リバタリアニズム(Libertarianism:自由至上主義)について、その核心的な考え方から、主要な派生形、他の思想との違いまで詳しく解説します。
1. リバタリアニズムの根本原則
リバタリアニズムを一言で言えば、「個人の自由を他の何よりも優先し、国家による介入を最小限(あるいはゼロ)にすべきだ」という思想です。
その根底には、以下の2つの大きな柱があります。
- 自己所有権(Self-Ownership):
自分の身体、人生、労働、そしてその労働によって得た財産は、100%自分だけのものであるという考え。他人が(たとえ政府であっても)これに干渉することは許されません。 - 不可侵原則(Non-Aggression Principle / NAP):
「他人の身体や正当な財産に対して、先に手を出して(暴力や強制、詐欺を用いて)侵害してはならない」という極めてシンプルなルールです。
2. 具体的な主張(何に反対し、何を認めるか)
この原則を徹底すると、以下のような極端とも思える主張になります。
- 税金は「盗み」である:
自分の労働で得たお金を強制的に徴収されるのは、一種の「強制労働」であると考え、所得税などの廃止を訴えます。 - 「被害なき犯罪」の撤廃:
薬物使用、売春、ギャンブルなどは、本人が同意している限り、他人の権利を侵害していないため、国家が禁止すべきではないと考えます。 - 徹底した市場経済:
政府による規制(最低賃金法、独占禁止法、関税など)は、自由な契約を妨げるものとして反対します。 - 徴兵制への反対・不干渉主義:
国家が個人を戦争に駆り出すことに強く反対し、他国への軍事介入も否定する(孤立主義に近い)傾向があります。
3. 主な2つの派閥
「国家をどこまで認めるか」によって、大きく2つに分かれます。
- 最小国家主義(ミナーキズム):
「警察、裁判所、国防」という、個人の権利を守るための最低限の機能だけは国家が持つべきだとする立場。(代表的哲学者:ロバート・ノージック) - 無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム):
警察や裁判所さえも民間企業が競争して提供すればよいと考え、国家そのものを完全に不要とする立場。(代表的経済学者:マレー・ロスバード)
4. 他の思想との違い(図解イメージ)
よく混同される「リベラリズム(自由主義)」や「コンサバティズム(保守主義)」と比較すると分かりやすいです。
- 対 リベラル(現代自由主義):
- リベラルは「経済的な平等」を重視し、福祉のために増税や規制を認めますが、リバタリアンは「経済の自由」を絶対視するため、福祉のための再分配に反対します。
- 対 保守(保守主義):
- 保守は「伝統や秩序」を重視し、道徳的な理由(家族観や治安など)で個人の行動(薬物や同性婚など)を規制しようとしますが、リバタリアンは「個人的な自由」を絶対視するため、道徳の押し付けに反対します。
結論として、リバタリアンは「経済的にも個人的(社会的)にも、国家は口を出すな」という両面での自由を求めます。
5. 代表的な人物と著作
- ロバート・ノージック: 著書『アナーキー・国家・ユートピア』。最小国家の正当性を論じた。
- フリードリヒ・ハイエク: 著書『隷属への道』。国家による計画経済が独裁を招くと警告した(リバタリアニズムの先駆者的存在)。
- アイン・ランド: 小説家・哲学者。徹底した個人主義と合理的利己主義を説き、米国リバタリアンに多大な影響を与えた。
6. 批判されるポイント
リバタリアニズムに対しては、以下のような批判がよくなされます。
- 格差の拡大: セーフティネットがないため、弱者が切り捨てられるのではないか。
- 公共財の問題: 道路や公園、環境保護など、利益が出にくいインフラを誰が整備するのか。
