認知の歪みの諸形態
心理的苦悩の際に現れる推論の系統的な誤りを認知の歪み(cognitive distortions)と呼ぶ(Beck, 1967)。以下にその主要な形態を示す。
1. 恣意的推論(Arbitrary Inference)
支持する証拠がないにもかかわらず、あるいは反証が存在するにもかかわらず、特定の結論を下すことである。テキストの例では、特に忙しい一日を終えた働く母親が「私はひどい母親だ」と結論づけるケースが挙げられている。客観的な根拠なしに否定的な判断を下す点がこの歪みの特徴である。
2. 選択的抽象化(Selective Abstraction)
状況全体の文脈から切り離した一部の細部だけをもとに状況全体を概念化し、それ以外の情報を無視することである。テキストの例では、騒がしいパーティーで交際相手の女性が別の男性の言葉をよく聞こうと頭を傾けただけで嫉妬する男性のケースが示されている。全体像ではなく一部の断片的な情報のみに注目し、歪んだ解釈を導く。
3. 過剰般化(Overgeneralization)
一つまたは少数の孤立した出来事から一般的なルールを抽出し、それを無関係な状況にまで広く適用することである。テキストの例では、うまくいかないデートの後に「男性はみんな同じ。いつも拒絶される」と結論づける女性のケースが挙げられている。限られた経験を不当に一般化し、過度に広い範囲に適用する点が問題である。
4. 拡大と縮小(Magnification and Minimization)
物事の重要性や意義を実際よりも著しく大きく、あるいは著しく小さく評価することである。テキストには二つの例が示されている。一方は「授業中に少しでも緊張した様子を見せたら大惨事だ」と破局的に考える学生(拡大)であり、もう一方は母親が末期的な病を抱えているという事実に向き合わず「ちょっとした風邪からすぐ回復する」と考える人物(縮小)である。
5. 個人化(Personalization)
因果関係を裏付ける証拠がないにもかかわらず、外的な出来事を自分と結びつけ、自分のせいにすることである。テキストの例では、混み合った通りの向こう側にいる知人に手を振ったものの挨拶が返ってこなかった際、「自分が何か気分を害することをしたに違いない」と結論づける男性のケースが示されている。外的な出来事の原因を不当に自己に帰属させる点が特徴である。
6. 二分法的思考(Dichotomous Thinking)
経験を完全な成功か完全な失敗か、善か悪かといった二つの極端なカテゴリーのどちらかに分類し、その中間の連続的な可能性を認めないことである。テキストの例では、「これまでに見た中で最高の答案を書かなければ、自分は学生として失格だ」と述べる博士課程の学生のケースが挙げられている。「全か無か」の思考とも呼ばれ、現実の複雑さや連続性を捉えられなくなる。
各障害における系統的偏りとの関連
これらの認知の歪みは障害に固有のテーマとも結びついており、テキスト中の表(Table 7.1)では以下のように整理されている。うつ病では自己・経験・未来への否定的な見方、軽躁状態では自己と未来への誇張的な見方、不安障害では身体的・心理的危険の感覚、パニック障害では身体的・精神的体験の破局的解釈、恐怖症では特定の回避可能な状況における危険の感覚、妄想状態では他者への偏見の帰属、強迫観念では安全に関する反復的な警告や疑念、強迫行為では知覚された脅威を打ち消すための儀式、自殺行動では絶望感と問題解決能力の欠如、神経性無食欲症では肥満への恐怖、心気症では重篤な疾患の帰属がそれぞれ特徴的な認知プロファイルとして示されている。
小括
これらの認知の歪みは自動思考の中に現れ、患者が意識的に検討することなく信用してしまう。認知療法では、これらの歪みを同定し、その妥当性を実証的に検討することで、より現実に即したバランスのとれた認知へと修正することを治療の中心的な課題とする。
主要文献
Beck, A. T. (1967). Depression: Clinical, experimental, and theoretical aspects. New York: Hoeber.
Beck, A. T., Rush, A. J., Shaw, B. F., & Emery, G. (1979). Cognitive therapy of depression. New York: Guilford Press.
