いよいよ第3章、この本のクライマックスの一つである「自由」をめぐる哲学の冒険に出かけましょう。
物理の法則でガチガチに固まった世界に、どうやって「自分で選ぶ」という隙間(ゆとり)を見つけ出すのか。ダニエル・デネットという哲学者の驚くべきアイデアを追いかけていきます。
第3章:決められた世界で、どう「自由」になれるのだろうか? ―― 哲学の答え
3-1. 僕たちは本当に「あやつり人形」なのだろうか? ―― ダニエル・デネットの「選択の余地(ひじのゆとり)」と両立論
Are We Really Puppets? : Daniel Dennett’s “Elbow Room” and Compatibilism
みなさんは、こんな不安を感じたことはありませんか?
「もし、宇宙のすべての粒子の動きが物理の法則で決まっているなら、僕が明日何を食べるかも、将来誰と出会うかも、全部最初から決まっているんじゃないか?」
これが、哲学者が何千年も悩んできた決定論(Determinism)という怪物です。もし世界が「前のドミノが倒れたから、次のドミノが倒れる」という連鎖だけでできているなら、私たちには「選ぶ」力なんてどこにもない、ただのあやつり人形のように思えてしまいます。
ところが、現代の哲学者ダニエル・デネット(Daniel Dennett)は、いたずらっぽく笑ってこう言いました。「大丈夫。たとえ世界が決定論的であっても、僕らには十分なひじのゆとり(Elbow Room)があるよ」と。
「魔法の自由」なんていらない
デネットの考え方のユニークなところは、まず「自由」という言葉のハードルを下げたことです。
多くの人は、「自由=物理の法則を無視して、何でもできる魔法」だと思い込んでいます。でも、デネットは言います。「空を飛ぶとか、時間を止めるとか、そんな魔法みたいな自由(非決定論的な自由)なんて、そもそも僕らは欲しくないはずだ。僕たちが本当に欲しがっているのは、もっと実用的で『望むに値する自由(Varieties of Free Will Worth Wanting)』なんだ」
「不可避」と「回避可能」の違い
デネットが持ち出した最も強力なアイデアは、回避可能性(Evitability)という概念です。
想像してみてください。誰かがあなたに向かって石を投げました。
- 物理の法則に従えば、その石はあなたの顔に当たることになっています。
- でも、あなたは石が飛んでくるのを見て、ひょいと頭を下げてよけました。
このとき、あなたは物理の法則を破ったのでしょうか? いいえ、あなたの脳が「石が来る」という情報を受け取り、計算し、筋肉に命令を出した……これもすべて物理的なプロセスです。
でも、あなたは「顔に当たるはずだった未来」を「当たらない未来」に書き換えました。
デネットは、この「情報を処理して、マズい結果を避ける(エラーを修正する)能力」こそが、自由の正体だと言ったのです。
「ひじのゆとり」という名のスキル
「決定論」という壁に囲まれて、身動きが取れないように見える世界。でも、私たち人間には、情報を予測し、エラーを修正し、進路を微調整するための「ひじを動かせるくらいのわずかな隙間(Elbow Room)」が、あちこちに残されています。
この隙間をどう使うかは、あなたの知性という「スキル」にかかっています。
- 知識がない人は、トラブルが起きても避けられません(ゆとりがない)。
- 知識と知性がある人は、未来を予測して、トラブルをひらりと回避できます(ゆとりがある)。
つまり、自由とは、天から降ってくる魔法ではなく、「どれだけ精緻にエラーを修正して、より良い未来をナビゲートできるか」という訓練で磨ける能力のことなのです。
「決定論」と「自由」は両立する
デネットのような立場を、哲学の言葉で両立論(Compatibilism)と呼びます。
「世界に物理のルールがあること」と「私たちが自由に選ぶこと」は、矛盾しません。むしろ、ルール(法則)がしっかりしているからこそ、私たちは「こう動けば、こうなるはずだ」と正確に予測し、エラーを修正して、望む未来を手に入れることができるのです。
「どうせ決まっているから」と諦める必要はありません。あなたが必死に考えて、間違いを直し、より良い道を選ぼうとするそのプロセス自体が、物理法則という巨大な歯車を回して、新しい未来を作り出しているからです。
次は、第3章の2番目のテーマ、3-2. 「自分」という物語はどこからやってくるのだろうか? ―― グレゴリー・ベイトソンと知性のつながり に進みます。
一人きりの頭の中にあるのではない、もっと「関係」の中に広がる知性のお話です。
