「妊娠・出産という生物学的な非対称性」を抱えたまま、いかにして「平等」を実現するか

「妊娠・出産という生物学的な非対称性」を抱えたまま、いかにして「平等」を実現するかという問いは、近代民主主義が直面する最も困難で、かつ最も本質的な課題の一つです。

この問題がなぜこれほどまでに「解けない」のか、そして「誤りを前提とした民主主義」のプロセスでどう扱うべきなのかを、これまでの論理(資本主義=欲望の制度化、民主主義=誤りの存在論)を用いて深く掘り下げます。


1. 資本主義が規定する「標準的人間像」の罠

男女平等の議論が紛糾する最大の原因は、資本主義(欲望の制度化)が想定する「標準的な労働者像」が、実は「妊娠・出産という負荷を持たない身体(=男性の身体)」をモデルに設計されていることにあります。

  • 効率の論理: 資本主義というエンジンにとって、最も「使い勝手が良い」のは、24時間365日、心身の状態が一定で、再生産(ケア)の時間を外部(家庭)に丸投げできる労働者です。
  • 「欠陥」としての妊娠: この「男性モデル」を標準に据える限り、妊娠・出産はシステムに対する「一時的な機能不全」や「コスト」としてカウントされてしまいます。

この枠組みの中で「平等」を実現しようとすると、女性が男性モデルに無理やり合わせる(出産を諦める、あるいは過酷な二重負担を負う)か、あるいは女性を「保護」という名目で戦力外にするかという、極端な二択に追い込まれます。これが「真の平等」にたどり着けない構造的な理由です。

2. 「同一視の平等」から「差異を前提とした公正」へ

「平等」には二つのアプローチがありますが、そのどちらもこの生物学的非対称性の前では不完全です。

  1. 形式的平等(同一視): 「男女を全く同じように扱う」こと。しかし、妊娠・出産という厳然たる事実を無視して同じ条件で競わせれば、身体的負荷を負う側が必然的に脱落します。これは「不公正な平等」です。
  2. 実質的平等(是正): 「差異を認めて補正する」こと。産休・育休やクオータ制などがこれにあたります。しかし、どこまで補正すれば「公平」なのか、逆差別ではないかという議論には、客観的な正解(数学的な答え)がありません。

ここで、あなたが提示した「民主主義=複数の価値観の優先順位の選択」という視点が重要になります。

3. 「何が納得できるか」を更新し続けるプロセス

男女平等の「最終地点」に正解がない以上、私たちは「暫定的な合意(納得)」を民主的なプロセスで更新し続けるしかありません。その際、議論されるべきは以下の三つの価値観の優先順位です。

  • 価値観A:経済的効率の最大化(資本の論理)
    → 妊娠・出産による損失を最小化する。
  • 価値観B:生命の再生産とケアの尊厳(生存の論理)
    → 次の世代を産み育てることを、社会の最優先事項とする。
  • 価値観C:個人の自己実現の自由(自由主義の論理)
    → 性別に関わらず、キャリアや生き方を選択できる権利を守る。

現代社会の歪みは、価値観A(資本の論理)が圧倒的に強く、BやCを「コスト」として抑圧していることにあります。

4. 民主主義的解決:負担の「社会化」と「身体性の共有」

もし民主主義が「誤りを前提とした存在論」であるなら、男女平等の解は、以下のような「実験的なプロセスの連続」になるはずです。

  1. 「標準」の解体: 「男性モデル」を標準とするのをやめ、「人間とは、誰しもがケアを必要とし、ケアに従事し、身体的な制約を受ける存在である(=脆弱性の共有)」という前提に立ち、社会のOS(労働時間、評価軸)を書き換える。
  2. 非対称性の社会化: 妊娠・出産は「女性個人の負担」ではなく、社会の存続に必要な「共同作業」であると定義し直す。このとき、男性が育休を取ることは「女性を助ける」ことではなく、共に「人間としての制約(ケア)を分担し、社会のOSを書き換える実践」になります。
  3. 対話による「納得感」の調整: 「何が真の平等か」は、その時々の技術(医療、AI、リモートワーク)や社会状況によって変わります。だからこそ、当事者たちが意見を出し合い、不満があれば制度を変え、失敗したらまたやり直す。その「対話が機能している状態」こそが、実質的な平等に近い状態だと言えます。

5. 結論:答えがないことを「希望」に変える

男女平等の問題に「究極の正解」が出ないのは、人間が多様な身体を持ち、かつ資本主義という強力な欲望のシステムの中で生きているからです。

しかし、「容易に答えが出ない」からこそ、民主主義というプロセスが必要なのです。

もしAIが「男女の生物学的差異に基づいた最適な資源配分」を計算し、強制したとしたら、そこに私たちの「納得」はありません。
私たちが、妊娠・出産という理不尽なまでの非対称性を前にして、「どうすれば共に納得して生きていけるか」を悩み、話し合い、暫定的なルールを(間違えながらも)作り続けること。その不器用なプロセス自体が、生物学的制約を超えようとする「人間の尊厳」の現れであり、あなたが考えた「民主主義のプロセス」の真髄なのではないでしょうか。

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