- 現実味の欠如: 警察や軍隊が民間になった場合、力のある者が支配する「弱肉強食」の世界になるのではないか。
リバタリアニズム(Libertarianism)とリベラリズム(Liberalism)は、どちらも語源が「Liberty(自由)」であるため、非常に混乱しやすいですね。特にアメリカでは「リベラル=左派(大きな政府)」を指すため、余計にややこしくなっています。
初心者の方にも一発で伝わる「言い換え」と、その「根本的な概念の違い」を整理します。
1. 初心者向け:はっきりわかる「言い換え」
歴史的背景を抜きにして、現代的なニュアンスで言い換えるなら、以下のようになります。
| 思想 | キャッチコピー的言い換え | キャラクター化すると |
|---|---|---|
| リバタリアニズム | 「ほっといてくれ」主義 | 自立した孤高の一匹狼 |
| リベラリズム | 「みんなで自由に」主義 | 優しくてお節介な調整役 |
- リバタリアニズム: 「自分のことは自分でやる。政府は余計なことをせず、私の邪魔をしないでくれ」という自己責任・徹底放任の姿勢。
- リベラリズム: 「格差や貧困があると、本当の意味で自由に動けない人が出る。だから政府が手助けして、みんなが自由になれる土台を作ろう」という公正・公助の姿勢。
2. 根本的な違いは何か?(概念化のポイント)
両者の違いを概念化する際、もっとも重要なのは「自由を邪魔している敵は誰か?」という認識の違いです。
① リバタリアニズムの視点:敵は「国家の強制」
- 自由の定義: 「他人に(特に国家に)無理やり何かをさせられないこと」= 消極的自由。
- 考え方: 自由とは「障害物がない状態」のことです。税金、規制、義務教育、徴兵などはすべて「個人の自由を奪う障害物」と見なします。
- 核心: 「所有権」が絶対。自分の体、自分の時間、自分のお金は自分のものであり、それを他人のために(税金などで)使わせることは「盗み」と同じだと考えます。
② リベラリズムの視点:敵は「社会的な不平等・不運」
- 自由の定義: 「自分の可能性を最大限に発揮できる状態にあること」= 積極的自由。
- 考え方: 自由とは「能力やチャンスがある状態」のことです。例えば、貧しくて学校に行けない人は、法律で禁止されていなくても「学ぶ自由」を実質的に持っていません。この「不自由な状態」を解消するために、政府が介入すべきだと考えます。
- 核心: 「公正さ(公平なスタートライン)」が重要。個人の自由を最大化するためには、富の再分配や公的サービスが必要不可欠だと考えます。
3. 違いを説明する「例え話」:無人島への橋
この2つの違いを、「崖の向こうにある無人島(自由な世界)」へ行くための橋に例えてみましょう。
- リバタリアンは言う:
「橋を渡りたい人は、自分の責任で勝手に渡ればいい。橋を渡るのを禁止したり、無理やり渡らせたりしなければ、それは『自由』だ。橋を作るお金を、渡りたくない人から無理やり奪う(増税)のは犯罪だ。」
👉 (自由=禁止されないこと) - リベラルは言う:
「橋がないのに『勝手に渡れ』と言うのは、泳げない人にとって自由ではない。みんなでお金を出し合って立派な橋を作り、車椅子でも子供でも渡れるようにして初めて、全員に『渡る自由』が与えられたと言えるんだ。」
👉 (自由=選択肢と能力が保証されていること)
まとめ:概念化のキーワード
- リバタリアニズム = 「非侵害」
(誰も私を侵害しなければ、私は自由である) - リベラル = 「エンパワーメント(能力付与)」
(社会が私を支えてくれれば、私はより自由になれる)
このように、「政府を『自由を奪う怪物』と見るか、『自由を支えるツール』と見るか」の違いとして説明すると、初心者の方にも非常に分かりやすくなります。
他人の幸福を平気で侵害して、しかしそれは違法ではないから自由だと言い張る、倫理観のない、どう猛な、同情心のない、共感欠如な印象が、リバタリアンにはあると思う。
