尊属殺人を利益衡量で考える

尊属殺人を利益衡量で考える


前提の確認:何と何を衡量するのか

利益衡量とは、対立する複数の利益・価値を比較考量して法的・倫理的判断を下す手法です。尊属殺人の場合、衡量すべき利益は以下のように整理できます。


衡量される利益の構造

加重処罰を支持する側の利益

  • 家族秩序・家制度の維持という社会的利益
  • 親への敬意という倫理規範の実定法化
  • 尊属という特別な信頼関係の破壊に対する応報的衡平
  • 抑止効果:親殺しを重く罰することで潜在的犯罪を予防する

加重処罰に反する側の利益

  • 被告人の法の下の平等(憲法14条)
  • 同一の行為に対する量刑の合理的均衡
  • 被告人の個別具体的事情——特に被虐待者が加害者になるケース——への配慮
  • 刑事司法の実質的正義:被害者(尊属)の属性が自動的に量刑加重根拠になることへの疑問

1973年最高裁大法廷判決が示したもの

この衡量を実際に行ったのが、昭和48年の最高裁大法廷判決です。問題の事案は、長年にわたり実父から性的虐待・監禁状態に置かれた娘が父を殺害したという事案でした。

衡量の結論として裁判所が示したのは:

尊属に対する敬愛・報恩という立法目的は合理的だが、刑の加重の程度が極端に過ぎ、目的達成のための手段として不合理であり、法の下の平等に違反する。

これは純粋な利益衡量の文脈では、次のように読み替えられます。

「立法目的として保護しようとした利益(家族秩序・尊属保護)の価値が、それによって犠牲にされた利益(被告人の平等権・実質的正義)に比べて、加重の程度において均衡を失している」


構造的に見た場合の問題

利益衡量論として最も本質的な問題は、この類型が内包する利益の逆転構造にあります。

尊属殺人の実態を見ると、その相当割合が:

  • 長期にわたる家庭内暴力・性的虐待の末の殺害
  • 介護疲弊による殺害
  • 家族関係における力の非対称性の帰結

である。つまり尊属という地位がそもそも暴力と支配の根拠となっていたケースにおいて、その同じ「尊属」という属性が量刑加重の根拠になる。これは保護すべき利益の設定が、実態と完全に逆転しています。

国家が「尊属を保護する」という利益を掲げることで、実際には加害者としての尊属の地位を事後的に強化するという構造的逆説。


廃止後の問題:利益衡量は完結したか

旧200条は1995年に削除されました。しかし利益衡量は完結していません。

現行法では、尊属殺も通常の殺人罪(199条)で処理され、尊属関係は情状として考慮されるにとどまります。ここで問題になるのは:

親への暴力は、同等の他者への暴力より重いか、軽いか、同等か。

  • 重いとする根拠:信頼関係の破壊という加重事情
  • 軽いとする根拠:長期虐待という被告人側の特殊事情、被告人の責任能力・期待可能性の減少
  • 同等とする根拠:行為の外形的同一性と法の平等

現行実務では個別の事情として処理されており、尊属という属性それ自体への利益衡量は制度的に放棄されています。これは正解だと思いますが、同時に「家族関係における権力構造の歪み」を法がどこまで考慮すべきかという問いは残ります。


MAD理論・精神医学との接点

この問いを精神科医として見るとき、一つ付け加えたいことがあります。

長期虐待の文脈での尊属殺は、しばしば解離・PTSD・慢性的脅威下の行動として生じます。行為時の責任能力、期待可能性の問題は、純粋な法的利益衡量に医学的次元を導入します。利益衡量の天秤に載せるべき「被告人の利益」は、単なる平等権ではなく、病態的文脈における行為者性(agency)の問題として読まれるべきです。

この点で、尊属殺人の利益衡量は法学の問題であると同時に、精神医学的な責任論・agency論の問題でもあります。

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