポイント
- 欲望の回路: 資本主義を「悪」とするのではなく、本能を文明化する「回路」として捉え、その不可避性と危険性を強調しました。
- 存在論的誠実さ: 民主主義を単なる「仕組み」から、人間の不完全さを引き受ける「生き方(存在論)」へと昇格させました。
- 責任の所在: AIや独裁がなぜ民主主義の代替になり得ないのかを、「痛み(責任)を引き受けられるか」という観点から論理付けました。