リバタリアニズムに対する「冷徹さ、共感の欠如」という印象は、この思想が抱えるもっとも鋭い批判点であり、最大の特徴でもあります。
なぜリバタリアニズムが、そのように「どう猛で同情心のない主義」に見えるのか。その理由は、彼らが採用している「独特の倫理観」と「社会の捉え方」にあります。
いくつかのポイントに分けて解説します。
1. 「法(権利)」と「道徳」を完全に切り離しているから
リバタリアニズムの最大の特徴は、「不道徳であること」と「違法であること」を明確に分ける点にあります。
- 彼らの理屈: 「隣人が飢え死にしそうになっても、助けないことは『不道徳』かもしれない。しかし、私の財布から無理やり金を奪って彼を助けるのは『犯罪(盗み)』だ」
- 結果として: 「他人を助けない自由」を全力で守ろうとするため、外側からは「冷酷で同情心がない」と見えます。彼らにとって、善行(寄付や助け合い)は「自発的」でなければ価値がなく、国家による「強制された善意」は悪なのです。
2. 「自己所有権」という極端な個人主義
リバタリアンは、人間を「社会という大きなチームの一員」ではなく、「独立した完全な個」として捉えます。
- 彼らの理屈: 自分の才能や努力で得た利益は100%自分のもの。
- 結果として: 現代の金融資本主義において、誰かが大損をして自分が大儲けしても、「騙したり盗んだり(物理的強制)していないなら、それは正当な取引の結果だ」と割り切ります。この「ゲームのルールさえ守れば、結果がどうなろうと知ったことではない」という態度が、共感の欠如として映ります。
3. アイン・ランドの「合理的利己主義」の影響
リバタリアニズムに多大な影響を与えた作家アイン・ランドは、「利他主義(他人のために生きること)は悪である」とさえ断言しました。
- 彼らの理屈: 人間は自分の幸福を追求することこそが最も高潔な目的であり、他人のために自分を犠牲にすることを強いる社会は不健全である。
- 結果として: 「弱者への同情」よりも「強者の自由」を称賛する傾向が強まり、それが「どう猛なエリート主義」のように感じられる原因になります。
4. 「構造的な暴力」を認めない
リベラル派は、貧困や格差を「社会の仕組みが生んだ構造的な問題」と考えますが、リバタリアンはそれを認めません。
- 彼らの理屈: 物理的な暴力(殴る、拘束する)や詐欺がない限り、そこには「自由な契約」しかない。
- 結果として: 例えば、生活に困窮して過酷な条件で働く人を「自由な選択の結果」と片付けてしまいます。この「相手の苦境につけ込むような行為」を「自由」の名の下に正当化する姿勢が、非人道的であるという批判を招きます。
まとめ:なぜ「どう猛」に見えるのか
一言で言えば、リバタリアニズムは「人間関係を、すべて『契約』と『物理的な不可侵』だけで割り切ろうとするから」です。
本来、人間社会には「情け」や「互助」「共感」といった、目に見えない潤滑油がありますが、リバタリアニズムはそれらを「個人の自由な判断に任せる(=義務ではない)」として、公的な議論から排除します。
その結果:
- 美点として見れば: 国家の束縛を受けない、究極の自立。
- 欠点として見れば: 強者が弱者を食い物にする、剥き出しの「野生の資本主義」。
質問者様が感じた「共感欠如」という感覚は、リバタリアニズムが「人間から『社会的な責任』という重荷を外す代わりに、『隣人への愛』という義務も捨て去ってしまった」ことに対する、極めて正当な反応だと言えます。
この「ドライすぎる正義」が、現代の格差社会において、成功した資本家たちの「良心の呵責を消すための盾」として利用されやすいという側面も、否定できない事実です。
質問者様が抱かれた「これは主義というより、人格障害(共感性の欠如)に近いのではないか」という疑問は、実は心理学や倫理学の分野でも非常に真剣に議論されているテーマです。
リバタリアンが「隣人愛の強制」を拒絶する背景には、彼らなりのロジックがありますが、それが結果として「共感の欠如」に見える理由を、心理学的・構造的な視点から整理してみます。
1. 心理学的研究:「共感」よりも「システム」を重視する傾向
ジョナサン・ハイトという社会心理学者の有名な研究(道徳基盤理論)では、リバタリアンの心理的特徴について興味深いデータが出ています。
- システム化能力が高い: リバタリアンは、物事を論理的なルールや一貫したシステムで捉える能力が高い傾向にあります。
- 共感(ケア)の指標が低い: 他のリベラル派や保守派に比べ、「他人の痛みへの共感」や「ケア(保護)」を道徳の根拠にする度合いが統計的に低いことが示されています。
つまり、彼らは「目の前の人がかわいそう」という感情(エモーション)よりも、「その人を助けるために誰かの権利を侵害してはいけない」という理屈(ロジック)を優先する脳のクセを持っている、と言い換えることもできます。これを「冷酷」と取るか「理性的」と取るかで評価が分かれます。
2. 「善意の強制」は「暴力」であるという極論
リバタリアンにとって、隣人愛そのものが嫌いなわけではありません。彼らが病的に嫌うのは「強制」です。
- 彼らの主張: 「困っている人を助けるのは素晴らしい。しかし、銃(国家の権力)を突きつけて財布から金を出させて助けさせるのは、愛ではなく強盗だ」
- この極端な潔癖さ: 彼らにとって「自発的でない善行」は無価値であり、むしろ悪です。この「一切の例外を認めない論理的一貫性」が、人間的な温かみを削ぎ落としてしまい、結果として「共感がない」ように見えてしまいます。
3. 「人格障害」との境界線
「人格障害(反社会性パーソナリティ障害など)」は、他者の権利を侵害し、平気で嘘をつき、罪悪感を持たないことを指します。
一方、リバタリアンは「他者の権利(生命・自由・財産)を侵すこと」を世界で一番嫌います。
- 人格障害者: 「お前のものは俺のもの。奪ってもいい」
- リバタリアン: 「俺のものは俺のもの。お前のものもお前のもの。お互い一切干渉するな」
このように、根底にある「ルール」は真逆です。しかし、社会的に見れば「困っている人がいても、自分に実害がない限り何もしないし、助ける義務もない」という結論が一致してしまうため、外見上は「共感欠如の人格障害」と区別がつかなくなるのです。
4. 「自閉的な理想郷」という批判
哲学者のなかには、リバタリアニズムを「社会的な動物としての人間を否定する、自閉的な思想だ」と批判する人もいます。
人間は本来、互いに依存し、共感し合うことで生き延びてきた種です。その「依存」や「共感」をすべて「個人の自由な契約」というドライな関係に置き換えようとするリバタリアニズムは、人間の生物学的な本性に反している、という指摘です。
結論としての視点
質問者様が「人格障害ではないか」と感じるのは、リバタリアニズムが「人間が本来持っている『共に生きるための本能的な共感』を、論理(ロジック)によって切断しようとする思想」だからだと言えます。
- リバタリアン側から見れば: 「自分たちは、感情に流されず、個人の権利を神聖視するもっともフェアイ(公正)な人間だ」
- 一般社会から見れば: 「他人の苦痛を無視し、自分だけの殻に閉じこもる、どう猛で冷淡な人々だ」
この「正義」と「冷酷」のコインの裏表が、リバタリアニズムという思想の正体と言えるかもしれません。
思想(イズム)と政治形態(システム)を整理すると、現代社会を読み解く地図がはっきり見えてきます。
大きく「経済・社会の考え方(イズム)」と「権力の持ち方(政治形態)」に分けて、主要なものを挙げます。
1. 思想・社会のあり方(イズム:Ism)
これらは「何が正義か」「リソースをどう分けるか」という価値観の体系です。
- コンサバティズム(Conservatism / 保守主義):
伝統や習慣、既存の秩序を重んじ、急激な変化を嫌う。人間の理性を過信せず、長い時間をかけて培われた知恵を大切にする。 - アナーキズム(Anarchism / 無政府主義):
国家や支配階層そのものを「抑圧」とみなし、廃止を訴える。自由な個人の合意に基づく社会を目指す。 - ファシズム(Fascism / 全体主義・結束主義):
個人の自由よりも「民族」や「国家」の団結を最優先し、強力なリーダーシップの下で社会を統制する。 - ナショナリズム(Nationalism / 国家主義・民族主義):
自分の国や民族の利益・独立を第一に考える。 - エコロジズム(Ecologism / 環境主義):
人間中心の経済発展よりも、地球環境の保全を最優先の価値に置く。 - フェミニズム(Feminism):
性別による差別をなくし、政治・経済・社会的な権利の平等を求める。
2. 政治形態・権力の構造(体制:System)
これらは「誰が、どのように決定を下すか」というルールの仕組みです。
- モナキー(Monarchy / 君主制):
王や皇帝が一国を治める体制。「絶対君主制」と、憲法の下で王が象徴となる「立憲君主制」がある。 - オリガーキー(Oligarchy / 寡頭制):
一部の特権階級(エリート、富裕層、軍閥など)が権力を独占し、政治を動かす体制。 - オトクラシー(Autocracy / 独裁制・専制政治):
一人の支配者(ディクテーター)が絶対的な権力を握り、憲法や法の制限を受けずに統治する。 - アリストクラシー(Aristocracy / 貴族政治):
「最良の人々(家柄や教養のある貴族)」が統治するのがベストだとする体制。 - セオクラシー(Theocracy / 神権政治):
宗教的な指導者が、神の教えに基づいて政治を行う体制(現代のイランなど)。 - テクノクラシー(Technocracy / 技術官僚政治):
政治家ではなく、科学者やエンジニアなどの「専門家」が合理的・技術的な判断で統治する体制。 - リパブリック(Republic / 共和制):
君主がいない体制。主権は国民にあり、選ばれた代表者が政治を行う(デモクラシーと組み合わされることが多い)。
3. これらを組み合わせると世界が見える
実際の国は、これらを組み合わせて「○○な××」という形で存在しています。
- アメリカ: リベラル(または保守)な、民主的な、共和制。
- 中国: コミュニズム(共産主義)を掲げる、一党独裁的な、共和制。
- イギリス: 保守またはリベラルな、民主的な、立憲君主制。
- 北朝鮮: 全体主義的な、世襲の独裁体制。
面白い視点:馬蹄形(ばていけい)理論
政治思想は「右(保守・リバタリアン)」と「左(リベラル・コミュニズム)」の一本道で語られがちですが、実は両極端に行き過ぎると、どちらも「全体主義(個人の自由がない状態)」に近づいて似てくるという「馬蹄形理論」があります。
- 極端なコミュニズム(左の果て):国家がすべてを管理し、自由がない。
- 極端なファシズム(右の果て):国家がすべてを統制し、自由がない。
質問者様がリバタリアニズムに感じた「どう猛さ」も、それが極限まで突き詰められ、他者への共感を完全に排除した「無政府資本主義」まで行くと、結局は「力の強い者がすべてを支配する独裁」と見た目が変わらなくなる、という皮肉な側面を持っています。
「~イズム(主義)」という言葉の系統は、大きく分けて「経済の仕組み」「個人の自由と社会の責任」「伝統と変革」という3つの軸で整理すると分かりやすくなります。
1. 「自由と市場」の系統(リベラリズム・キャピタリズムの派生)
市場経済や個人の自由を重視するグループです。
- ネオリベラリズム(Neoliberalism / 新自由主義):
1980年代以降に主流となった考え方。リバタリアニズムに近く、規制緩和、民営化、市場競争を徹底的に進める。「自己責任」を強調するため、格差拡大の要因とも批判されます。 - グローバリズム(Globalism / 地球主義):
国境を越えてヒト・モノ・カネが自由に動くことを良しとする考え方。自由貿易を推進しますが、地元の産業や文化を壊すという反発(アンチ・グローバリズム)も生んでいます。 - エピキュリアニズム(Epicureanism / 快楽主義):
(哲学寄りですが)個人の幸福や苦痛の回避を最大化することを重視する考え方。
2. 「平等と分配」の系統(ソシアリズム・コミュニズムの派生)
格差を是正し、みんなで支え合うことを重視するグループです。
- ソーシャル・デモクラシー(Social Democracy / 社会民主主義):
キャピタリズム(資本主義)の枠組みを認めつつ、高い税金で充実した福祉を行い、貧富の差を小さくしようとする考え方(北欧諸国など)。リベラリズムとソシアリズムの中間地点です。 - エガリタリアニズム(Egalitarianism / 平等主義):
すべての人間は根本的に平等であり、社会的・経済的な特権を持つべきではないという強い信念。 - コミュニタリアニズム(Communitarianism / 共同体主義):
リバタリアニズムの対極にある重要な思想です。「個人は孤立して生きているのではなく、地域や家族などの共同体の中で生きている」と考え、個人の自由よりも「共通の善」や「社会的責任」を重視します。
3. 「秩序と伝統」の系統(コンサバティズムの派生)
急激な変化を避け、守るべきものを重視するグループです。
- コンサバティズム(Conservatism / 保守主義):
リベラリズム(変革)に対する言葉。過去から続く知恵や伝統、宗教、秩序を大切にし、社会を少しずつ良くしていこうとする考え方。 - ネオコンサバティズム(Neoconservatism / 新保守主義):
通称「ネオコン」。民主主義や自由という価値観を守るために、他国への軍事介入も辞さないという強硬な姿勢を持つグループ(主にアメリカ)。 - パターナリズム(Paternalism / 父権主義・家父長主義):
「強い者が弱い者のためを思って、本人の意思に関わらず干渉・保護する」という考え方。リバタリアンがもっとも嫌う「お節介な支配」の典型です。
4. 「人間・社会のあり方」の系統
- ヒューマニズム(Humanism / 人文主義・人間主義):
神や迷信ではなく、人間の理性を信じ、人間の尊厳を最高価値とする考え方。 - セキュラリズム(Secularism / 世俗主義):
政治や教育を宗教から切り離し、宗教的なルールを公共の場に持ち込まないという考え方。 - ポピュリズム(Populism / 大衆主義):
「腐敗したエリート」対「善良な一般庶民」という構図を作り、大衆の感情や不満に直接訴えかけて政治を動かそうとする手法や思想。
まとめ:リバタリアニズムと対比させると見えてくるもの
質問者様がリバタリアニズムに感じた「共感の欠如」という問題を考えるとき、以下の対立軸を知っておくと、さらに理解が深まります。
- リバタリアニズム(個人・契約) vs. コミュニタリアニズム(共同体・絆)
「自分勝手でいいじゃないか」というリバタリアンに対し、「いや、人間は支え合って生きる動物だ」と反論するのがコミュニタリアンです。 - リバタリアニズム(自由) vs. パターナリズム(保護・干渉)
「死ぬのも勝手だ、ほっといてくれ」というリバタリアンに対し、「死なせないようにルールで縛るのが愛だ」というのがパターナリストです。
このように、「人間をどう捉えるか(孤立した個か、つながりの中の個か)」によって、支持する「イズム」が変わってくるのが面白いところです。
現代社会を語る上で最も重要な「デモクラシー(Democracy / 民主主義)」を、これまでの思想(イズム)の分類にしっかりと組み込んで説明すべきでした。
デモクラシーがこれまでの話の中でどう位置づけられるのか、なぜ他の言葉と混同しやすいのかを整理します。
1. デモクラシーは「決定のルール(OS)」である
「キャピタリズム」や「リバタリアニズム」が「何が正しいか、どう分配するか(アプリケーション)」というコンテンツ(内容)だとしたら、「デモクラシー」は「誰がどうやって決めるか(OS)」という仕組みを指します。
- デモクラシー(民主主義): 主権は民(国民)にあり、みんなで話し合って決める。
- 対義語: オトクラシー(独裁制)、モナキー(君主制)、アリストクラシー(貴族制)。
2. 他のイズムとの「組み合わせ」で機能する
デモクラシーは単体で存在するというより、他の思想と「セット」で使われることがほとんどです。
- リベラル・デモクラシー(自由民主主義):
現代の日本や欧米諸国の基本形。「みんなで決める(民主主義)」けれど、「個人の自由(リベラリズム)も憲法で守る」という組み合わせ。 - ソーシャル・デモクラシー(社会民主主義):
「民主的な手続き」で、「社会的な平等(ソシアリズム)」を実現しようとする仕組み。 - キャピタリズム + デモクラシー:
「経済は自由(市場)に任せる」けれど、「政治のルールはみんなで決める」という、私たちが慣れ親しんでいる社会の形です。
3. リバタリアニズムとデモクラシーの「致命的な相性の悪さ」
ここが非常に面白い(そして恐ろしい)点なのですが、リバタリアンは、実はデモクラシーをあまり信頼していません。 むしろ「敵」とみなすことすらあります。
なぜなら、質問者様が先ほど感じられた「共感の欠如」の話に繋がります。
- リバタリアンの言い分:
「民主主義なんて『多数派による暴力』だ。51%の人間が賛成すれば、49%の人間の財産を税金として奪える(再分配)なんて、自由の侵害以外の何物でもない」 - 彼らの理想:
「多数決で決めること(デモクラシー)」よりも、「個人の権利を守ること(私有財産権)」の方が上位にある。
つまり、リバタリアンにとっては、「たとえ民主的に決まったことでも、私の財布に手を出したり、私のやり方に口を出すなら、それは独裁と同じだ」ということになります。
4. デモクラシーのバリエーション
デモクラシーという言葉の中にも、いくつかの流派があります。
- 間接民主主義(代表制): 選挙で選ばれた議員が話し合う(現在の主流)。
- 直接民主主義: 国民投票などのように、自分たちで直接決める。
- 熟議民主主義: 単なる多数決ではなく、話し合い(対話)による合意を重視する。
- 大衆民主主義(マス・デモクラシー): 大衆の意見が強く反映されるが、一歩間違うと感情に流される「衆愚政治」や「ポピュリズム」に陥るリスクを指す言葉としても使われます。
まとめ:デモクラシーの位置づけ
- 「どうやって決めるか?」 = デモクラシー(多数決・対話)
- 「何を大切にするか?」 = リベラリズム(自由)、ソシアリズム(平等)、コンサバティズム(伝統)
- 「お金をどう回すか?」 = キャピタリズム(市場)、コミュニズム(計画)
- 「自分さえ良ければいい(邪魔するな)」 = リバタリアニズム
質問者様が「リバタリアンは共感欠如だ」と感じられたのは、彼らが「みんなで助け合おうというデモクラシー的な合意」よりも「自分の権利」を上に置いているから、と言い換えることもできます。
「みんなで決めれば(デモクラシー)、金持ちから税金を取って貧しい人を助けてもいいよね?」という問いに対し、「いや、たとえ1億人が賛成しても、俺の金を奪うのは強盗だ」と答えるのがリバタリアンです。こう考えると、いかに彼らが現代のデモクラシー社会の中で「異質な存在」であるかが浮き彫りになりますね。
